名 称

あづちやま~きぬがさやま

所在地

滋賀県近江八幡市

標 高

安土山 198m、繖山 433m

山行日

2017年10月26日

天 候

快晴

同行者

なし

アクセス

JR東海道本線・安土駅下車

マップ

緑線は当初計画のルートです。
    
    

このマップは、国土地理院の電子国土Webシステムから提供されたものを使用しています。

コース概要

安土駅スタート 11:03(途中コンビニで買い物)新宮大社 11:36~11:41安土城跡登り口 11:52
三重塔分岐 12:05本丸跡 12:14天守跡(昼食) 12:16~12:40織田信雄公四代供養塔 12:43
三重塔分岐 12:48三重塔 12:50~12:57安土城跡登り口 13:08県立安土城考古学博物館 13:27
文芸セミナリヨ 13:32桑實寺分岐(小休止)13:42~13:49桑實寺山門 13:57
桑實寺 14:11~14:23観音寺城跡 14:56~15:01三角点分岐 15:19繖山山頂三角点 15:26~15:37
三角点分岐 15:42林道出合 16:03駐車場 16:09きぬがさ街道交差点 16:46
石馬寺バス停 17:00~17:12バスにてJR能登川駅到着 17:30頃

1.JR安土駅から安土城跡登り口

 岡山から普通電車と新快速に乗り継ぎ野洲駅で乗り換えて、約4時間で安土駅に到着した。青空の下、湖岸道路を北へと進む。

 「安土西の湖街道」との交差点にあるコンビニで弁当などを購入して、新宮大社を目指して東へ進む。実はこのコンビニ(ローソン)、時間の都合でどうしても安土駅に到着してから弁当を調達する必要がありグーグルマップで調べたものだ。ところがストリートビューで確認すると店舗が存在しないので、昨夜電話で確認した経緯がある。あるはずの店が無かって苦い目にあった経験からだが、場合によってはこんな確認も必要になる。

 交通量の多い車に気をつけながら歩き、下豊浦北交差点を左折する。

 「新宮大社御旅所」の石碑が建つ行者堂。裏側に回ると田園が広がり、こんもりとした安土山が見える。

 すぐ先の新宮大社鳥居をくぐり、山行の無事を願って参拝する。

 次の角を右折して百々橋(どどばし)を渡る。ここから百々橋口道の石段がついているのだが、入山料徴収のためだろうか、通行止めで入山できない。もともと百々橋口道は一般人が城へ向かうときの道であり、まず摠見寺(そうけんじ)に参拝して天主を目指した。現在は「此処より安土城跡への入山はできません。大手道口より入山して下さい」の立て札。

 300m先の大手道口へ向かう。東西に長い郭が続き、途中に2カ所の虎口(こぐち:城郭の狭い出入口)がある。

 左手に見えてきた建物は安土城跡摠見寺(そうけんじ)の受付処で、入場料(別に拝観料とも書いてある)700円を納める。それにしても山歩きには高すぎる。私有地に踏み込むような特別のケースは別にして、山歩きでこのような料金を支払うのは初めてだ。安土山を歩くにはここを通る他ないので仕方ない。「受付終了4時・閉門5時」とあるので、これも気をつけなければ入下山できなくなる。さらに、注意書きに「犬(ペット)は入山できません」の記述。これって時代錯誤ではない? ここが安土山の登り口だが、正直、大変厄介なところに来てしまったと感じる。

2.安土山を巡る

 大手道の長い石段が急斜面に沿って延びている。両側には石垣が築かれ、羽柴秀吉や前田利家のものと伝えられる邸跡もあるが、まずは天主へ向かう。いくつかの石像は、築城の際に大手道の石材として使われたもので、なるほど信長ならではと思った。

 幅8m、直線で180m、405段の長い石段は迫力がある。段差の大きい部分がありすんなりとは進めない。部分的に段差を縮める補助石が置かれている。

 途中に設置されたテーブルと椅子。平地になるとホッとして汗をぬぐい深呼吸をする。

 三重塔・二王門への分岐に着いた。下山では三重塔へ向かうのだが、まずは天主閣方面への急な石段を登る。

 黒金門跡を過ぎて、続く石段を登って行く。この黒金門は百々橋口道にも通じている。

 石段の上には、お釈迦様の足跡を表す佛足石が置かれている。石垣に使われていたものが、昭和初期の登山道整備の際に発見されたものらしい。二の丸跡を通って登り進むと広場に出た。本丸跡である。

