1.JR藍本駅~登山口
藍本駅は無人駅だ。用意を調えて左(南)に向かって歩き始める。
200mばかり進むと、右側に酒滴神社(さかたれじんじゃ)という変わった名前の神社がある。その昔に悪疫が蔓延した時、天然の霊窟から垂れ出る酒を発見し、それを飲むとたちまち治ったのが縁起とのこと。鳥居をくぐって石段を上がって行く。
随神門に近づき、変わった額が掲げられていたので何気なく撮影する。帰宅して調べると、これは算法額であることが分かった。江戸時代には、数学者が難問題を解いた時に、神仏の加護によるものとして計算方法を書いた額を奉納する習慣があったそうで、この額には扇形図形の2つの問題と解法が書かれている。
本殿の造りが実に美しい。山行の無事をお祈りしたあと、現代的でシャープな千木と彫刻(獅子頭だろうか?)に見とれてしまう。
左に踏み切りを見て通り越すと、間もなく右手に虚空蔵山登山道の道標が現れ右折する。
畑中に延びる舗装道の先に虚空蔵山がそびえている。突き当たりを右にカーブすると池に出る。
真っ青な空だが、山からのぞく入道雲が気に掛かる。車の通行音が大きくなり、舞鶴若狭自動車道の下をくぐる。
トンネルの向こうに「虚空蔵山登山道」の道標が立つ。隣りに白い乗用車が1台、トンネルにはバイクが停まっている。
道標の矢印の方へ進むとすぐに近畿自然歩道の案内板があり、右手に登山道が開けている。
「虚空蔵堂まであと1000m」の標柱が洒落た帽子を被っている。ここが登山口だ。
2.虚空蔵堂へ向けて
きつい陽差しで汗ばんでいたのがス~と引いていくような雑木林の道。最初の舗装道はすぐに山道に変わる。
足元にニガナが咲いている。せせらぎの音が心地よい。ミニ滝が落ちている。
細い渓流に沿って登る。木の根っ子が現れ、少し傾斜がきつくなる。
やがてゴロ岩の道になるが、ここは急がずゆっくりと足運びを楽しむ。緑の苔に覆われた岩は決して侮れない。水分を含んだ部分も多く、うっかり斜めに踏むとスリップするので確実に一歩を刻んで行く。
岩の橋で渓流をまたぐと、丸太にロープを張った柵の道。
この辺りから足元はさらに悪くなる。苔むした岩だらけの道にはロープが張られているが、これをつかむ必要はない。迷い道しないガードロープだろう。虚空蔵堂まで300mの道標が立っている。
木の根の坂を登ると「虚空蔵堂まであと250m」の道標。もう渓流の音は聞こえない。
溝のような道を抜けると「虚空蔵堂すぐ」の道標。
石積みの階段をゆっくりと登ると、明るく静閑な広場に風格ある虚空蔵堂が建つ。推古天皇時代に、聖徳太子が夢のお告げによって建立し虚空蔵菩薩尊像を安置したのが起こりとされる(「虚空蔵寺(堂)」説明板から)。この山名の由来もここにあるとされる。
境内の一角に石仏と石塔があるが、これが何か分からない。石塔の四面には経文のようなものが刻まれている。さらに別の場所には鯱瓦がある(写真右)。これは慶長年間に、消失した御堂を復興する時に用いられたものだそうで、姫路市の書写山圓教寺と国宝彦根城天守閣にも同形のものがあるとのこと(近畿自然歩道の環境省・兵庫県の案内板「虚空蔵堂」から)。
時刻は12時45分、ベンチに腰を下ろして昼食の弁当を広げる。前出の案内板には、三田の民話「うばが谷の水」が紹介されている。昔、農民の生活は苦しく、ばあさんは食い扶持を減らすために、息子に自分を「うばが谷」へ捨てに行くよう命じる。道中、我が子が帰路を迷わないようにと目印に木の枝を折っていく。途中、「うばが谷の清水」で水杯を交わす際にそれを知った息子は、堪らなくなって母を抱きかかえて家へ戻るというあらすじ。切なくもいい話だ。
3.役行者の祠~丹波岩~虚空蔵山山頂
