1.出発〜スタート地点
瀬戸駅の南口を出て西に進む。用水路に沿って南へ歩くと橋があり、2つ目を左折する。
右側に「ふれあい公園」があり、左手の鳥居をくぐって築領八幡宮へと進む。
スタート地点になる築領八幡宮に着いた。まずは石段を上って参拝する。
小ぶりではあるが生き生きとした表情の狛犬が神社を守っている。
2.登山口〜鉄砲山
鉄砲山の登山口は築領八幡宮境内の左側にある。急坂を上がって行くとやがて丸太の階段にかわる。
7分ばかりで平坦な場所に出る。積み石の台座に社があり高岩経塚と記されている。
ここから山道は鉄砲山へと方向を変える。同じ方向に2本の道があり、鉄砲山頂上まで710mと305mの2つ道標。305mのほうを選び右側の道へと進んで行く。
マイクロウェーブの反射板を通り過ぎると小さなアンテナ群が見えてきた。
築領八幡宮から20分ばかりで鉄砲山の山頂だ。ゆったりとした広場があり、中央の盛土の真ん中に3等三角点がある。
広場を取り巻くように立っている電波塔。
鉄砲山から南面の眺望。遠く瀬戸内海や小豆島が望める。
鉄砲山では、後から登ってきた爺様としばらく話す。さらに向かい手から来たおじさんも加わる。
これからのコースについて話すと、物理城跡を経由して展望の丘に至るルートは、大昔に一度歩いたことはあるが大変苦労したこと、そして最近はそのルートの話は聞いたことがないという。
ルートが見つからなかった際の迂回ルートについて細々と説明してくれ、いささかお節介な話だと、その時は軽く聞き流していたのだが・・・・。
3.尾根道探索
鉄砲山の山頂から北東に向かった舗装道路がついている。爺様たちはこの道を歩くようすすめてくれたのだが、竜王山をコースに組み込んでいるのでできれば尾根道を歩きたい。
しばらくすると予定していた尾根道への進入口が現れたので、迷わず入って行く。
踏み跡がしっかりついているし、木に巻きつけられたピンクのテープが誘導してくれる。しかし、いかにも古そうなテープの脱色が気にかかる。
しだいにヤブコギが必要になり、見つけにくいテープを探しながらの前進となった。やがて倒木が行く手を阻み、どちらを向いても雑木のバリアに閉ざされてしまう。
地図を読むと、尾根道は舗装道路の上方に平行して延びている。ということは、左下手に舗装道があるはずだ。注意深く確認すると、雑木越しにそれらしきものが見えた。
ここで尾根道を断念し、雑木や蔓やイバラと格闘しながら脱出。竜王山縦走は計画から外すことになった。
送電路の真下にNo.49鉄塔への巡視路を見つけて入り込む。竜王山から車道出合までのルートを確認したかったのだが、展望がきかないので鉄塔を眺めただけで引き返し、ふたたび舗装道を歩く。
三差路に出た。右に折れて、送電線の位置と左側への進入路に注意しながら進んで行く。
ガードレールが切れたあたりに細道がある。標識はないがNo.50鉄塔への巡視路と判断。物理城跡への尾根道にはここから入り込めるはずだ。
よく整備されている山道を進むとNo.50が姿を現した。
予定時刻より1時間以上も遅れてすでに13時30分だ。鉄塔の下で昼食をとることにする。
4.ひたすら舗装道路を歩く
昼食もそこそこに尾根道を探すが、まったくそれらしい場所が見つからない。鉄砲山での話通りの展開になってしまった。
手持ちの地図は山岳部だけなので、南側の細かい道路事情はわからないのだが、ここは南へ移動する他ない。
進むほどにどんどん高度が下がる。途中に大量の稲藁ロールを収納したサイロがあった。
大きな池の向こうに鉄砲山が見えている。双眼鏡で覗くと、爺様たちと語り合った山頂が見えた。今となっては助言に感謝である。
下りてきた道路は、宗堂桜で有名な宗堂へ続くことがわかった。歩いての山道5kmは遠いけれど、車なら15分もあれば十分だろうなどと考えながら、県道221号を東へとひたすら歩く。
そうこうしていると願興寺への案内板が目にとまる。ルートは大幅に変わったが、願興寺を目指せばNo.27鉄塔付近から「展望の丘」に向かうことができるはずだ。
5.願興寺〜三谷山展望の丘
畑中の舗装道を急ぐと、15分ほどで地図上の鳥居記号と合致する石鳥居を確認することができた。「雨垂布勢神社(あまたれふせじんじゃ)」とあった。
さらにしばらく進むと願興寺の仁王門にさしかかる。金剛力士のお姿をデジカメに収めて前進。
到着した願興寺は本堂を改築中。工事関係者がにぎやかなのでここは通過する。
