1.目印の句碑を目指して
一両編成のディーゼルカーで弓削駅に到着。この駅舎は岡山県最古の木造駅舎で、築後120年を超えている。利用されなくなった事務所部分は、誕生寺支援学校のアンテナショップ「野の花ショップ夢元」として運営されているが、今日は休みだった。
駅前には久米南町のマスコット、河童の「カッピー君」がお出迎え。その横にもカッピー君、向こうの石碑には
「俺に似よ おれに似るなと 子をおもひ」
と弓削川柳草創期の指導者の句が刻まれている。けだし名句である。
こんな陽気な川柳を眺めながら左手の通りへと歩く。
この道標を見て右折したのが大間違い。もう少し丁寧に地図を見るべきだったのだが、緩やかな傾斜の道を軽快に進む。
振り返ると遠くに雪を頂いた泉山。さらに上へと進む。
思わず「エッ?」。右に見えるはずの池が左に現れて、予定のコースから大きく離れていることが分かる。左にターンして池の北側を東へ進む。
突きあたりを右折して登って行くが、民家を通り越した先は防獣フェンスで通行止めになっている。
近くの民家で七面山御滝、愛称「お滝さん」への道を尋ね教えていただいた方へと下る。やっと計画していた道にたどり着き、「七面山・お滝様」の道標に出合うことができた。予定より20分近く遅れている。
緩い傾斜の舗装道路を進むと右側に東屋が見えてきた。立ち寄って水分を補給する。
周辺には「有害鳥獣捕獲(わな猟)」の紙片が吊されているので要注意。道端を避けて仕掛けのない真ん中を歩く。
橋が現れたので地図をチェックすると、すぐ先に目的の句碑があることが分かる。
そして、間もなく句碑と対面。耳を澄ませるが、一尺の水音は届いてこない。
2.七面山御滝から林道(分岐2)へ
右側の清流は泉川。ところどころに小さな滝状のものがある。閑かな道を進むと「奉祭・七面山御滝」の幟が見えてきた。幟に囲まれた一角は駐車場だ。
駐車場に隣接して石像があるが、台に刻まれた文字が判別できず何か分からない。
チェーンが張られていて車の人はここまで。すぐ手前は小さな駐車場になっている。横の石段から上がって行くと「七面(しちめん)大明神」の社があり、扁額には「地水神並諸善神・七面大明神・北辰妙見大菩薩」。
社の解説板によると、七面山御滝は洗顔清水(せんがんしみず)とも呼ばれ、この水で鬼面を洗って祈雨すると必ず降雨があったと伝えられている。またこの清泉で醸造した弓削の焼酎を後醍醐天皇に献上したところ、「正酎」と命名するよう栄誉を受けたとの逸話が残されている。
「南無妙法蓮華経」の幟が立っていることと、後の調べで「七面大明神は日蓮宗系で法華経を守護するとされる女神」であることが分かったので、先に見た石像は日蓮聖人なのかも知れない(ちょっと表情が違うように思われるが)。
境内には東屋があり「観瀧亭」の額が掛けられている。小休止したかったのだが、遅れ気味になっているのでいそいそと登って行く。で、とんでもない失敗をしてしまうことに!
実はこの祠こそ御滝様を祀っているのであった。屋根の上部にある水道管が谷まで延びていて、その先から滝が流れ落ちていたはずなのだが、気配すら感じることができなかった。そんなことで、隣の水飲み場へと迷わず通り過ぎたのだった。
いよいよ山道になってきた。ここから先は地図にない道で、ピンクテープと踏み跡を頼りに前進する。まずは溝のような沢をまたいで山に入る。
少し踏み込んだ位置のピンクテープ。木に貼り付けた黄色テープには「やまなみ、泰山寺跡、上二ケ」と記されている。進行方向はこれでOKだ。ところどころに「下弓削住民会」のプレートがある。この会の皆さんが山道を整備されていることがわかり、感謝!
