1.出発〜スタート地点
備前一宮駅を出て右に回り込み、踏切を渡って吉備津彦神社の石鳥居をくぐる。
吉備津彦命(きびつひこのみこと)をお祀りしており、平安時代にはすでに「備前一宮」として歴代の国司に崇められていたという、由緒ある社である。
境内の左側には稲荷神社があり鳥居の奥に長い石段。ここは石段の手前で参拝する。
さらにその左手に登山口がある。
2.登山口〜龍王山頂上
11時23分に登山口をスタート。すぐに忠魂の碑があり、その手前を右折して山道に入る。
緩やかな坂がカーブしている辺りに「吉備の中山(御陵)1.4km」の道標がある。
右手にかわったものが見える。近づいたら、砲弾のようなものがコンクリートの台座に固定されていた。
左手に藤原成親の供養塔がある。これは石室の上に建てられている。このあたりから坂の勾配がきつくなる。
にぎやかな声が聞こえて上から大勢の子供たちが下りてきた。近くの園児が散歩でもしているのだろうか。かなりの急坂にもかかわらず、慣れた様子で元気よく飛び跳ねている。
続いて神社の職員らしき二人連れが下りてきた。一人はキャタピラのついた小型の動力車を押している。保全作業を終えての帰りと思われる。
龍王山の山頂が近くなった。標識に沿って右に折れて、さらに急な坂を登って行く。
やや傾斜が緩くなり、向こうの方に注連縄を張った大きな岩が見えてきた。
これが「元宮磐座(もとみやいわくら)」だ。少し離れて、八大龍王を挟む形で「経塚遺跡」がある。
説明書きによると、「神社の社殿がまだ無かった古い時代、人々は自然の大きな岩や崖に神様が鎮座されていると考え、これを磐座としてあがめ奉った。吉備津彦神社では、この岩は神社が建てられる以前の元のお宮と考え、元宮磐座の名前を付けて大切にお祀りしている」とのことである。
近くに山頂の標識があり八大龍王が祀られている。
説明板には「八大龍王は龍神で、仏法を守護する神で、雲を呼び雨を降らせる力を持っているとして農耕社会では大切にあがめられ、この龍王山を古くは権現山と呼んでいた。また各地に存在する龍王山と呼ばれる山は、昔、雨乞いが行われた山だと言われている」という意味の解説がある。
下右の写真は、もう一方の経塚である。
龍王山山頂からの眺望。霞んではいるが南東方向に岡山ドームが見える。また北東には、岡山総合グラウンドのKankoスタジアムが見えている。
3.天柱岩〜環状石籬(かんじょうせきり)
続いて200m下の天柱岩へ向かう。天柱岩までは急傾斜の坂が連続し、張り巡らされたロープを利用して下りて行く。
急坂のこのロープには感謝! それと思われる大きな岩柱が見えてきた。
もとは「権現岩」と呼ばれていたのが、「天柱」の文字を刻んでから「天柱岩」と呼ばれるようになったそうだ。どこかで見た文字だと思っていたら、豪渓の天柱山の岩盤に刻まれたものを写したのだそうである。
ふたたび山頂に戻って「お休み岩」を目指す。その途中に「夫婦岩へ 0.2km」の道標があった。
わずかな距離だからちょっと見て行こうと入り込んだら、かなり高度を下げてしまい汗だくで戻ることになる。
夫婦間の距離をもう少し縮めてシャッターを切りたかったのだけれど、立木が邪魔するのでこんな具合になった。
汗を拭きながらたどり着いたのは「お休み岩」。休みたいのを辛抱して進んで行く。
道の両側を注連縄が取り囲んでいる。囲まれている数々の岩は「環状石籬(かんじょうせきり)」だ。縄文時代の祭礼や埋葬に関連してつくられたストーンサークルである。
しばらく観賞した後に腰を落ち着けて昼食とした。このズングリとした岩、どこか王子が岳の「ニコニコ岩」を連想させる。
4.穴観音〜八徳寺〜御陵
歩き始めるとあちこちの遺跡への分岐点があり、御陵の方へと向かう。「石舟古墳」への道標を今回はパス!
有刺鉄線が張り巡らされ「立入禁止 宮内庁」の表示があちこちに。その一角に鉄格子の扉があり自由に開くことができる。
御陵の一角にある「穴観音」である。
平成15年に「中山を守る会」が発見して命名した大きな山桜「吉備櫻」だ。放置すれば枯れてしまう状態にあって、下草を刈り太陽が入り込むように手入れした環境整備の見本でもある。
八徳寺だ。正確には八徳寺遺跡と言うべきなのだろう。山岳仏教が盛んだった平安時代には、高麗寺の金堂があったと伝えられている。
このあたりから、紅い前掛けをしたお地蔵さんが道の両側に並んでいる。「山道・神の道・仏道」と記した案内板が立つ。
茶臼山古墳に行くはずが、「吉備中山 0.1km」「牛王山八徳寺参道入口」「平安桜」などの標識が並ぶ、黒住教本部側からの上り口まで下りてきてしまった。
再度上って別の道を下りると岡山県古代吉備文化財センターに出た。
岡山県古代吉備文化財センター側から、もういちど山へ戻る。
やっと御陵に着いた。正確には中山茶臼山古墳で、大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)の陵墓として宮内庁が管理している。
正面に設置されているベンチで休んでいると、陵墓をお守りしている宮内庁職員の方にお会いすることができた。
正面右端にある標石が備前と備中の境界を示していることを教えていただき、写真に収める。考えてみれば、このコースは備前吉備津彦神社からスタートして、備中吉備津神社へと歩いているのだった。
5.鏡岩・八畳岩〜ダイボーの足跡
御陵を後にして鏡岩へ向かう前に、ふたたび穴観音に差しかかる。御陵は古墳時代前期(西暦3世紀後半〜4世紀)の前方後円墳であり、穴観音の上に当たる部分が円墳になっていたのだ。
鏡岩へと進んでいくとアンテナに遭遇した。TV受信用の共同アンテナのようなのだが、多数のボックス類が取り付けられていて痩せ型のロボットのようだ。
アンテナのある広場に三等三角点が設置されている。
鏡岩に着いた。参道に沿って大きな岩がいくつも並んでいる。最南端にあって、表面が平らに削られているのが鏡岩だ。削られた岩の表面には、記号のような無数のシワが刻まれている。
そして、これが八畳岩。大きな岩が散乱しているが、ひときわ大きな岩がそれだ。
八畳岩から10分ばかりのところに「ダイボーの足跡」と呼ばれる大きな窪地がある。大きなお坊さん(大坊)の足跡であるとの伝説があり、縦横20mもある窪みだ。
6.下山そして帰路に
午後3時過ぎ、御陵に戻って下山にかかる。吉備津神社方面に向けて長く延びる階段を下って行く。重力がじわりと膝を圧迫する。
降りた先の舗装道路を足早に歩く。
すぐに道が分かれ、左の歩道を吉備津神社へと向かう。
吉備津神社から上がってきた場合は、この地点が吉備中山との分岐点になる。
歩道のあちこちに竹箒や塵取りが置かれていて整備清掃が徹底されている。
下り立った地点は吉備津神社の西詰め旧社務所門の付近だった。本殿には出向かずそのまま駐車場方面に向かう。
参道を抜けて国道を渡ると「てくてくロード」の道標。15時40分頃、無事にJR吉備津駅へ到着する。