名 称

たいこやま~しろやま

所在地

岡山県真庭市勝山

標 高

太鼓山 260m、城山 312m (太鼓山の標高は山頂解説板による)

山行日

2023年3月3日

天 候

晴れ

同行者

なし

アクセス

中鉄バス・勝山~岡山線で終点の中国勝山駅下車

マップ

※ピンク丸の部分は地図に記載がない推定ルートです
    

このマップは、国土地理院の電子国土Webシステムから提供されたものを使用しています。

コース概要

JR中国勝山駅前出発 10:10化生寺・玉雲宮(かせいじ・たまもりぐう)10:18~10:25太鼓山登山口 10:28
太鼓山山頂 10:41~10:53車道出合 11:06木道の橋 11:12⑤標識 11:25林道出合 11:34
四差路 11:36三角点・東屋 11:37~11:53城山登山口 11:57城山山頂 12:09~12:33
城山登山口 12:45城山グラウンド 12:52車道出合 12:58国道出合 13:10駅前分岐 13:16
== ひな祭りの通り散策 ==JR中国勝山駅前帰着 13:55

1.太鼓山の登山口へ

 岡山駅東口バス停9番乗り場から8時6分発の中鉄バスに乗る。男は5~6人で内4人は仕事で出張か、あとは高齢女性が多くて満席状態だ。乗客にザックを当てないように後方座席へ移動する。因みに片道運賃は2,220円だが往復なら2,700円、何だか得したような気持ちで往復券を購入する。
 寒い朝なのだが、久しぶりの岡山・勝山線バスの窓外には春の陽に煌めく風景が展開する。JR中国勝山駅前には9時55分に到着した。

 勝山駅正面の交差点を渡って北へ直進する。緩やかな坂道が続き、右に美作県民局を見ながら進む。

 突き当たりに赤い鳥居が見えてきた。左の石柱には「勝山歴史さんぽ道」、右は「玉雲大権現」と刻まれている。

 赤い鳥居の扁額にも「玉雲大権現」とある。その奥に見えるのが玉雲宮(たまもりぐう)だ。隣接して化生寺(かせいじ)が建つ。はっきりしないが玉雲宮は化生寺の鎮守社であるらしい。

 赤い鳥居の奥には神門があり、それをくぐると拝殿がある。

 隣り合った化生寺は十一面観音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院である。鎮守として九尾の狐・玉藻前伝説の殺生石が祀られている。脇に長文で殺生石の由来を刻んだ石碑があるが、内容は省略。

 それぞれの参拝を済ませて、左側の歩道を進むと木段の坂道になり、ここが太鼓山の登山口だ。

2.太鼓山を歩く

 すぐ上に「城山森林公園案内図」が設置されている。

 振り返るとこの眺望。丸太の階段を登って行く。

 およそ200m、ジグザグに折り返す丸太階段が続く。

 やがて傾斜が緩くなって、平坦地の左側に現れた分岐を登る。

 中国勝山テレビ放送の中継所がありアンテナが建っている。ここが太鼓山の山頂なのだが、草木が繁って眺望は得られない。ヤブの向こうに何かが見える。

 反対側に回り込むと太鼓山の解説板だった。「太鼓山は出丸ともいわれ、城山の前面に位置した縄張りである。標高260mの曲輪がある。明和元年(1764)に三河国西尾城主三浦明次が入部して、時を告げる太鼓櫓が山頂に建てられたことからこの名がある」と記されている(要約)。広場の隅に「出丸跡」の表示がある。

 小休止して下山にかかる。木の間から見えるのは城山だろうか。

 こちらも丸太の道が整備されている。歩きやすい道だ。

 10分ほどで車道が見えてきた。車両乗り入れ防止だろうかチェーンが張られている。

 ここを左折すれば予定していた城山への車道へ繋がるのだが、それが分かるのはずっと後、下山の時だ。右に見える案内板の方へ向かう。かつて城山山上にそびえていた高田城の解説板である。

 少し進むと左に木道が見えてきた。緑色の案内板が立っている。

 「木製遊歩道・城山みち」の案内板で、このあたりから城山へ登れることが分かる。すぐ近くには梅が満開だ。

 木道を進むと左手に、川をまたいで山側へ入る木の橋が現れた。

3.城山の登山口へ

 山が招いているようないい雰囲気の場所なので、うかつにも地図の確認を忘れていた。コンパスもサイドバッグにしまったままだ。歩きやすそうな丸太の道が延びていて、迷うことなくこの木橋から城山へ向かうことにする。しかし後で確認すると、ここから先は地図に道の記載がないゾーンだった(マップのピンク丸部分)。

