1.JR服部駅〜経山登山口
9時3分、岡山駅から30分足らずで服部駅に到着。駅前を左に歩くとすぐに鬼ノ城方面の道標があるので、それにしたがって右折し北に進む。ここから砂川公園までは2kmほどだ。
間もなく用水路に出るので左折して川沿いを歩き、最初の十字路を右折して北に進む。十字路には鬼ノ城への道標が設置されている。
その後は道なりに歩く。7〜800mで道路はゆるやかに左へとカーブし、さらに500mほど進むと砂川公園に出る。
砂川公園はずいぶん広い。目的の「砂川の森は」西の端にあるので、さらに1km以上歩くことになる。公園管理事務所の前を通り、バス用駐車場前を通って車道脇を進む。公園管理事務所から右に入り、橋や歩道が整備された砂川沿いの公園内を歩いてもよい。
注意しなければならないのは、鬼ノ城一帯には店も自動販売機もまったくないので(ビジターセンターも同様)、必要な飲料水はこのあたりの自動販売機で買っておかなければならないことである。
鬼ノ城への車道と「砂川の森」方面との分岐に出合う。左を直進すると500mほどで「砂川の森」に着く。
右折して「砂川の森」に入り舗装道を行く。このあたりが「ふれあい広場」で、道路の左側にはキャンプ場や広場が整備されている。
緩やかな上り坂がやがて車道終点になり、突き当たりの右側から山道が始まる。
道端に「経山城跡」への道標。ここが実質的な登山口である。服部駅に着いてからすでに1時間を超えている。
10時10分にスタートだ。
2.急坂標識〜経山頂上
登り始めてすぐ、2カ所の小さな沢を渡る。
10分ばかりで「この先急坂あり」の標識。少し手前で、ポケットに入れていた地図を紛失し慌てて引き返す場面も!
急坂の手前で良かった。
窪みで段差をつけた坂、石を積み上げた坂はどちらも急ではあるが、段差が小さくて歩きやすい。
ていねいに木材で組まれた階段を上ると、No.350送電鉄塔に到着した。
送電鉄塔付近から、あちこちにスズメバチ注意の標識が立っている。耳をすませるが羽音はまったく聞こえず安心して前進。
平坦な道に変わり道端にはワラビが群生している。ゼンマイとワラビの若葉がアンサンブルを奏でて山頂へと誘っているようだ。
やがて五差路に到達し経山城跡に向かう。山頂へとどんどん登り進む。
これが経山城跡だ。天文年間(1532〜1553)に守護大名大内氏によって築かれた山城だが、1582年に城攻めにあって廃城になったらしい。
新山集落と鬼ノ城方面がよく見える。経山を下りてからは、向こうに延びる道路を通ってビジターセンターへ向かうことになる。鬼ノ城をちょっとだけズームインしてみる。
11時15分に山頂へ到着して四等三角点を撮影し、近くに立つNo.352送電鉄塔と山陽自動車道を確認する。
周囲にはこんな道があり、あちこちに石垣や石塁などが残されている。
3.経山下山〜鬼ノ城ビジターセンター(ウォーキングセンター)
再び五差路に戻ってビジターセンターの方へ降りて行く。5分ほどで車道が見えてきた。
車道に下り立った。ここが経山分岐・車道出合地点だ。鬼ノ城への車道の先には新山集落の家屋が見えている。
車道の左手には石仏や石碑が立っている。
平日のためか車の走行は少ない。左手の山にかけて新山の民家が建ち並ぶ。何とも懐かしい風景だ。
舗装道の上りは単調で退屈。時折り、藤の花の芳香が元気をつけてくれる。道端にナラガシワの大木があった。
鬼ノ城駐車場には思ったよりもたくさんの車が停まっていて、鬼ノ城山から降りてくる人たちが何組もいる。
11時52分にビジターセンターに到着だ。
ビジターセンター内に「北の吉備路ウォーキングセンター」がある。屋内でゆっくり休憩できるようになっている。
ちょうど昼時なので、ビジターセンターの庭に面した長椅子で弁当を広げることにした。
4.犬墓山〜岩屋探索〜岩屋休憩所
昼食を終えて12時25分にビジターセンターを出発し、中国自然歩道を挟んで反対側の犬墓山登山口から登り始める。
階段を上がって急坂を登ると、すぐに木々に囲まれた平坦な道になる。森林浴をしながら深呼吸、ゆっくりと歩く。
大きな花崗岩がゴロゴロころがっていて、彼方に鬼ノ城が見えている。午後も青空が広がり最高のコンディションだ。
20分足らずで犬墓山への道標があり、それを右折すると犬墓山である。
広場に森林の復元についての掲示板があり、脇に取り付けられた温度計は22℃を指していた。
展望台からは鬼ノ城山と遠くの山々を望むことができるのだが、どこにも山頂の標識が無く三角点も見つからない。
地図を見直すと、三角点の位置は展望台より少しだけ手前にあるように思われ、山道の両側を注意深く確認しながら引き返す。すると、さっきの道標の手前にある木立の間に白い棒が見える。踏み込むと間違いなく三等三角点だった。
