名 称

がぎゅうざん

所在地

岡山県高梁市

標 高

478m

山行日

2011年11月22日

天 候

快晴

同行者

なし

アクセス

JR伯備線・備中高梁駅下車

マップ

このマップは、国土地理院の電子国土Webシステムから提供されたものを使用しています。

コース概要

JR備中高梁駅 10:20登山口 10:47(遊歩道)鞴峠(ふいごとうげ) 11:22〜11:29
備中松山城(昼食) 11:57〜12:50天神の丸跡 13:31臥牛山のアベマキ 13:34
臥牛山(大松山城付近) 13:36大松山吊り橋 13:50車道出合 14:05(市道楢井松山城線)
楢井 15:15(国道484号)ループ橋展望台 16:12JR備中高梁駅 17:00頃

1.登山口へ

 JR備中高梁駅から城見通りを北に上がり、伯備線と紺屋川がクロスするあたりを抜けて、武家屋敷がある石火八町ふるさと村へと入って行く。

 正面に県立高梁高等学校が見える。突きあたりに道標があり、備中松山城は右へ折れて3.2kmと記されている。この付近に掲示されているコース案内によると、高梁駅からここまでの所要時間は約14分になっているが、コンビニで買い物をしたので少し遅れている。

 右折して住宅地を進む。バスが見えるあたりから左にカーブしている。

 カーブのすぐ先に分岐があり標識が立っている。これに従って左の道へ進む。備中高松城までは3.0kmだ。

 少し行くと橋があり、渡ったところに松山城への道標が設置されている。これに気づかずに直進してしまうと、舗装された車道を延々と歩くことになる。

 坂道を上るとすぐに登山口だ。立派な石のモニュメントらしきものがあるのだが、銘板が削り取られていて何かは判らない。たくさんの杖が備え付けられていたので、ここが登山口だと判断する。舗装道が終わり山道に変わる。

2.備中松山城へ向けて

 これが登山口の様子。高梁駅からすでに30分が経過しているので急いで出発だ。

 道路脇に、臥牛山が北から大松山、天神山、小松山、前山の四つの峰に分かれていること、中国自然歩道のコースになっていることなどを説明した掲示板がある。その隣にもうひとつ、「石垣復旧工事のため、こちらから大松山城跡へ行くことはできない」とある。今回はお城見物で終わりそうだと残念に思いながら登り始める。

 松山城まで1.4km。遊歩道には時々根っ子がはみ出してはいるが、よく整備されていて歩きやすい。

 次第に傾斜がきつくなり、こんな石段も沢山ある。

 途中にある休憩所。入口に「野猿に対する注意」のお触れ書きあり。

 登り初めて約700m。山道の右側にお触れ書きが出ている。これは「大石良雄腰掛岩」で、元禄の初めに藩主水谷勝美が没してお家断絶となり、城明け渡しを折衝する1年7カ月間に在藩した大石良雄が、登城の際にこの岩に腰掛けて休んだそうである。
 試しに腰掛けてみたら、眺望が利かないのは残念だが座り心地はなかなか良好だった。

 続く急坂を行くと石段があり人の話し声が聞こえてきた。やっと山頂に到着かと汗を拭う。

 ところがこの道標・・・・、着いたのは鞴峠(ふいごとうげ)駐車場だった。

 ふいご峠の標高は290m。平日にもかかわらずたくさんの車が停まっている。

 駐車場の脇に清水比庵の歌碑。清水比庵は高梁市生まれで、歌人・書家・画家そして政治家として活躍。碑には「水清き川のながれ 山高し日は 山を出で川をわたる」と刻まれている。

