名 称

たけだやま

所在地

広島市安佐南区

標 高

411m

山行日

2016年3月26日

天 候

晴れ

同行者

「瀬戸内登山同好会」の仲間たち

アクセス

JR可部線・下祇園駅下車

マップ

緑線は当初予定のルートです。

このマップは、国土地理院の電子国土Webシステムから提供されたものを使用しています。

コース概要

JR下祇園駅着 11:02下祇園駅スタート 11:10武田山憩いの森(昼食)11:42~12:13登山口 12:17
馬返し 12:41~12:45御門跡 12:59~13:02千畳敷(城跡)13:08武田山山頂 13:15~13:29
観音堂跡 13:37上高間 13:39~13:41馬場跡 13:53憩いの森・東山本手書き道標 14:02
送電鉄塔巡視路 14:15憩いの森 14:20JR下祇園駅 14:48

1.JR下祇園駅~武田山憩いの森~登山口

 7時34分に岡山駅を出発し、広島駅でJR可部線に乗り換えてやっと下祇園駅に降り立つ。所要時間は3時間28分、青春18切符の醍醐味を存分に味わっての到着だ。駅横には「ふるさとの武田山登山ガイド」の立派な案内板が設置されている。これは期待が持てそうだ。

 駅前にはステキなパン屋さん「JaPan屋」。岡山駅付近で弁当を買ったついでに菓子パンや餅などを買い込んでいたので、残念ながらパスする。駅前を右へ進んで次の通りを右折し、踏切を渡って車の多い通りを北へ向かう。マンションや学習塾が多く、広島のベッドタウンの雰囲気が漂う。

 交差点を渡って道なりに行くと、やがて里の風景に変わって菜の花が溢れている。

 住宅と畑地の間にある小さな墓地、墓石に「倶會一處」と刻印がある。ひたすら記憶して戻り後日に調べたところ、これは「くえいっしょ」と読み、「倶(とも)に一つの処(ところ)で会(あ)う」ことを表すらしいことがわかった。死によって、先に浄土に往生している先祖たちと同じ浄土へ往生できる喜びを表すことのようだ。これは大きな発見だ。早咲きの桜と碧い空のコントラストが美しい。

 2つの小さな溜め池を過ぎると武田山憩いの森である。ゴミの不法投棄や農業用水を保全するための立派なフェンスが設置されている。しかし、このおびただしい注意書きは興ざめだ。

 ベンチと東屋がある休憩所に着いた。腰を落ち着けてゆっくりと昼食をとる。

 右に立つ憩の森の案内板を見ながら進み、さらに2つの溜め池を通り過ぎると道標が立っている。分岐路でどちらも憩いの森登山口を指し示しているが、直進は「大手道コース」、右手は「散策コース」と刻まれている。

 分岐を右手に向かう。と、不法投棄の看板の下に「こちら回り楽」の案内板を見つけた。

2.馬返し~千畳敷~山頂

 登山口に備えられていた小枝のストックを借用して、まずは緩やかな坂道からスタートする。そして次第に傾斜がきつくなる。

 急坂をひと登りすると木場道跡の標柱と出合う。ここが分岐になっていて、左に行けば「馬返し」、右は「経済大学グラウンド」、ここから「馬返し」に向かって歩く。

 視界は開けないが傾斜が緩やかな道が続く。

 十字路に出た。直進は「大倉屋敷跡」、右は「祇園北高校登山口」、左折すると山頂への道だ。山頂に向けて溝の階段を登って行く。

 急坂で息が上がってくる。寡黙になってひたすら登る。

 馬返しに到着した。馬が登ってくることができたのもここまでで、この先は馬を使えないくらい険しくなっていることが馬返しの由来のようだ(広島市教育委員会解説板)。

 眺望が良く、東と南にこんな風景が広がる。

 急坂になると、皆さんはパワー全開でぐいぐい登って行く。馬返しから40mほどで再び十字路。左は「憩の森登山口」、右は「大倉屋敷跡」、そして直進すると目標の「御門跡」である。