境内でゆっくりしていると時間をすっかり忘れてしまう。曇ってきたのに気づいてようやく腰を上げる。山頂まで残すは800m。
木の根をつかみながら急坂を登ると、10分足らずで役行者(えんのぎょうじゃ)の祠に着いた。
道標が現れると少し傾斜が緩み、あちこちにノリウツギが咲いている。
さらに急坂が続く。遅いツツジが咲いていた。
何だか今までの岩とは違うのが登場してきた。かつて倶留尊山で見た柱状節理を思い出させるような岩だ。山道には特に変化はないようなのだが・・・。
尾根道を歩くと陶の郷分岐道標だ。山頂まで300mに迫る。その先に見事な板状摂理の岩石が現れる。マグマが冷える時に、冷却面に平行して発達する独特の形状である。
フラットな山道を取り巻く木々。急に険しい感じの岩場が現れた。これは丹波岩(たんばいわ)と呼ばれる山頂直下の展望ポイントである。
丹波岩に登ってみた。上の岩場には、さらに人ひとり立てるほどの板状の岩がある。
東側には北摂の山々が広がる。
南側には三田市の街、遠くに六甲山系が連なっている。
少し西に振ったあたり。空気が澄んでいれば中央から右にかけて淡路島が見えるはずなのだが・・・。
もう少し西に振ると、播磨の御嶽山(みたけさん)が見えている。
岩場を降りて根っ子道を上がればすぐに山頂である。狭い岩場にベンチとテーブルがあり、男性がひとりくつろいでいる。誰もいないと思っていたので驚いて挨拶。この方は近くにお住まいでしばしば登っておられ、今日も早くからベンチでのんびりしていたとのこと。バイクで移動しながら周辺の山々を巡っているそうで、羨ましい限りだ。登山口で見かけたバイクは、この男性のものだったようだ。
先の丹波岩から見た播磨御嶽山は、この方から教えていただいた。写真を撮ってくださることになり、いつも独り歩きで自分の写真とは無縁の身なれば、ありがたくお願いすることに!
北面は岩と雑木で展望がきかない。増えてきた雲で風景が暗くなり、時間も急いてきた。南側に設置されている案内板と、東西方向の山並みを撮影して下山にかかる。
4.立杭陶の郷コースを下りる
男性もちょうど下山する予定時間ですからと、途中までいっしょに下りることになる。
登ってきた岩の割れ目を乗り越えて出発。山歩きの話をしながら10分ばかり進むと「陶の郷自然歩道」の道標がある。
ここから段差の狭いプラスチック階段が続く。無機質で自然との相性は今ひとつであるが、歩きやすい。
急斜面をどんどん下って10分、道端に八合目の道標が置かれている。男性とはここでお別れする。進行方向とは逆に、北東方向へ戻る地図にない道を辿るそうである。立杭方面の人たちが祭事で虚空蔵堂に向かう時に、山頂を経由しなくて済むようにつけられたバイパス道とのこと。
コツクバネウツギの飾る道を行くとベンチがあり道標が立つ。ここを直角に右折する。
こんなプラスチックの階段が延々と続く。登りで見たノリウツギに似たのが咲いている。これは花びらが3枚なのでガクウツギかな。
ヒノキの植林に変わった。ていねいに間伐された林の中もプラスチックの階段だ。
野趣たっぷりなテーブルと椅子が何カ所も設置されている。ヒノキはいよいよ高く生えそろっている。
山道が緩やかになり東屋が見えてきた。
立杭陶の郷に着いた。一帯にはバンガローが建ち、共同炊飯場やシャワー施設がある。
登山道出口の道標だ。その前に付近の売店に立ち寄って、丹波の黒豆など少しばかりのお土産を購入。
立杭は丹波焼の郷として知られる。瀬戸・常滑・信楽・備前・越前と共に日本六古窯のひとつで、窯元が並ぶ。虚空蔵山麓の丹波伝統工芸公園「立杭陶の郷」では、これらを見たり造ったり買ったりもできる。また、隣接して兵庫陶芸美術館もある。今回は残念ながら時間に余裕がなく、すぐ近くの「陶の郷前」バス停からJR相野駅へと帰路についた。