名 称

せんじょうさん、だいせんたき

所在地

鳥取県東伯郡琴浦町

標 高

615m

山行日

2016年10月21日

天 候

曇り

同行者

「大山、立山の会」の仲間たち

アクセス

車で船上山東坂登山口、および一向平(いっこうがなる)へ

マップ

〔船上山〕

※ピンク線は正面新道コース

〔大山滝〕

このマップは、国土地理院の電子国土Webシステムから提供されたものを使用しています。

コース概要

船上山東坂登山口駐車場 9:20~9:30登山開始 9:30一丁地蔵 9:34横手道分岐 9:46
船上山休憩舎・山頂広場 10:22~10:38寺坊跡 10:46船上神社 10:50~10:54
山頂広場 11:05~11:10東坂登山口帰着 11:45頃
....(車で移動)....一向平キャンプ場(一向庵で昼食)12:28~13:00頃大山滝へ出発 13:05
大山滝吊り橋 13:35~13:39大山滝 14:04~14:17(14:07 地震発生)
一向平キャンプ場へ帰着 15:15

1.船上山山頂へ向けて

 未明に車で発って4時間足らず、9時20分に船上山東坂登山口の駐車場に到着した。準備を整えて登山口に設置されている解説板を眺める。

 解説板には、船上山は「勝田ヶ山(かつたがせん)・甲ヶ山(かぶとがせん)・矢筈ヶ山(やはずがせん)に連なり、約100万年前の古期大山火山活動で形成された山」とあり、「特に比高100m以上の屏風岩といわれる柱状節理による絶壁は四季を通して美しい」と記されている。さらに、大山寺・三徳山とならんで山岳仏教が栄えた地であること、建武新政前夜の元弘3年(1333年)閏2月28日に後醍醐天皇が3日間の合戦で北条氏を破り、船上山に80日間行在されたこと、などが説明されている。
 隣にはハイキングのコースマップがあり、参加者12人の内10人は、屏風岩の正面から迫る正面コースを選択する。自分は、今回の企画者で世話役のTさんと、もっとも一般的な東坂登山コースを歩くことにした。

 二人で東坂登山口からのんびり登りにかかる。登山口の標高がおよそ410mなので、2分ほど登っただけで船上山ダムがかなり下に見える。

 少し進むと、正面コースを目指して県道34号線を南進する仲間たちの姿。見上げると屏風岩が盛り上がっている。柱状節理による高さ100m超・幅600mの断崖。熔岩が冷えて固まるときにヒビ割れて形成される、多角形の柱状岩でできているのだから驚きだ。

 すぐに一丁地蔵の標識と出会うが、その右に立っているはずの石地蔵を見逃してしまう。一帯には赤松が林立しているが、その半数近くが枯死しているように見える。表皮の大半が剥がれ落ちて痛々しいものも多い。いったい何が原因なのだろう?

    

 登山口から5分、正面コースのメンバーが県道から山道に踏み込んで行く。ズームでその様子をとらえる。こちらは、すぐ先に森林鉄道跡への分岐道標が現れここは直進する。

 話しながらゆっくりじっくり階段を登る。登り切ったところから向かいの山腹を進む仲間たちが見える。

 後醍醐天皇が駕籠を立てて休憩したとされる「駕籠立て場」を通り、横手道分岐を通過する。実はここが仲間たちとの合流地点だったらしいのだが、登山口から15分ほどしか経っていないのと、先に見た仲間たちの位置関係からもっと先で合流するものと思い、さっさと通り過ぎてしまう。

 博識家のTさんの話は面白い。少しユーモアの混じった船上山の山名由来などが飛び出す。足元の白い野菊を見ながら足取りは軽い。しかし、腰の調子を崩しているTさんにしてはペースが速過ぎるように感じて、「ゆっくり行きましょう」と声をかける。

 ときおり開ける眺望。山並みの向こうに日本海が見える。

 松の木がなくなり笹とブナの林になってくる。樹種は定かでないが、こんなに紅葉が進んでいる一角もある。なかなか仲間と出会わないなと言いながら、Tさんは時折り「お~い」と叫ぶが応答はない。

 何か分からない紫の豆のようなのがあり、マムシグサがカラフルな実をつけている。

 すでに合流地点を越えているようなのだが、いっこうに仲間と出会わない。足元にイヌヤマハッカとアキノキリンソウが咲いている。

 途中で見た「山頂まで25分」の標識からかなり時間が経過しているが、その気配はない。ブナ林を眺めながら、途中に妙な分岐もなかったので道迷いはしていないはずだと前進、しだいに傾斜が緩くなってきた。

 左側に避難小屋らしき建物が見える。近づくと、立派な2階建ての建物に「船上山休憩舎」の額が掛けられている。2013年5月に竣工されたピッカピカの山小屋だ。

 2階には上がらなかったが、1階の休憩スペースはこの通り。洗面スペースもトイレもゆったりしていて清潔。くつろいでいると、10分ばかりして仲間たちの声が聞こえてきた。

