名 称

てんのうざん

所在地

京都府乙訓郡(おとくにぐん)大山崎町

標 高

270m

山行日

2015年8月22日

天 候

曇り時々晴れ

同行者

「瀬戸内登山同好会」の仲間たち

アクセス

東海道本線(JR京都線)山崎駅下車

マップ

このマップは、国土地理院の電子国土Webシステムから提供されたものを使用しています。

コース概要

JR山崎駅着 10:12JR山崎駅スタート 10:18天王山登り口 10:25宝積寺(ほうしゃくじ)10:32~10:37
青木葉谷展望広場 10:47~10:54旗立松展望台 10:59酒解(さかどけ)神社 11:08~11:11
天王山山頂(昼食) 11:17~11:47柳谷観音分岐 12:15天王山登山口 12:41
小倉神社 12:42~12:50サントリービール工場 13:20~14:52(送迎バスにて)JR長岡京駅 15:07

1.JR山崎駅から登山口へ

 青春18切符を片手に、岡山方面から姫路駅・高槻駅と乗り換えてJR山崎駅に到着した。みんな早朝から起き出しているはずなのだが、元気いっぱいである。したくを整えて駅舎の東側から出発し、線路に沿って直進する。

 200mほど先を左折して踏切を渡る。開かずの踏切は困るが、開いてひと呼吸おいて即閉まるのは心臓に悪い。そんなことがあって何本かをやり過ごし、開いたら競歩スタイルで渡って行く。

 線路を渡ると、すぐその先が登山口で「天王山 登り口」の石柱が立つ。車両の滑り止めを施した舗装道を上がり始めると、またさっきの踏切のアラームが鳴っている。

2.宝積寺~展望台~酒解神社

 登山口から8分で宝積寺(ほうしゃくじ)に到着した。山門脇に「聖武天皇勅願所」の門柱があり、聖武天皇の勅命を受けた行基が建てたと伝えられている。山門をくぐると、右手に木の葉に隠れて三重塔が建つ。桃山時代に建造されたもので重要文化財に指定されている。一説には、秀吉が一日で建てたと伝えられるものである。

 本堂で参拝する。宝積寺には寺宝がたくさん収蔵されていることから、別名を宝寺(たからでら)と呼ぶそうである。一角には美しい造りの閻魔堂(えんまどう)がある。

 秀吉が腰掛けて天下統一を考えたとされる「出世石」がある。柵で囲まれ「危ないので座らないでください」の注意書き。ふ~む、と触ってみた。

 ここはじっくり見ると面白そうなのだが長居はできない。その先に天王山周辺林についての解説板があり、傍に自然木の杖が常備されている。杖を借用した皆さんの姿勢が、急に変わったように思われるのだが・・・。

 宝積寺から100mばかり進むと、いっきに標高差100mを登る急坂になる。根っ子道を登り、「天王山山頂・小倉神社柳谷方面」の道標に従う。

 急な擬木の階段に沿ってモノラックのレールが設置されている。これで山頂方面へ荷物を運ぶのだろう。しばらく行くと、分岐レールが見つかった。それにしても汗が半端ではない。滴り落ちるのを感じながら登って行く。

 ハイカーたちが休憩している青木葉谷展望広場に着いた。ここからは大阪平野が一望でき、天候がよければ大阪城まで見えるらしい。ここで小休止する。

 傾斜が緩やかになり、さらに10分ほど進むと展望台が見えてきた。

 旗立松展望台に着いた。展望台からは大阪平野と京都盆地が開け、設置された明智軍と秀吉軍の布陣案内図を見ながら、山崎合戦の主戦場を一望できる。このあたりに、秀吉軍が旗印の「千成り瓢簞」を掲げた松の木、つまり旗立松があるはずなのだが、確認できなかった。

 3分ばかり進んだところに道標が立ち、左折方向に「十七烈士の墓を経て酒解神社 0.2km」とあったのだが、メンバーは直進している。少し距離をおいて最後尾を歩いているので、今さら進路変更はためらわれる。幕末の禁門の変(1864年:蛤御門の変とも)で尊王攘夷運動を旗印に戦い、敗れて天王山中で自刃した十七名の墓。酒解神社までは直進しても等距離なので、見ておきたかったのだが・・・。やがて、手入れされた竹林が現れた。