 土や岩に挟まれた狭くて急な道、確かにこれでは馬は通れまい。それどころか、人も体を捻りながらバランスを崩さぬよう注意深く前進する。

 御門跡に着いた。場内への門があったところで、ここには通路を直角に折れる「枡形」と呼ばれる防御施設が形成されていたそうである(広島市教育委員会解説板)。一帯には大きな岩が積み上がっている。

 御門跡のすぐ上の岩場から南方向を眺めて小休止。

 ほんのひと登りで千畳敷だ。本丸があった城跡広場である。解説板にあるように椿が多く、ちょうど散りかけた花が地面を彩っていた。

 坂は険しさを増してストックは用をなさない。岩をつかみ、ハンドリングしやすい木の根や幹に手をかけながらよじ登る。右手に巨大な岩が現れた。

 山頂直下の分岐に差し掛かった。下山時はここを弓場跡へと進むことになる。いよいよ山頂への最後の登りだ。

3.武田山山頂風景

 到着した山頂の眺望は抜群だ。巨岩が乱立しており、危なっかしい岩の上を小さな子供たちがピョンピョン飛び回っているのには驚いた。山頂のはずれには御守岩台(ごしゅいわだい)と呼ばれるひときわ大きい岩があり、これは天守台の役割をしたものらしい。

 銀山城跡(かなやまじょうせき)の解説板が設置されており、その脇に三等三角点がある。鎌倉時代の初期において旧祇園町一帯は安芸国の要衝の地であったこと、銀山城は安芸守護職に任命された武田信光の一族によって築城された中世の山城であること、鎌倉時代中期から毛利元就らに攻め落とされるまでの約300年間に渡って、太田川の中下流域に武田氏の一大拠点が形成されていたことなどが記されている。

 〔北東~南の展望〕

 〔南~西の展望〕

4.観音堂から上高間(うわたかま)を経て下山

 眼下手前には広島経済大学とスポーツ関連施設やグラウンド、その向こうに広がる商業施設やビルの群れを見ながら下山を始める。

 山頂手前の三差路を西にとると道標があり「観音堂」方面に向かう。すぐに「上高間・展望有」の手書き標識と出合う。

 観音堂跡に着いた。この場所は、本来は郭として城の搦手(からめて)の防御の役目を担っていたとある。裏門の防御にもぬかりなしで、強固な城であったことがうかがわれる。

 観音堂の南に隣接する上高間(うわたかま)には、観音堂付属の庭園か休憩所があったとされる。南端の大岩から瀬戸内海が見えている。遠くに霞むのは宮島だろうか。

 三差路になり左は行き止まりで、右の「山本」方面へと下りて行く。

 いつのまにか下高間を通り過ぎてしまったようだ。「下高間206m <--> 櫓跡270m」の道標が立つ。やがて馬場跡に着いた。

 急な岩場を慎重に下りて行く。立て続けに手書きの道標が現れ、2つ目の赤いマジックで書かれた道標あたりで脇道に入り込んでしまった。そもそも山本側の登山口に下りるはずだったのだが、遅れ気味のために早く憩の森にたどり着きたいとの思いが勝ったようである。

 ヘビが巻き付いたような木に気を取られている間に、皆は道を外してどんどん進んでいる。「コースを外れて憩の森側へショートカットしようとしているよッ」と声がけしたが、テープがあるからそっちへ行ってみようと前進。これは面白くなってきた。

 暗い谷へ向かって下るうちにテープを見失う。遠くで微かに、たぶん広島経済大学のグラウンドあたりからと思われる人声が聞こえてくるので、大きく間違った方向に入り込んではいないと感じる。やがて竹林になり登り返して行く。

 ほどなく道らしくなった場所で送電鉄塔の道標を発見、これは送電線巡視路だ。地図上の送電線路から現在地も明確になった。

 道を外してから18分、憩の森に無事帰着できた。なだらかな坂を下祇園駅へと急ぐ。脇道に逸れはしたが、山本側登山口に下りた場合に比べると15分近い時間短縮になった。で、下祇園駅には予定通りの帰着、結果よければすべて良しとしよう。