 さらに石垣で一段高いところに登ると天主跡がある。礎石111個が発見されていて、周囲は石垣で囲まれている。

 天主跡の石垣に設置された階段を上がって回り込むと素晴らしい眺望だ。琵琶湖方面を一望することができる。手前には西の湖と近江八幡の水郷、遠く琵琶湖が広がっている。

 北東には遠く霞んだ伊吹山の姿(右寄りの奥)。琵琶湖を行く船をズームでとらえてみた。

 石垣の上から眺めると、天主台の礎石が整然と並んでいるのがわかる。発掘された城跡は石垣や礎石を残すばかりであるが、その存在を十分窺うことができる。1979年5月(天正7年)に完成した天主は、わずか3年後に本丸共々焼失してしまう。原因について、放火から落雷までいくつもの説があるけれど真偽はわかっていない。謎を残す空間でもある。
 本丸跡まで下りてテーブルに弁当を取り出す。食事中に何人もの観光客と出会う。

 二の丸近くの織田信雄公四代供養塔に立ち寄る。

 三重塔・二王門への分岐まで戻り、下山は三重塔へと向かう。

 石段の多い緩い起伏を越えて三重塔が見える広場に出た。

 摠見寺本堂跡から西の湖が見える。すぐ下に三重塔が建つ。これは湖南長寿寺から移築したものだそうだ。

 石段を下りると二王門があり、安置されている金剛力士像共々国の重要文化財に指定されている。百々橋口道を少し下りて左折し、緩やかな道を大手道へと向かう。

 大手道とクロスする手前には「伝羽柴秀吉邸跡」の説明板が立つ広場。

 大手道を挟んで、同じく「伝前田利家邸跡」の説明板が立つ一角がある。さらに前田利家邸跡の上方には伝徳川家康邸跡がある。広くて直線的な大手道は攻撃には弱いが、信頼を得た家臣に屋敷を与えて守りを強固にしていたのであろう。一方で、この道は特別な賓客を迎えるためのものでもあり、威風を示す象徴のように思えてくる。元の受付処に戻ってきた。

3.安土城考古博物館を経由して桑實寺(くわのみでら)へ

 受付から出て近くにある立派なトイレ・ガイダンス施設を利用しようとしたら、入館料200円とあり呆れて移動する。いったいこのあたりは、訪問客を金儲けの対象としてしか見ていないのかと思ってしまう。帰宅後にWebで調べたら、高額入山料徴収もトイレ・ガイダンス施設の有料化も近江八幡市が始めたものらしい。これとは別に、市がつくった有料駐車場があり、これに異議をとなえる摠見寺が無料駐車場を併設した経緯がある。利用者が激減した市は、駐車場の無料開放と引き換えにトイレを有料化したらしい。駐車場のツケは有料トイレで返すということか? 新聞記事を含むWeb情報の内容が正しければ、この地の観光行政はどうなっているのだ、と言いたくなるんだなぁ。
 安土城跡は実に見応えがあり魅力的であるが、それこれのことから、近辺に建つ「安土城址」の石碑や看板が空々しく思えてしまう。

 繖山(きぬがさやま)へ登るために、安土城考古博物館方面に向かう。左手に繖山が見えている。

 田園の真っ直ぐな道を行くと安土城考古博物館が見えてきた。

 博物館と隣り合って、正面にはローマ風の建物が建ち並ぶ安土町文芸の郷。ここには安土城天主信長の館、文芸セミナリヨ、総合体育館・多目的ホール、レストラン、多世代交流館などが集結している。写真右の文芸セミナリヨには、パイプオルガンを備えたクラシック音楽専用ホールがある。
 原寸大の復元天主(5・6階部分)がある信長の館に立ち寄りたかったのだが、時間の関係で残念ながらパス。

 文芸の郷の色づき始めた並木通りを東へ歩き、突き当たった舗装道路を右折する。

 しばらく進むと右側に東屋があり小休止する。さらに進むと桑實寺への分岐に出る。繖山へは桑實寺を通って登ることになる。

 桑實寺までは石段が続く。息を切らせながら山門に着くと、下りてきたハイカーに出会う。「桑實寺まではすぐですよ」と聞いて、桑實寺から先はかなりキツいらしいなと思ってしまう。山門をくぐると電子音がする。どうやら入山者をチェックしているらしい。

