1.JR清音駅~歴史広場~登山口
清音駅は駅前に集合する。トイレが表側だけなのでここで準備を整える。位置的には反対側の東口の方が福山に近いので、2階を経由する自由通路(跨線橋)を通って駅裏へ出る。
東口から福山が見える。左に低く連なるのは幸山である。1234階段直登コースから登るため、登山口がある歴史広場へ向かって、東にまっすぐ延びる舗装道を行く。
穏やかな田園地帯を進むと用水路沿いの遊歩道と合流する。遊歩道が終わると軽部山を巻くように歩く。
途中に山側からの道と出合い、アーチのようなものを頂く石柱が建つが、刻まれた文字が風化して読み取れない。裏面に「明治18年11月建立」と刻まれているが、何かは分からない。福山が近くに迫ってきた。
歴史広場に到着した。周辺の道路にはたくさんの車が停まり、あちこちにハイカーの姿が見える。相変わらずファンが多い山である。歴史広場に植えられた梅の小さな蕾が、風景を淡いピンクに染めている。おや、古墳のひとつが、まるで大きな口を開けて歌っているようだ!
車の行き交う県道倉敷総社線を渡って、左へと坂を上がれば東屋がある。
2.1234階段を登る
いよいよ階段の始まりだ。最初は緩い傾斜だが、次第に角度が増してくる。
100段ごとに設置されたプレートを確認しながら、ゆっくりと登って行く。やっと500段に到達した。
やっと700段だが、まだまだ、もう少し!
850段のすぐ手前で、左側に「幸山城跡」の道標、右には「浅原」の道標が立つ四差路。とりあえず登りは終わり、左折して幸山城跡へと向かう。
その前に、右の浅原方面への道をカメラに収める。それにしても皆さんは元気いっぱいで、わずかな休止後はすぐに移動が始まる。
3.幸山城跡へ向かう
よく整備された道で歩きやすい。しかしこんな場所もある。大岩が岩の上に絶妙なバランスで乗っている。注意書きに「この岩の上に登ったりさわったりしないでください」とある。「エッ!さわっても危険なの?」と、足早に通り過ぎる。
階段を左折してからかなり下りてきた。福山への登り返しが大変だろうなどと考えていたら、竹の簀の子の下から水が落ちている。近づくと「備中国山手名水」の立て札がある。道が急に平坦になってきた。
三差路を「幸山城跡」の方へ進む。幸山からの帰りには「福山城跡」へ向かって登り返すことになる。
階段を登ると再び「幸山城跡」の道標。あと100mだ。
小さなダウン・アップで幸山城跡に到着する。
解説板が立ち、南にはこの後に登る福山が見えている。
ここからの眺望は抜群だ。北側に総社中心部から吉備路方面のパノラマが広がる。
国分寺五重塔に少しだけズームで近づく。正木山の東山麓にあるサントピアにもズームイン!
4.八畳岩~猿田彦神社
先の三差路を福山城跡へと進むと「西郡方面へ」の道標とベンチがある。福山を取り巻くように緩やかな道が続く。
八畳岩へ着いた。岩そのものは大きすぎて、とてもカメラに収まらない。岩の下には石仏が並んでいる。
八畳岩の左には十一面観音の磨崖仏が彫られている。これは前回は気づかなかったものだ。ふくよかなお顔が印象的である。右側には毘沙門天の磨崖仏が立ち、右手に宝棒、左手に宝塔を持っている。
ここからずっと上り坂が続く。この間に多数の石仏が出迎えてくれる。後で知ったのだが、これらは猿田彦神社の西国三十三観音石仏だそうで、八畳岩の十一面観音は第2番にあたるとのこと(参考: 風工房『風に吹かれて』石仏コレクションより http://blowinthewind.net/sel-sekibutu/sarutahiko.htm)。
以下、出会った石仏の一部にご登場いただく。
小高い位置に石鳥居が現れ登って行く。扁額に「梵天・帝釈天」と刻まれている。猿田彦神社への入口で、ここからも西国三十三観音石仏が並ぶ。
猿田彦神社に着いた。拝殿が比較的新しい感じがする。拝殿には千羽鶴や真っ赤な身代わり猿が奉納されている。
境内には味わい深い石灯籠が建ち、拝殿の背後に梵天神社と帝釈神社がある。
参拝を終えて急な石段を登って行く。
5.福山山頂風景
福山山頂に着いた。われわれの到着と同時に、反対方向からほぼ同数の女性グループが到着した。すでにくつろぐハイカーたちもいて大賑わいだ。山頂広場には「福山合戦忠霊之碑」と「延元元年古戦場福山城址」の石碑が建ち、福山合戦の解説板にはおどろおどろしい合戦の模様が記されている。
山頂から北西方面の大パノラマを横切るように高梁川が流れ、左側の川辺橋から中央右寄りに総社大橋をへて川上へと蛇行している。左手前が清音、右手前に総社の中心部を望むことができる。右端背後にはサントピアがあり、正木山の姿。これと対面するように、中央部分には馬入山と木村山が横たわる。
その正木山をクローズアップ。南西方向の山にズームで迫ると、山頂に電波塔が見える。遙照山あたりかと思われる。
四等三角点を撮影する。休憩所では仲間の女性たちが美味しそうな昼食で歓談、男性たちは岩に腰掛けておにぎりを頬張っている。
山頂の北広場には昭和10年に建てられた「岡山県十勝地」の碑。隣には「福山合戦660年記念碑」と「福山合戦故将士慰霊之碑」。中央広場のものと合わせると碑の多さに驚かされる。
6.下山そして帰路に
三因古墳群(みよりこふんぐん)の道標から1234階段を下山する。三因古墳群は福山の麓に広がる3つの古墳群の総称である。眼下には雲上から降りて行くような風景が広がるのだが、足元から目を離せない。
下山は楽だ。バランスをくずさないよう注意しなければならいが、足を前に出すだけで、もう500段まで下りてきた。
階段の踏み面が狭いところは慎重に、そして、踏み面が次第に広くなり麓に近づいてきた。
古墳が見えてきた。登山口の東屋に到着だ。
東屋からの下り坂の斜面に、可憐な日本水仙が香りを添える。古墳と梅の木がダンスをしているようだ。
帰りは往路より一本北寄りの中国自然歩道を歩く。今日は何十人のハイカーたちと会い、挨拶を交わしただろうか。季節外れの春のような風を感じながら清音駅へ向かう。