1.JR植松駅から登山口へ
植松駅は高架の駅。階段を下りて交差点を西へ渡る。
県道21号・岡山児島線を児島方面へ歩く。
20分足らずで陸橋が見え、右手前に「熊野神社入口(林)」バス停がある。
陸橋を渡ると「熊野神社・初詣参拝道」の立て看板があり左折する。道は分岐しているがその先で合流している。
しばらく歩くと左側に熊野神社の石鳥居が見えてくる。
鳥居をくぐると左は仁王門池跡で、郷内地区の史跡案内板がある。公園の向こうに山へ上がる石段が見える。
福岡神社の石柱と大きな石灯籠があり、階段の上に石の鳥居。ここが登山口だ。
2.福岡神社から蟻峰山へ
石段を上った先はゴツゴツした岩が露出した荒くれた道。山歩きに不慣れな高齢者が参拝するには厳しいと思われる道だ。途中でトレーニング姿の男性二人に出会う。近場の方が日参しているようだが、どちらも蟻峰山には登ったことがないと聞き少し意外な感じがする。
福岡神社には産土神(うぶすながみ)、つまり土地の守護神が祀られているようだ。登ってきた方を振り返ると郷内地区の家並みが広がる。
北西方面には郷内川が流れ、倉敷市串田地域を一望できる。
福岡神社の右を下りると別の山道とクロスしている。林の中に道しるべのテープが見える。
ピンクと赤のテープの間に入って行く。山積している落ち葉、カサッカサッと新雪を踏むように足が沈む。
急坂に張られたロープに沿ってマップの地点1に到達する。落ち葉でバランスをとりにくくてストックを取り出す。
地点1から2にかけて足場が悪く、左に右に、あるいは両側にロープが張られている。ロープ間の移動で落ち葉に足を取られないようストックを運び、慎重に進む。
地点2を過ぎても雑木林の連続で眺望を得られず、地図がほとんど役に立たない。比較的新しいピンクテープがあちこちに付けられているので道迷いの心配はない。ひたすらテープを頼りに前進する。
途中に太めの赤いテープがある。かすかに「稲荷山へ」の文字。蟻峰山の真北に位置する稲荷山への道標だ。
地点3に到着した。が、その位置が判明したのは後のこと。ピンクや赤に加えて黄色のテープが方々に付けられているので、当初はここが山頂ではないかと思い、しばらく三角点を探し回った。風がゴーゴーと音を立てる。予報の風速は最大4mだったが7~8mはあるようで、立ち止まると寒くなる。
そのうち離れた位置にピンクテープがあるのを見つけて地図と照合する。テープは左方向のほぼ直角の位置にあるので、ここは地点3であり山頂はさらに東へ100mばかり先であることがわかる。
ここから山頂までの写真は無い。山頂手前の30m(平面直線距離で)の標高差は約30m、平均すれば45度の傾斜だがさらに急傾斜の部分があり、加えて雑木がまばらで手掛かりになるものがほとんどない。人はほとんど入らないようで、落ち葉が積もり放題の状態だ。カメラを構える余裕はなく、這い上がり攀じ登った。
山頂広場にたどり着くと真ん中に三角点標石が鎮座、やれやれ、これを見るために登ってきたのかと溜息がでる。
広場の一角にはアンテナが建っている。そしてコナラの幹に山頂標識のテープ。「蟻峰山 232m」の下に「縦走路」と「彦崎駅(尾根を直降)」とある。ここから東の熊山やタラコ山へ縦走できるようだ。
山頂に立ったにもかかわらず達成感はなく、それ以上に下山の心配が頭を占める。山頂からの20m近くは転倒が避けられそうにない。あれこれ対策を考えた結果、ザックの底にしまいこんであるロープを取り出す。
このロープは山歩きを始めた当初から携帯しているものだが、使うのはこれが2回目である。6mm径の細引きなので誰にでも勧めることはできないが、自分の体重を預けるには適当な代物だ。長さは9mで、降下後に回収するために半分に折ったものを幹に掛け回して使う。最長で4m少々しか下降できないが、着地時には一方を引っ張れば簡単に回収できる。
今回はこれがサバイバルロープの役割を担ってくれた。尺取り虫のように、丈夫な幹に掛けては下って回収する。これを3回繰り返して、写真のように落ち込んだ傾斜を安全に下りることができた。時間が掛かったがやれやれである。
往路を黙々と引き返す。滑りやすい下りでは張り渡されているロープを存分に利用させていただいた。
福岡神社に帰着して山行の無事を感謝する。急階段と凸凹の岩道を下り進むと公園で遊ぶ子供たちの姿。予定より大幅に遅れて登山口に降り立った。
3.下山して熊野神社に参拝
公園を横切って行者池のあたりから蟻峰山を望む。熊野神社へ向かう左手に、後鳥羽天皇の皇子である覚仁法親王の墓と伝わる一角がある。
「日本第一熊野十二社権現宮」と称するここ熊野神社の歴史は古く、とても興味深い。修験道の開祖と言われる役小角(えんのおづぬ)の弟子たちが開いたとされる神社で、大宝元年(701年)にこの地(現在の倉敷市林)に紀州熊野の十二社権現の御神体を遷して祀ったとされている。また付近の木見に新宮を、山村に那智宮(現・由加神社本宮、蓮台寺)を建て新熊野三山としたそうである。