 先の道標まで戻って、お城の方向を確かめると次のお触れ書き。それにしたがって進んで行くと幟と出合う。

 「この先足元悪しきにつき気をつけて歩むべし」の登城心得の先は、ご覧のとおり急な石段で息が上がる。

 ふたたび「この辺りがちょうど中間地点である しばし休まれよ」の登城心得。次のコーナーを曲がると、二人の御仁が長閑に休んでおられた。

 このあたりからの眺望は「素晴らしい!」のひと言だ。

 さらに急な石段を登っていくと城主の言葉「よくぞまいられた」、これで疲れが吹き飛びました、いや本当に!
 登山口からの所要時間は約1時間。通常は30分程度で歩けるらしいのだが、ふいご峠での10分近い休憩と道草を食ったことで遅くなってしまった。

3.備中松山城の周辺

 近づくに連れて明らかになる複雑で堅牢な城壁。大手門から見上げると紅葉が真っ盛りだ。
 この強固に見える岩盤には、最新の岩盤変動監視システムが組み込まれていて、崩壊に伴う被害防止を監視している。残念ながら、石垣を支える自然岩盤に亀裂が生じていて、崩落の危険にさらされているそうである。

 城壁の真下に寄って秋の彩りをカメラに収める。

 高松城二の丸から見下ろす高梁の町並み。

 見上げると堅牢な城壁の姿。

 四の平櫓跡の紅葉。

 南に広がる山々。

 二の丸には与謝野寛の歌碑がある。「松山の渓を埋むる朝霧に わが立つ城の四方しろくなる」と刻まれている。ふいご峠からの途中で出会った御仁から、朝の明け初めに撮った風景写真を見せてもらった。一面に広がる雲海の中に、お城周辺が天上のものでもあるかのように浮かび上がっていた。与謝野寛はそんな風景を観たに違いない。

4.備中松山城登城

 いよいよ登城だ。手前の石段を左へと上って行く。

 天守閣が現存する山城としては隋一の高さを誇る松山城。その天守閣に向かう。

 天守閣からの風景を4枚。最初の2枚は眼下の高梁川、次は窓からの紅葉、最後は二の丸だ。

5.大松山から吊り橋へ向かう

 登山口に「石垣復旧工事のため、こちらから大松山城跡へ行くことはできない」との掲示があったが、城を出る際に、念のため係員に大松山へ行けるかどうかを尋ねてみた。すると、係員のおじさんと同席していたおじさん共々「簡単に行ける、ここまで登ってきたよりは簡単じゃぁ」と教えてくれ、それならばと出かけることにした。
 城の南面を奥へ進むと、石垣の復旧工事をしている現場に出くわした。

 作業員に進入路をたずね、教えられたとおり建家の右を通って谷へ降りて行く。

 谷に通じる橋を渡ると「大松山つり橋まで1.5km」の道標があった。前方にカップルの姿が見える。

 出だしはゆったりしていた道幅が狭くなり、岩が増え傾斜も急になる。前方を行っていたカップルが戻ってきて「とても険しくて、時間内に進めそうにないので引き返してきました」と教えてくれた。
 もう少しだけ行ってみますと応えたのだが、想像以上の急坂で、よじ登っていくと蛸の足のようなアンテナが出現した。

 急坂に次ぐ急坂を、これはもはや後戻りはできないなと感じながら登っていたら、そのうち平地に出ることができた。向こうは平坦な道になっていて、その手前にロープがある。それを越えてから、ようやくロープに貼り付けたビラを読むことができた。いわく「石垣崩落のため通ることができません」。
 そんな場所を越えてきたのだから、もはや引き返すことはムリだと腹をくくる。

 その先に道標があり、大松山城跡と天神社跡がすぐ近くにあることを知る。しかし先を急いでいたので後回しにすることにしてしまい、結果的にどちらにも立ち寄ることができなくなってしまう。