 階段に次ぐ階段が続き、桑實寺までは決してすぐではなかった。橋を渡ると地蔵堂が見えてきた。

 さらに階段を登ると寺務所があり、受付で入山料(拝観料)300円を納める。ここを通過しないと繖山へは登れない。

 桑實寺は天台宗の寺院で山号は繖山、西国三十三所観音霊場の32番札所である。本堂にもお入り下さいと勧められるが、かなり疲れたので開き戸から御本尊の薬師如来を拝しベンチで休憩する。境内の小高い位置には鐘楼がある。

 太子堂(経堂)の方へ上がり、門をくぐって山頂への道に踏み込む。 

4.観音寺城跡から繖山(きぬがさやま)山頂へ

 昨日までの雨のせいか桑實寺から上方の道はずいぶん荒れている。幅は狭いが流れが速い沢を慎重に徒渉する。石ころの多い急坂はかなりキツい。登り進んで「七丁」の丁石に出会う。

 あちこちにある倒木を移動したり乗り越えたりして、薄暗い林の道を進む。誰とも出会わない。

 「八丁」の丁石を過ぎると道はなだらかになり、周囲が明るくなってきた。

 右の谷側に石垣で囲まれた井戸跡が現れる。道標があり、桑實寺方面への進入者に対する「これより桑實寺ノ山林境内につき有料」の看板がある。この一帯も料金徴収が徹底しているようだ。

 しっかりとした石垣が現れ「十丁」の標石。

 観音寺城跡に到着した。広場には「本城跡」の石柱、観音寺城の本丸跡である。鎌倉時代から戦国時代にかけて近江南部を中心に勢力を持った六角氏の居城であった。周囲は木々が茂って展望はない。

 ここで高齢の二人連れに出会う。これから桑實寺の方へ下ると聞き、雨で濡れた急坂でのスリップに気をつけるよう伝える。

 いったん急坂を下って観音正寺方面へ進む。少し行くと左に登り道があり「三角点 0.4K」のプレートが見える。

 細い木の階段を登って行くと「三角点 0.21K」の道標が立っている。

 軽い起伏を越えて行くと山頂に着いた。

 きぬがさ山の会が設置した山頂標識が美しい。三角点標石に、今回新調したトレッキングシューズでタッチする。

 25000分の1地図に記載はないが、三角点からの下山経路はいくつもあるようだ。手持ちの地図は範囲が狭いのでルート確認ができず、元のルートを引き返すことにする。

 西の湖から安土山が見えているはずなのだがはっきりしない。時刻は15時30分、ガスが増えたのか風景がぼやけてきた。

5.下山して石馬寺バス停からJR能登川駅へ

 先の「三角点 0.21K」の道標まで戻り、「佐々木城跡を経て観音正寺・観音正寺駐車場」方面へ進む。

 細い尾根道を行く。曲折部に大きな岩があり、縁に沿って慎重に回り込む。

 いきなり「山上駐車場 340M」の道標が現れた。佐々木城跡や観音正寺はどこへ行ってしまったのだろうか。

 山上駐車場側に進むと数分で道路に下り立った。観音正寺がある方向には「南無大慈大悲観世音菩薩」の幟が見える。

 観音正寺の方向に歩き出すと大勢の人声が聞こえてきたので引き返す。しだいに声が大きくなり白装束の人たちがやって来た。下りかけると駐車場があり、その人たちを数台のタクシーが待っている。

 タクシーが並んでいたあたりから山道に踏み込んで展望台を目指すはずが、行き過ぎて舗装道路を歩くハメになった。白装束を乗せたタクシーが何台も下りてくる中を延々と歩く。迎えのタクシーが上がってくる中を延々と下りて行く。そのうち踏切のあるゲートらしきものが見えてきた。

 これは林道観音寺線の料金所だった。何につけても料金徴収の仕組みが徹底した地域だなと、ここでも感じてしまう。料金所で最短距離のバス停を尋ねたら、職員の男性が地図を手渡して丁寧に説明してくださった。すぐ近くに「きぬがさ黎明の里」の石碑がある。

 さらに舗装道路が続く。並行して流れる瓜生川の流れに合わせて歩く。

 料金所で教えてもらった「きぬがさ街道の交差点」が見えてきた。新調のトレッキングシューズで長い舗装道路を歩いたので、足首に疲労が蓄積している。交差点を渡って整備された歩道をどんどん歩く。

 石馬寺の道標があり、やっと石馬寺バス停に着いた。

 17時30分頃にJR能登川駅に到着した。近くのスーパーで缶ビールと軽食を調達。一日の足取りをふり返りながら、ビールをすすり飲み軽食をつまみつつ岡山を目指す。