名 称

しょしゃざん

所在地

兵庫県姫路市

標 高

371m

山行日

2015年2月6日

天 候

晴れ時々曇り

同行者

なし

アクセス

JR姫路駅前の神姫バス乗り場から「書写山ロープウェイ行き」で終点下車。

マップ

このマップは、国土地理院の電子国土Webシステムから提供されたものを使用しています。

コース概要

書写山ロープウェイ出発 13:15東坂登山口 13:27書写山ロープウェイ山上駅 14:09
支納所 14:14仁王門 14:34摩尼殿 14:45~14:50三つの御堂到着 15:00
奥の院 15:07~15:11三つの御堂出発 15:23はづき茶屋 15:30
西坂山道分岐(妙高院横) 15:34西坂登山口 16:00西坂バス停 16:08

1.東坂登山口へ向けて

 以前に何度か来たことのあるバス停、そして書写山ロープウェイ乗り場だが、今日は乗らない。しかし、もう13時を過ぎていて、これから歩いて大丈夫か、目指す東坂登山口まではかなりややこしい経路で、などと考えていた。
 こちらを見てにこにこ微笑んでいる娘さんがいる。右の腰にトランシーバーらしきアンテナが見える。書写山ロープウェイのスタッフの女性らしい。とりあえず、登山口までの経路を尋ねてみた。「この乗り場の北側を通り抜けて進んで、右手へ行くと・・・・」と教えてくれる。計画で考えていたルートよりかなり短距離である。笑顔がいっそう素敵になり「お気をつけていってらっしゃーい」。背筋の伸びを意識してお礼を言い、歩き始める。

 聴いたとおりに進むと、わかりやすい「登山道」の標識がナビゲートしてくれる。

 右側の山手にロープウェイの支柱が見える。東西に延びる山陽自動車道の下をくぐって道なりに進む。

 右向きの矢印で右折、200mほど先にまた右向きの矢印。

 その十字路は、赤の背景に白十字が描かれている。右折して矢印の方向へと歩く。

 すぐに電柱があり黄色の矢印に「東坂参道」の文字。左折して民家の前を進んで行く。

 路面がアスファルトからコンクリートに変わり、その先に階段が見えてきた。

2.登山口~ロープウェイ山上駅

 山盛りの「善意の杖」が備えられた登山口に到着した。山道を行く人が多いに違いない。緩やかながらデコボコした木段を上がって行く。

 3~4分進むと路面にむき出しの岩が現れる。近くの「此下女人堂」の石柱が指さす方向には妨獣ネットが張られている。これを下りると女人堂に行けるらしい。この女人堂、明治5年(1872)までの500年近く、書写山は女人禁制だったそうで、女性の巡礼者は女人堂にお札を納めたということである。

 石段と岩の道を越えて行くと、2丁の丁石とお地蔵様。

 少し足もとの悪い岩場だが危険ではない。よいしょっと3丁に到着。

 次の階段を登ると水たまりがあり「日本一小さい池・宝池」の立て札。

 らかん岩が現れる。羅漢は悟りをひらいた高僧、あるいは仏道修行者のこと。大きな岩にいくつもの羅漢像が貼りついている。それにしても、それぞれの羅漢さんはかなりユニークで、味のある表情をしていらっしゃる。

 らかん岩から荒れた道をひと越えすると5丁。道の傾斜が緩くなってきた。

 六丁休堂跡に着いた。ベンチの向こうに「善意の杖」があり、少し先に6丁標石が見える。

 絆をもじってか「樫の木綱」のプレート。2本の樫の木が、こんなに親密にくっつき「絆」のタグが結ばれていた。

 7・8丁は比較的緩やかな山道が続く。

 その先から岩尾根になる。9丁を右に回り込むと、急で長い岩場が続いている。

 急坂を迂回するように九十九折りの道がついている。最初のジグザグ道を進むと10丁になった。

 次のジグザグを越えたあたりから急坂を歩いてみる。短時間に一気に高度を稼ぐことができる。

 振り返った岩場の急坂。迂回路を利用せずに、9丁からこの岩場を登った方が面白かったかなと思う。11丁だ。

 ロープウェイ山上駅まで200mになった。木立のトンネルのような道を進む。

 12丁を経て「圓教寺 0.7km」の道標。

 階段を踏んで少し上がって行くと、13丁の標石があるロープウェイ山上駅に到着する。

 駅近くの広場に椎名麟三の文学碑がある。碑文「言葉のいのちは愛である」は晩年に信条としていた言葉だそうである。親交のあった岡本太郎の揮毫が刻まれている。

 近くに「書写山と和泉式部」の案内板が立っている。それには、和泉式部が、平安女流歌人の第一人者として
      冥(くら)きより 冥き道にぞ 入りぬべき 遥かに照らせ 山の端の月
の名歌を圓教寺開山の性空上人(しょうくうしょうにん)に献じたとある。ふ~む、当時の書写山は女人禁制ではなかったか、と調べてみると、女人禁制になったのは1398年の室町時代。円教寺の開山は966年で、和泉式部は平安時代中期の歌人であるから、これは問題なかったことになる。
 この一首は性空上人への結縁歌であり、歌の返しに性空からもらった袈裟を着て命を終えたそうである。恋多き女性と知るが、こう聴くと感慨深いものがある。