 大松山吊り橋に向かって進んでいると、巨木「臥牛山のアベマキ」に出会う。

 さらに進んでいたら人の姿が見える。近づくと、森林の手入れをしている市の職員さんだった。
 ここからの進路について尋ねると、「ようここまで来られましたなぁ、しかし行くも戻るも大変じゃ」とのこと。
 次の目標である三角点探しのことを告げると、もうひとりの職員のところまで出かけてその在所を調べてくれた。場所は明らかにならなかったが、これから先に進むのであれば猿が多いから注意すること、しばらく先に自分たちの車が停めてあるのでそのあたりから携帯電話でタクシーを呼ぶ方法があること、もしどうにもならなければ再びここへ戻ってくるようにと、たいへん親切にしていただいた。

 大松山城跡までわずかに80m、切通及び番所跡まで100mの位置であることを知る。しかしどちらも後回しだ。

 やがて吊り橋が見えてくる。それにしても、風景に似つかわしくない鉄製の頑丈な橋には驚く。
 到着すると、入口は檻になっている。これで動物の進入などをコントロールするのだろう。

 渡り始めた橋の状況。そして南面に広がる山の風景。

 橋の終端には始端と同様の檻があり、突き当たりから右に道路が延びる。上りの道路の真ん中に太い杭がありロープが張られているが、何のためなのかは不明だ。

 教えてもらったとおり職員さんたちの車が停めてあったが、今のうちに三角点を探そうと折り返しになっている道へと進む。

 しかし行けどもそれらしきものは見つからず、やがて「市道楢井・松山城線 300m」の標識に出合う。

6.遠回りの帰り道

 市道楢井・松山城線終端の駐車場に出た。車は全く見当たらず「国道484号(楢井)4.2km」の標識。ここから楢井までの4.2kmを進むとしても、楢井から高梁駅までもかなり距離があるはずだ。このあたりはすでに計画の範囲外であり、手持ちの地図では距離も方向もまったくわからない。これは大変なことになった。
 時刻は14時5分。松山城を出発したのが13時だったから1時間5分もかかったわけだ。しかし、吊り橋の手前で市職員の方と話し込んだ15分は、重要な情報収集になったので決してムダではなかった。

 暗くなる前に高梁駅へ戻りたいので、とにかく楢井に向けて進むことにする。これで、大松山城跡も三角点も次回にお預けとなった。

 延々と続く道路。気味悪いのは猿のこと、いつ出てくるかわからない。道路のあちこちに猿のものと思われる糞が落ちている。

 歩く。どこまでも歩く・・・・

 どれだけ歩いたのかわからない。人はもちろん車もほとんど通らない。赤や白のペンキで目印が付けられた木々が視界に変化をつけてくれる。

 沓掛の一帯は松茸山で、あちこちに入山禁止の表示がありロープが張り巡らされている。

 やっと出合った道標には「高梁市街(JR備中高梁駅)10.4km」。これは気合いで乗り切るしかないと覚悟を決める。

 遠くから子どもたちのにぎやかな声が聞こえてくる。そしてサッカー場が見えてきた。吉備国際大学サッカー場だ。
 ここまでまったく人に会うことがなかったので心底ほっとする。

 楢井の中国自然歩道案内板の前でひと休み。すでに15時15分だ。

 国道484号に出て愛宕バス停を過ぎ、炭床バス停を過ぎて歩く、どんどん歩く。このあたりは車が多く、狭い歩道で身をかわしながらの歩行が続く。

 16時8分、ループ橋に差しかかった。間もなく街の中心部が眼下に広がる。

 ループ橋は長い。いつまで歩いても高度が下がらない感じだ。
 愛宕ループ橋の終端が近くなったころ、小型トラックから「よう歩いたなぁ〜」の声。吊り橋の手前でお世話になった市職員のお二人だ。ありがとう、本当にお世話になりました。

 その後もくねくねと長い道路を辛抱強く歩き続けて、16時40分に高梁市街地・高梁駅への分岐にたどり着く。すでに陽は沈みあたりは薄暗くなってきた。
 約13kmの行程を2時間半ほどで歩いたことになる。この後20分ばかりで駅前食堂に腰を落ち着け、生ビールでひとり乾杯。頭が空になっていて、反省は後日にまわすことに・・・・。