ひたすらピンクテープを探しながら、踏み跡を確認し倒木をまたいで登って行く。歩くことに集中できて気持ち良い。
30分少々で分岐2に到着する。最後のピンクテープには「お滝様下山道」と書かれている。
3.小丸山山頂へ
林道に出たのでしばらく周辺を歩き回る。東方向へ進んでみてUターンする。
分岐2へ戻ってコンパスで進行方向を確認する。歩き始めると道が掘り返されている。イノシシの仕業だ。
10分ほど進むとあちこちに石仏が現れる。カメラにお姿を収めながら雑木のトンネルを抜ける。
道の両側は雑木の繁茂で眺望を得られないが、柔らかい日差しと清々しい空気に包まれて最高のウォーキングだ。分岐が現れたので歩きやすそうな左を選ぶ。このあたりが泰山寺跡のはずである。
赤テープを巻いた木が立っていて、その先が三差路になっている。
地図の分岐3に着いたらしいのだが、それに気づかず直進してしまった。地図には小丸山へのルートしか描かれてないが、他にいくつか分岐があったり目指す道が無かったりで、実際の地形が地図とシンクロできない。三角点がある331メートルのピークへ立ち寄りたかったのだが、進入口が分からなかった。
しばらく進んだが何となく様子がおかしいので引き返す。しかし、引き返した地点が本当に分岐3かどうかの確信が持てず、とりあえずそうであると仮定して、コンパスで小丸山と思われる方向へと踏み出す。
少し進むと舗装道路であることが分かった。それにしてもあまりにも歩きやすい道なので、計画ルートから外れてないかと不安になる。次から次へと石仏が現れて歓迎されているようだ。
しばらく進むとまた分岐があり右を選ぶ。陽が当たらない場所には残雪があり、急に下降し始めたので引き返す。
左の道はフラットで歩きやすい道が続く。また石像が姿を見せる。左下の方から採石のクラッシャーのような音が届いてくる。
石仏が姿を消して数分すると電波塔が見えてきた。防災無線中継局と久米南テレビ放送所が併設されている。ということはルートは間違ってなかったわけだ。少し引き返せば小丸山山頂があるはずだ。
ゆっくりと右側を確認しながら戻って行くと、幹に赤テープが巻かれているのに気づく。案内板などはないのでこれが何かわからないままによじ登ってみる。木々をかき分けて進むと三体の石仏が並んでいる。
これがそれぞれのお姿だ。右端の石仏の向こうに赤テープがあるので近寄ってみる。
おお、山頂標識ではないか。そしてその下方に三角点が設置されている。
4.泰山寺と龍川神社を参拝して弓削駅へ
時刻は14時前。まだ昼食をとってないので急いで下山にかかる。変わった形の石像があり「役行者大菩薩」と刻まれている。やがて防獣ゲートに到着した。
上二ケ(かみにか)地域に着いたが、ここで行きつ戻りつの迷子状態になる。とにかく三差路から五差路まで分岐のオンパレードである。
分岐で選んだ道を歩き出すとまた分岐に出くわす。そして傾斜のきつい道をしばらく歩くことになる。
突き当たりのT字路でこの地域初めての道標に出合う。
分からないままに「畝公民館」の方へ歩いてみると、今度は「上二ケ原」の道標があり、また上りの急坂を歩くことに。
何やら先に居た場所に戻り着いてしまい、ここで力尽きて道端にて昼食とする。遠く泉山を望みながらひと休みして、さらに坂道を上がって行く。先に通過した泰山寺跡から遷座した現在の泰山寺を訪ねたいので、もう一踏ん張りだ。
これが畝公民館だった。グーグルマップを見ると、このあたりは道路がメッシュのように張り巡らされている。泰山寺への見当をつけて西へと曲がりくねった道を下り進む。
愛嬌があるマンホールの蓋を見ながら下りて行くと県道52号(勝央仁堀線)に出た。
左折してしばらく進むと左に「園密山・泰山寺」の石柱がある。左折して泰山寺に参拝する。天平勝宝6年(754)に創建された密教寺院で、鑑真和上の開基。昭和33年にここへ移ったとのこと。
信号機と踏切がある交差点まで引き返すと右側に龍川神社の石鳥居がある。
石段を上がって龍川神社に参拝。右側にはいくつもの末社が並ぶ。
かなり行きつ戻りつが多かったがこれで山行計画を完遂。再び交差点に出て弓削駅へ向かう。
弓削駅に帰着した。駅舎の内部には色紙に書かれた川柳8首。木のテーブルと椅子が設置されている。列車待ちの生徒たちが本やスマートフォンを片手に、静かに時間待ちしている。ここでも時間の流れは緩やかだ。