 光を透過する柔らかな竹林が続き、酒解神社(さかどけじんじゃ)の三社宮が見えてきた。ここには天照大神(アマテラスオオミカミ)、月讀大神(ツキヨミノオオミカミ)、蛭子神(エビスノカミ)が祀られている。

 さらに一段高いところへ続く坂を行くと酒解神社に到着する。が、ここは通り抜けることになり、本殿と思しき方にカメラを向けて急ぎ撮影する。ここには珍しい神興庫があるはずだが確認できなかった。

3.天王山山頂~小倉神社へ下山

 酒解神社を駆け抜け、最後の急坂を登ると山頂である。予定より10分ばかり早い到着だ。山頂標識をカメラに収め、広場に散らばって昼食をとる。

 山頂にはちょうど30分間滞在する。木々が繁ってまったく眺望を得られないので、早めに下りることに決まる。
 「山崎城跡」の説明板が設置されていて、山崎合戦で勝利した秀吉はここに山城を築き、大山崎を城下町として保護したこと、しかし大阪築城が本格化すると、1年足らずで山崎城を破却した旨が記されている。現在も天守台や曲輪、土塁、石垣などが残存するとあるが、確認には時間がかかりそうだ。「小倉神社・柳谷」方面に向かって下山を始める。

 下り始めてすぐ、ていねいに積まれた石垣の台座に石仏が祀られている。

 しばらくは緩やかな尾根歩きが続く。道の両側には樹木が繁茂しているので展望はない。あちこちに切断した材木をビニールシートで覆ったものが置かれている。これは松食い虫の原因となるマツノマダラカミキリを燻蒸駆除しているものである。被害木を伐倒・切断してビニールシートで包み、ガス化した薬剤を封入して浸透させ、幼虫を駆除する。

 山頂から30分足らずで柳谷観音分岐に到着した。樹木に囲まれた空間に丸太の椅子とテーブルがあり、休憩には良い場所だ。三差路を左にとれば柳谷方面へ至る。ここは小倉神社へと下りて行く。

 樹木に竹が混じってきたあたりに、天王山周辺森林整備推進協議会の白い案内板が立っている。「小学生がカブトムシの森づくりに取り組んでいます」とある。竹が侵入してきて雑木林が減少する問題が発生、子供たちとコナラやクヌギの植林を通じてカブトムシが住める森づくりを進めているとのこと。その隣りに、可愛いポスターが掲示されていた。

 竹林を抜けて渓流に沿って下りると、やがて小川の流れに変わり天王山登山口に着いた。「天王山まで90分」の道標があり、竹の杖がストックされている。

 左折して小川を渡ると小倉神社(おぐらじんじゃ)の裏に出る。まずは本殿に参拝する。小倉神社は養老2年(718年)の創建とされるが、本殿は江戸時代後期に建立されたらしい。

 本殿の手前にある拝殿。あれっ、参拝はここですればよかったのか? 拝殿の横には三社宮があり、若宮、天照皇大神宮、八幡宮が並ぶ。

 拝殿の手前に、中央が通路になった建屋がありここで小休止する。これは割拝殿(わりはいでん)と呼ばれる拝殿の一種で、珍しいものらしい。お相撲さんの板絵が飾られていた。
 一の鳥居を出てふり返ると、黒塗りに金筆で「従一位小倉大明神」の神額。これは小野道風の真筆と伝えられている。

4.サントリー京都ビール工場を経て帰路に

 小倉神社を後にすると風景は一変する。京都縦貫自動車道と阪急京都線がクロスし、名神高速道路の高架が延びる喧噪の中をウォーキングだ。

 京都縦貫自動車道の高架下を超えると、石鳥居が建ち「小倉神社御旅所」の石柱がある。御旅所といえば神輿の休憩所のことだが、今でもここに神輿がやって来るのだろうか。と考えている内にサントリー京都ビール工場が見えてきた。

 よく運動した後の新鮮なプレミアム・モルツは、喉に体に染み通りますねぇ。旨いッ! 送迎バスでJR長岡京駅まで送り届けていただき、青春18切符の復路につく。