願興寺の駐車場付近に瀬戸町森林公園の案内図があり、これを見て「展望の丘」の位置を確認する。しかしこの道路の繋がりは、手元の25000分の1地図とまったく違っている。
一見するときれいではあるが、これでは枯れ木の賑わいだ。松食い虫による被害なのだろうか、こんな風景があちこちに見られる。
森林公園の道標がある。右を上がって行くのだが、このルートは手元の地図には載っていない。どうも地図が古いらしい。利用している国土地理院の25000分の1電子地図は2008年10月が最終版であることから、この部分はそれ以降に開通したのだろう。
上がって行くとまた舗装道路だ。これも地図に出ていない。双眼鏡で鉄塔No.を確認して、おおよその位置を把握することができた。
「三谷公園」と「いこいの森」への分岐だ。道標にはもうひとつ「歌碑の小径」とある。その方向には丸太階段があり、これを上がって行く。
昨年の森林火災はこの辺りを襲ったらしい。黒こげの木々が残る山道を登って行くと「展望の丘」で、中央に三角点がある。
ここからは360度のパノラマを楽しむことができる。双眼鏡を覗くと、雪をいただく大山と那岐山の山並みが美しい。
これが望遠で寄った那岐山方面の雪景色だ。
2011年4月に発生した山火事の後遺症がひどい。展望の丘の周辺は、かなり広範囲に渡って木々が消失している。また伐採されているものも多く、焦げた丸太が道端に積まれているのが痛々しい。山では絶対に火を出さないように気をつけなければならない。
一方、木々がすっかり無くなったことで最高の眺望が得られているようにも感じられて、何とも妙な気分になってしまう。
6.三谷山・見はらしの丘〜三谷公園
三谷公園への山道は倒木で通りにくい部分もある。
この付近ではこれが最後のまともな道標かも知れない。この後の「みはらしの丘」から三谷公園までの道標は大半が古い木製で、朽ちていて道しるべとしての役目を果たしていない。
丸太で補強された山道を登り始めると、一部で崩落が発生している。崩れて細くなっている部分を注意深く進む。
南には先に登ってきた「展望の丘」が美しい。時刻はすでに16時半近くになっているので、気をつけながら先を急ぐ。
太陽がかなり傾いてきた。進行方向にできた影が長い。
上り道が下りに変わってきて、いつの間にか三谷山の山頂を通過してしまったようだ。ほとんど展望がきかないので時間距離の感覚だけが頼りだ。
おやっ、またもや道が険しくなりそうだ。
ふたたびヤブコギを覚悟して入り込んだが、ビニールテープに代えて白いビニール紐の輪っかの目印が付けられている。
目印はここ「みはらしの丘」まで続いていた。
ベンチがあったので小休止するが、夕暮れが迫っているので落ち着かない。吉井川と熊山の展望は抜群で見とれてしまう。橋の列に少しだけズームイン!
滑りやすくて危なっかしい急坂を東へと下って行くが、ところどころ草木が少なくて手で姿勢を確保しにくい場所もある。こんな急坂では、か細い木々の枝でさえ絶大な力を与えてくれる。そっとバランスをくずさないように手を添えて力を借り、もう一方の手でストックを操りながら下りる。
急坂を下りきったところにある朽ちた道標。北東側をのぞき込むと、吉井川に吸い込まれそうな感じがする。
東尾根先端の鉄塔巡視路入口までたどり着いた。ここの道標も朽ち果てている。
道はヘアピンカーブ状に三谷公園へと向かう。左側が谷になっている細道を下って行く。
かなり下りたところで丸太階段に出合う。みはらしの丘に登らず三谷公園を目指していれば直接この階段に出たのだろうが、道標が朽ちているので判然としない。
公園が近づいてきた。何だろうかと寄ってみるとまたもや朽ちた道標。
やっと三谷公園に降り立った。東屋があり、ベンチがあり、掲示板や道標もしっかりしている。
どうやら、車での来訪者が多い部分はしっかり整備できているようだ。
公園の北に面して金剛童子がある。かつて吉井川を高瀬舟が上り下りしていたころ、安全祈願のために誕生したとのことである。現在は子供の守り神として信仰を集めているそうだ。
7.そして帰路に
県道252号の歩行者レーンは狭い。交通量がさほど多くないので、車が通らない間をぬって足早に進み、車が近付くと立ち止まってやり過ごす。
10分ばかりの移動だったがくたくたに疲れる。吉井川沿いの河川管理用通路に出合ってホッとする。
真っ赤な夕焼けを眺めながら吉井川の堤防を万富駅に向かい、灯りがともるころに到着。無事の帰着に感謝だ。