3.圓教寺参拝と散策

 支納所があり、入山支納金を納めて圓教寺境内に入る。近くに14丁の丁石がある。

 六臂(ろっぴ)如意輪観世音菩薩、すなわち6本の手をもつ如意輪観音の青銅像が立つ。整った顔立ちと頬に当てた右第1手の柔らかな感じに見とれてしまう。

 参道の左に鐘楼が建つ、その前に「風ノ歌ガ キコヘマスカ」という彫刻が置かれている。右手に「曼珠沙華 幼き記憶 みな持てり」の句碑。

 この参道は西国三十三観音道とも言われ、参道に沿って西国三十三所の観音菩薩像が安置されている。案内板に「本堂まで15分と」記載されているが、それぞれのお顔を拝しながら進むのでそうはいかない。

 坂道が終わって15丁までたどり着いた。

 ある如意輪観音の前で足が止まる。右第1手の指の甲を頬に当てた優美な姿と端整な顔立ち。銘板に「如意輪観世音菩薩・第十四番・長等山三井寺」、あの三井の晩鐘で有名な三井寺の秘仏である。

 16丁の先には展望所がありベンチが設置されている。

 展望所からは南東方面の風景を望むことができる。明石大橋と播磨灘の方向をクローズアップしてみる。

 仁王門に着いた。圓教寺の正門であり、両側には仁王像が安置されている。ここから中は聖域であり、またここは東坂の終点でもある。門前に最後の18丁の丁石が立つ。

 両側に奉納石柱が並ぶ路を進むと右に壽量院(じゅりょういん)。後白河法皇が参籠したことで知られる建物だ。石段上の扉は閉じられており、少し先の坂からアプローチできるが、そこには「精進料理・寿量院」の案内板が出ている。

 圓教寺会館と十妙院を通り過ぎて、カーブした石段を下りて行くと、荘厳な摩尼殿(まにでん)が現れる。書写山の中心をなす圓教寺の本堂である。

 清水寺と同じ懸(かけ)造りの構造美をカメラに収め、石段を上がって行く。

 摩尼殿に参拝して、本殿の脇を通り抜けて進む。

 きれいに手入れされた参道を行くと、右手に杣(そま)観音堂という小さな御堂が建つ。その先に市の指定保存樹に登録された樹齢約700年、高さ35mの杉がある。

 突然、タイムスリップしたような空間が待ち受けている。三つの古めかしい御堂がコの字型に配置されている。右には大講堂。これはお経の講義や論議が行われる学問と修行の場所。

 正面は食堂(じきどう)で、修行僧の寝食のための建物。そして左は常行堂(じょうぎょうどう)で、常行三昧(ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を回る修行)をするための道場である。

 さらに奥の院まで出かけてみることにした。幅広く緩やかな道を下って行く。

 間もなく奥の院が見えてきた。右手前には不動明王を祀る不動堂。

 その奥には護法堂。そして圓教寺開山の性空上人を祀る開山堂。

 広場をはさんで護法堂と向かい合っている護法堂拝殿。このように拝殿と本殿(護法堂)が離れて建てられているのは珍しいそうである。この拝殿は、弁慶の学問所でもあった。少し離れて、形の整った鐘楼。

 近くには姫路城主・榊原家の墓所もある。そして普賢菩薩を祀る法華堂。

 圓教寺の隅々までを歩き終えて、舗装道を下る。「はづき茶屋」の前に出て、下山する西坂参道へのアプローチを確認すべく店に入る。調理場に立つ女将さんが、手を止めて応対してくださり、さらにわざわざ表へ出て道を教えてくれた。しかも、「お気をつけて」の一言。ありがとうございました。

4.西坂参道を下山する

 女将さんの案内通りに進んで十妙院の分岐に立ち、道を右に取る。

 やがて分岐路となり、右の道へと進めば西坂参道の案内板。まことにスムーズに参道へ入ることができた。感謝!

 参道は舗装されていないが、車が通れそうな道幅だ。快調に下ってじきに6丁を通過する。

 文殊堂跡だ。ここは、性空上人が瑞兆を感じて入山する途中、文殊菩薩の化身の白髪老人に逢ってこの山の由来を告げられた場所である。元の堂は消失して、この御堂はその後に再建されたものである。すぐ脇に、たくさんの石仏・石塔が並んでいる。

 10丁まで下りてきた。丁塚にカメラを向けていたら、「何を写しているのですか?」の声。犬を連れたご夫婦だ。それがきっかけでしばらく話しながら下りる。下山してからのバスの便、バス停の位置などを細々お教えいただき、とても助かった。お礼を述べ、急ぎ足で下って行く。麓が近くなった急坂はコンクリート舗装に変わり、スリップ防止用の溝を切ってある。

 17丁まで下りると宗天稲荷大明神の赤鳥居が並ぶ。

 日吉神社の石鳥居をくぐり参拝、山行の無事と出会った人たちに感謝する。西坂参道は昔から下りに用いることが多かったのだろうか、1丁は摩尼殿から始まり、日吉神社が18丁になっている。

 下山途中に出会ったご夫妻に教えていただいたとおり、神社から南へ直進すると兵庫県立大学があり、突き当たった道路を右折するとすぐにバス停。

 大勢の大学生たちとバスに揺られて、予定よりかなり早くJR姫路駅に帰着できた。