 よく整備された九十九折りの道だ。ところどころで分岐に出合うので傾斜がきつい方を選んで進む。

 同じような道が続いているので、地形を忘れないように気をつけて前進する。

 急坂を登り切ったところに左上への道があり、その先に柵が見えてきた。

 「ウォーキングコース⑤」の標識が立つ広場に出る。だがここは袋小路になっていて、引き返す他ない。

 先の位置まで引き返して逆方向へ進む。しばらくは平坦な道が続く。

 やや下降して再び上り道になる。

 山道が終わって林道に出合った。何かわからないが小屋がある。現在地が判らずGoogleマップを起動する。ここは262mピークの南で、城山の東の尾根道を歩いていることが判る。

 舗装道路をそのまま北へ直進する。

 四差路に出た。車道が左側から上がってきている。右側も車道だが鎖が張られて通行止めになっている。真ん中の小高い場所への階段を登って行くと広場で、突き当たりに休憩舎がある。

 四等三角点を見つけてタッチ! 休憩舎へ戻って小休止し、城山山頂への経路を確認して四差路に戻る。

 左側の道を進むと緩やかに左へカーブして、右側に何やら案内板が立っている。

4.城山へ登る

 「風致保安林」の看板で、傍の木にピンクテープが巻き付けられている。ここが城山の登山口に違いない。念のためにGoogleマップのナビを起動して登りを開始する。

 少し平坦な道が続くと右側にまた案内板が現れた。

 「竪堀と堀切」の解説板で、その両側には急傾斜の深い溝が掘られている。山城特有の防御施設で、これによって敵の侵入を遮断あるいは挟み打ちにするものだ。さらに急な階段を登る。

 「城山山頂」の道標に沿って登る。

 ジグザグの急坂が「これでもか」と続いて根くらべ、息が上がる。ナビゲーターの目的地までの距離が狂ったように増減を繰り返している。

 この階段を登って右に曲がるとまた階段がある。

 広場に到着する。端の一角に丸太を組んだがっしりとした休憩舎があり、その手前に「高田城」の解説板が設置されている。これは太鼓山からの下山時に車道出合で見たものと同じである。

 さらに階段があり、その上が山頂、つまり高田城の本丸跡である。勝山の地名の由来には諸説あるようだが、江戸時代に三浦氏が大名として当地を治めることになったとき、高田城を勝山城と改称し藩を勝山藩としたそうで、その後これが勝山村さらに大字勝山となり現在に至っているとのことである。

 山頂からの大展望を期待していたのだが、木立に遮られて視野は限定されている。これは西側で、旭川とロマンチック街道313、それに出雲街道を挟む勝山の家並みが見える。

 これは北側で、組地域から横部地域の家並みと東福寺がある北の山々が見えている。

 丸太の休憩舎のベンチで足の手当をする。左足首の内側が痛むので、小さなビニール袋に包帯を厚めに重ねて詰め、テーピングテープで止めて完成。靴とソックスの間に挟んで調整するとグッド! ひと休みして下山にかかる。

 登山口へ戻って南へ真っ直ぐに下りる。3分ほど下りると「馬洗場跡」の標識。

 歩きやすい舗装道路をどんどん下りると、昭和62年に設置した「間伐施業実証展示林」の看板。

 山頂から7~8分でグラウンドらしき場所に近づいた。向こうの山は太鼓山だろうか。山頂に中継アンテナが見えている。

 城山グラウンドに到着した。ここはかつて高田城の「二の丸」だったのだ。

 近くに城山と太鼓山の説明がある。この道を登るとこの解説板に始まり、先の二の丸跡や馬洗場跡を順にたどって登山口が現れるわけで、今日、いかに回り道したかにあきれてしまう。

 さらに少し下ると「城山森林公園」の道標があって、下道へVターンする。これを進んでチェーンが張られた太鼓山の下山口を通過する。

 梅の花とも再会してシャッターを切り、木道を南へと歩く。

 途中に「東虎口」の解説板。「ここが高田城と太鼓城の入口なので、江戸時代には番所が置かれていて門番が厳重に警備していた(要約)」そうである。

 木道を抜け出して進むと国道181号に突き当たり、右折して勝山駅前の交差点から新町商店街「檜舞台」へ入る。

5.ひな祭りの新町商店街を散策

 可愛いお雛様が壁と床を飾る。大勢の人たちが覗き込んでいる。

 あちこちに生花が美しさを添えている。

 立派なひな壇が勢揃いしているが、多くはガラス張りのドアや窓の中にあり、光の反射で写真が撮りづらいのは残念だ。以下は撮影できた一部のもののみをピックアップ。

 勝山の町並み保存地区は「のれんの町並」としても有名である。今回はほんの少しだけだが撮してみた。

 ひな人形と生花と暖簾、通りを行く人たちの穏やかな表情。檜のアーケード、檜の台座に乗った大太鼓の下を春めいた温もりと共に通り抜ける。