 休憩舎前の小高い丘には「船上山行宮之碑」が建ち、その脇に木板の山頂標識「中国地方の山100選 船上山 616.5m」が立っている。後醍醐天皇が船上山に行在の折り、ここでしばし野立てされたそうである。周辺は山頂広場で、中央に船上山の解説板が設置されている。

2.船上神社を詣でて折り返し下山する

 船上神社へ向かう。山道に入るとすぐのところに貯水タンクが設置されていた。

 木の成長や伐採状態を管理しているのだろうか、おびただしい数の木々にピンクと黄色のテープが巻かれている。緩やかながら山頂からさらに登って行く。2万5千分の1地図を見ると、船上神社は山頂より50~60m高いようだ。

 8分ばかりで寺坊跡を通過する。ここから先にも寺坊跡の標識があり、当時の繁栄ぶりをうかがわせている。

 「後醍醐天皇行幸の道・西坂下り口」の道標が立ち、その傍に苔むした「文保二年銘台石」がある。

 船上神社に参拝して山歩きの無事を感謝する。

 境内の右手には周囲5mといわれる大杉がそびえ立つ。

 山頂広場に戻ると、「千丈のぞき迄急な坂道です 約110m片道5分位」の道標があった。絶景が望めるらしいが、時間に余裕がないので今回はパスして下山を始める。登りではさほど感じなかった急傾斜でスリップしたが、11時45分頃に駐車場へ無事帰着する。

3.一向平から大山滝へ

 車で移動して、12時半頃に一向平(いっこうがなる)キャンプ場へ着いた。大屋根の管理棟があり、隣り合って調理台や流し・かまどのある炊事棟が建っている。標識に「標高565m」と書かれている。

 キャンプ場の桜の葉が色づき始めている。昼食は森林体験交流センターにある「一向庵」でとる。熱々の蕎麦は、風味が良くてとても美味しかった。小皿にのった茹でて味付けしたムカゴも最高!

 13時5分、ほどよく落ち着いたお腹で大山滝に向けて出発する。行く手遙かに見えるのは甲ヶ山だろうか。

 「大山滝 1.8km」の道標だ。こんなに平坦な道なら20分もあれば歩けるが、そうはいかない。

 笹と豊かなブナ林が広がっている。マムシグサの真っ赤な実が目を引く。

 橋を渡り、まずは階段を登る。

 さて、ここからが「天国の階段」とも「地獄の階段」とも呼ばれる急階段だ。両側に張られたロープの手すりに手を添えて、奥行きの狭い階段を踏み外さないように下りて行く。

 いったい何段あったのだろうか。つづら折りの長い階段を下りるとすぐ、大山滝吊橋が待っている。加勢蛇川に架かる長さ45mの吊り橋で、高さは30mもあるが橋幅はわずか1mである。

 橋上からの眺めはなかなかのもの。滝のような川の流れや砂防堰堤が小さく見える。橋が終わればまた登坂で、上り詰めたところを右に進むと「鮎返りの滝」。左へとって大山滝へ向かう。

 石塊をまたいで進むと木地屋敷跡の標柱が立っている。かつて、お椀や日用器物などの素材となる木地をつくる職人たちが住んでいたところである。

4.大山滝で大地震に遭遇

 14時4分、やっと大山滝に到着した。解説板によると、日本の滝百選に選ばれている幅4m落差43mの大滝は、以前は三段の滝だったが、昭和9年の室戸台風で二段になったそうである。

 解説板の近くからまずは2カットをカメラに収める。

 二段の滝を眺めるために階段を下りて展望台に向かう。展望台からは二段の滝が滝壺に落ちる光景を見ることができる。

 2回目のシャッターを切った直後に、展望台全体がゆらりゆらりと揺れだし、揺れが大きくなる。以前の台風で地滑りを起こした川向こうの斜面を、ガラガラと音を立てながら岩が落ち土煙が上がる。地震だ、しかもかなり大きな地震が起きている! 「階段上部の岩が崩落すれば展望台が吹っ飛ぶ」、アドレナリンが放出されて体が引き締まる。揺れが治まるのを待って階段を駆け上がり、安全な場所でストックをつくと、地面が軟化したようにゆらゆら揺れている。一向平までは1.8km、状況を判断しながら帰りを急がなくてはならない。

 立ち止まると揺れが伝わってくる。25分で吊り橋にたどり着いて、長い急坂の階段を一気に登る。

 階段の途中で揺れなかったのは幸いだった。道路には地震による落石が散らばっている。ブナ林のあたりまで戻ってきてやっと落ち着いた。

 15時15分頃、全員無事にキャンプ場へ帰着した。震源は隣接した北栄町で震度6弱との情報が届く。凄かったはずだ。それにしてもあの環境で事故もなく帰着できたのは幸運と言わなければならないだろう。岡山も震度4と聞き、家族と連絡したいが自分の携帯電話では繋がらない。Tさんが差し出してくれたスマホでやっと安全を確認できてひと安心。蒜山まで戻り、「蒜山やつか温泉・快湯館」に落ち着いて汗を流す。