熊野神社と修験道の寺院が一体となった神仏習合の宗教施設として栄えたが、明治の神仏分離令により、十二社権現は熊野神社となり他の寺院(五流尊瀧院)は天台宗寺院となったとのこと。子細はWikipedia「熊野神社 (倉敷市林)」と「熊野神社の由緒」に詳しい。
焚き火の煙がくゆり、おみくじ授与所のテントに集う人たち。境内は新年の空気に包まれている。
写真左の八尾羅宮(はっぴらぐう)は商売繁盛といじめ除けの神様。ふ~む、いじめ除けとは知らなかった。右は有名な十二社権現宮で、三所権現・五所王子・四所明神の12の権現が祀られているとか。檜皮葺の社殿は趣がある。
大きな絵馬が飾られている。「疫病除絵馬」で、神の使いの八咫烏(やたがらす)が二羽描かれている。よく知られるように、八咫烏は勝利を導く神の使いでもある。その横に「何処の烏も皆黒し一期一転」の記。一段高い所に五流尊瀧院の「熊野大権現御本地」の御堂がある。登ってみると三基の歴代の供養塔があり「神変大菩薩」と刻まれている。室町時代には修験道の組織化が進み、役行者を開祖としてつながりを持つようになっていく。神変大菩薩は、このような中で1799年(寛政11)に朝廷から役行者に対して贈られた諡号である。
熊野神社の一角にある五流尊瀧院の三重塔。道を隔てて、後鳥羽上皇の遺骨を納めた石造りの宝塔があり、国重要文化財に指定されている
熊野神社を後にして真浄院を通り抜けて南へ歩く。途中に「五流建徳院跡」の標識がある。五流尊瀧院関連の旧跡、修験道寺院の跡である。
4.五流尊瀧院に参拝
五流尊瀧院の裏門に着く。順序が前後するが、役行者の高弟5人が尊瀧院、太法院など5つの寺院を設けたのが五流の始まりで、五流尊瀧院は今なお修験道の総本山である。先の三重塔や後鳥羽上皇の宝塔は五流尊瀧院の文化財である。
裏門を入ると右に三宝荒神が建つ。火の神で火災・災難からの守護神とされる。
左側には庚申堂(こうしんどう)。庚申さまは解説板の通りで、万般において御利益がある神様のようだ。
五流稲荷大明神の鳥居扁額には「最尊位 五流稲荷大明神」とある。最尊位は始めて聞く言葉だが、最上位あるいは最上尊のことなのだろうか。いずれにしてもお稲荷さんだから、稲作・農業をはじめ家内安全や商売繁盛、厄除けなど生活全般にかかわるご利益を引き受けてくれそうだ。
裏門からたどっているので順序が逆になっている。これが修験道総本山の本殿である。ご本尊は十一面観音で、隣接して十一面観音菩薩の像がある。
本殿の前には役小角の立派な像が建つ。修験道の祖と言われるだけあって威風堂々とした姿である。
役小角像と並んで護摩堂がある。毎年旧暦の23日には「お日待大祭」が行われる。護摩堂前の不動明王像のある道場には高さ2メートルの護摩壇が設けられ、全国から集まった山伏の行者約60人により執り行われるそうである。写真右はその不動明王像。
五流尊瀧院の本来の入口部分に差しかかる。御庵室(冷泉宮頼仁親王が設けたと言われる庵)があり、頼仁親王の歌碑が建つ。頼仁親王は後鳥羽上皇の皇子であり承久3年(1223)、承久の乱のためこの地に配流されたのであった。「この里に われ幾年を過ごしてむ 乳木の煙 朝夕にして」とある。
5.帰路は木見駅へ向かう
これが正規の入口だ。正門は閉じられているので脇の通用門から出て左折する。
700~800m行くと左手に「新熊野三山の諸興寺跡」の標柱がある。先に新熊野三山について述べたが、木見に建てた新宮とはこの諸興寺のこと。鎌倉時代の宝治元年(1247)に亡くなった頼仁親王が、諸興寺に葬られたとの記載が歴史書にあるそうだ。
その頼仁親王の墓所は諸興寺跡の隣にある。菊の御紋の付いたフェンスの奥に五輪塔がある。皇族の墓ということで宮内庁が管理している。
いにしえの時代から突然現在に引き戻される。畑に開運招福の絵、カップルの干支の卯が仲良く打ち出の小槌を持っている。行く手にJRの高架が見えてきた。
五流尊龍院から20分ほどでJR木見駅に到着した。ところが岡山行きの普通電車は40分以上も先。風が強く寒さが増してきたが、周辺にもプラットフォームにも寒さを凌げそうな場所はない。時刻は16時20分、昼食をとっていないのでへとへと状態である。切羽詰まれば救われる? 向こうの方に電話ボックスが見えるではないか!
何てきれいな電話ボックスだろう! 中は清潔で塵もゴミもない。メモ用の小さなテーブルまでありNTTと清掃をなさっている方に感謝。その上に弁当とポットを取り出して「いただきま~す」。風が吹きまくり近くのビニールハウスがゴーゴー音を立てているが、ボックスの中は大丈夫。誰も来る気配はなく、ポットの熱いお茶が体に浸み渡る。
30分もかけて遅い昼食をとり、チョコレートのかけらを口に放り込むと疲れが消えていく。新年初回の山歩きはあまり愉快ではなかったが、初詣はたいへん充実していた。今年も変化の多い年になりそうだが、健康と平和を望みたいものだ。ゴミを片付けてテーブルを拭いて、気がつくと、ボックスの外から月がこちらを眺めている。