三角点から岩屋休憩所の方向に15分で三叉路道標に出合う。皇(みかど)の墓の方向へと右折して、左手に小さな池を見ながら進む。
9分ばかりで皇の墓へ着く。標識の裏に解説があり、「岩屋寺の開祖である善通大師の墓と伝えられており、大師が文武天皇の皇子であることが皇の墓の由来」と記されている。付近に石仏と祠があった。
続いて岩切観音の方へ進んで行く。
大きな岩が組み付けられたように並んでいる。岩切観音は左側の一番大きな岩に彫られている。それにしても、どうやってこの大きな岩を三段重ねにしたのか不思議である。
岩切観音から馬頭観音へと移動中に、「汐差岩」と「方位岩」の名札が立てられた巨岩がある。帰ってから調べると、岩の上に方位磁石のように真北を向いた石があるのが方位岩の由来。また、その石を切り出した部分に水が溜まっていて涸れることがないので、汐差岩と呼ばれるようになったとのことである。したがって、これは二組の巨岩ではなく一方の巨岩に付けられた一対の名前らしいのだが、真偽のほどは分からない。
馬頭観音に到着した。祠の中のお姿をクローズアップさせていただく。
馬頭観音は展望のスポットでもある。北西に吉備高原を望むことができる。
続く八丈岩は、大きすぎてカメラに納まりきらない。
さらに鯉岩と鬼の餅つき岩へと進む。
鬼の餅つき岩から下に回り込むと鬼の差し上げ岩がある。比較する対象物がないので大きさがわかりにくいが、案内板によると、岩窟の天井部の岩だけで縦15m、横5m、厚さ5mだという。また、鬼のモデルと言われる温羅(うら)が、この巨大な岩を持ち上げて岩窟を造り住みかにしたという伝承から、この名前が付けられたということである。
何にせよ、とてつもない巨岩である。祠の部分は、裏の岩に彫られた不動明王を囲むように建てられている。
鬼の差し上げ岩がある広場の反対側に、美しい姿の岩屋寺がひっそりと建っている。長い階段を降りて振り返ってみた。
岩屋寺から降りて、隣り合った階段を上ると観音堂があった。今は閉ざされているが、庭はきれいに手入れされている。
岩屋休憩所へと急ぐ。途中に立派な民家があった。
14時28分、岩屋休憩所に到着。左手前が休憩所、奥はトイレ。右の石垣の上は駐車場になっており、中央に案内板が設置されている。
休憩所で小休止をとる。この休憩所から岩屋集落の家々を望むことができる。
5.棚田〜鬼ノ城北門跡〜鬼ノ城周回〜ビジターセンター
14時38分に岩屋休憩所を出発して、棚田経由で鬼ノ城へ向かう。棚田の手前には木立越しに農家が見えている。
近年しだいに荒廃が進むなかで、よく手入れされて水を張ってある美しい棚田の風景だ。田植えが終わって苗が生え揃えば見事な景観になるだろう。
細い山道を抜けると舗装道に出た。岩屋分岐である。
岩屋からさらに北門への分岐に出た。14時53分、これから鬼ノ城北門へと登って行く。
木段の急坂を登ると15分ほどで北門跡に着く。
このあたりには多数の岩が散乱しており、あちこちに石垣が見える。大きな石を敷き詰めた北門が再現されている。
これから鬼ノ城山を右回りで巡る。以前は第二城門があった部分が立入禁止になっており、見学路案内図の現在地を示す名前が消されていた。何があったのだろうか?
土塁を通り抜けて第二展望台へと向かう。
第二展望台に到着した。こちらからみると、大地が天空にせり出しているように感じる。
第二展望台の先端に立って、南から北東に向かっての眺望である。眼下には鬼ノ城ゴルフ場が広がり、倉敷から岡山方面がよく見える。また北東には岡山空港がはっきり見えている。やや霞んではいるが、瀬戸内海方面から玉野市や赤磐市の山々も視野に入っている。
第二展望台からやや離れて屏風折れの石垣を望む。この位置にこれだけの石垣を組むとは、すごい!
● 東門跡と眺望
● 千手観音磨崖仏と第二展望台の屏風岩
● 南門跡と眺望
※びっしりと敷き詰められた板石。
敷石は、日本の古代山城では鬼ノ城にしかない珍しいものだそうである(解説板より)。
● 西門跡
● 角楼跡
角楼からビジターセンターに向かう途中で振り返ると、角楼と西門が目に焼きついた。時間が急いていることから、次の分岐はビジターセンターへと直行して16時30分に到着。小休止して下山に取りかかる。
6.下山〜砂川公園〜JR服部駅
ビジターセンターからの下山開始は16時35分。鬼ノ城までの距離表示板に目をやりながら、舗装道路をひたすら歩く。
赤坂池まで降りて来ると、次第に渓流のせせらぎの音が大きくなってきた。
17時16分、鬼ノ城までの車道と「砂川の森」との分岐に戻った。少し歩いて砂川公園のベンチに腰を下ろし、リュックに仕舞い込んでいたパンを食べて体力を回復する。
その元気で、17時56分に服部駅に無事帰着し、18時1分の列車で帰路についた。