名 称

ほんぐうたかくらやま

所在地

岡山県岡山市北区・赤磐市

標 高

458m

山行日

2016年10月23日

天 候

曇り

同行者

「古代吉備国を語る会」の皆さん

アクセス

宇野バス・牟佐下(むさしも)バス停下車

マップ

    

このマップは、国土地理院の電子国土Webシステムから提供されたものを使用しています。

コース概要

宇野バス・牟佐下バス停集合 10:00牟佐下バス停出発 10:15牟佐大塚古墳 10:23~10:40
高倉山登山口 10:44石鳥居 11:16八合目 11:27高倉神社 11:37〜12:09
舗装道出合 12:24高倉山山頂 12:42~13:50舗装道出合 14:09高倉神社通過 14:25
高倉山登山口帰着 15:05高倉神社遙拝所 15:17~15:30

1.牟佐下バス停から牟佐大塚古墳へ

 午前10時、宇野バス牟佐下停留所に集合。いつものように密度の濃い資料をいただいて、15分ほどのレクチャーをうけて出発する。

 牟佐大塚古墳は県下三大巨石墳(総社市こうもり塚、倉敷市箭田大塚)のひとつである。墳丘の規模は直径約30m、高さ8.5m。石室の全長は18mで全国でも十指にはいる規模である。石室の構造や石棺の特徴から、6世紀末に築かれたと推定されている。 --- 以上「国指定史跡・牟佐大塚古墳」解説板(岡山市教育委員会)から要約 ---
 石室に入ることができて、まずその奥行きの広さと堅牢な造りに驚く。入り口付近の水たまりにヒカリゴケが生息しているので、右側に設置された踏み石をたどって移動する。

 石室の奥壁は一枚石でできている。貝殻石灰岩製の家型石棺が安置されているが、石室入口面が破損しており、副葬品はまったく不明とのこと。墳径は約30m、高さ約8.5mの緑に覆われた円形古墳だが、周囲の道路で裾部が削り取られており、復元すれば直径40m、高さ10mを上回る大型円墳と考えられている。

2.登山口~高倉神社~本宮高倉山山頂へ

 登山口へ移動していよいよ本宮高倉山に登って行く。いつもはかなり速いペースで登るのだが、「歳をとったので今日はゆっくり歩きま~す」のかけ声でスタートする。

 「あれ、あれ、アレッ!」と女性の声。見るとアケビだ。その向こうには3つ連なっているのが有る。が、手が届かないのでどうにもならない。赤い美味しそうなのがあるが、これは食べられない。

 車の騒音が聞こえる。山陽自動車道をまたいだあたり、右手の山が崩落して痛々しい。ゆっくりとした足取りだが、みんな整然と登って行く。

 「ニオイツツジが咲いてるヨ!」と女性の声。これがニオイツツジかどうか判らないが、もしそうなら二度咲きのニオイツツジだ! 登山口から30分少々、「高蔵神社」の扁額がかかる石鳥居に着いた。

 右側に大きな池が見えてきた。コバノガマズミのようなのが赤い実をつけている。その先で、また女性がなにやら黒くて小さい実を採取している。ムカゴだそうである。

 登山口から43分で八合目に到着。間もなく高倉神社に着くはずだ。

 八合目から10分で高倉神社に到着した。山門をくぐって次々に参拝する。この社殿、古くは高倉山山頂にあったものをここに移したと伝えられている。山頂の本宮と中腹の里宮(現在の高倉神社)、そして山麓の辺つ宮(遙拝所)の組み合わせをもつ、古い神社の形態を示しているとのことである。

 高倉神社の狛犬はなかなかのイケメンである。狛犬の起源は古代オリエント・インドにさかのぼりライオン(獅子)をかたどった像だそうだが、大きい方の阿吽の一対は、まさにたてがみがライオンを連想させる。小さい方は吽形が盗難に遭ったらしくて台座だけが残されている。やや寂しげな阿形の狛犬をクローズアップ!

 写真右は社殿の裏にある石積みである。知らなければ見逃してしまいそうだが、これは積石塚状磐境(いわさか)と呼ばれ、磐座を人工的に構築したものらしい。

 雑木林に囲まれた迷路のような道を行く。曲がりくねった道を抜けて、赤磐市の山陽団地方面から上がってくる舗装道と合流した。

 道ばたにいっぱいの野菊を見ながら登ると、南へ延びる舗装道がチェーンでブロックされている。ここで右折して道なりに登って行く。

3.高倉山山頂風景

 中国電力の電波塔が建つ山頂に着いた。反対方向にも携帯電話の電波塔が建っている。

 「本宮高倉山祭祀遺跡」の解説板があり、高倉神社がもとは山頂付近にあったといわれていること、古代の上道氏(かみつみちうじ)が祀った神社で祭神は高倉児尊であること、頂上周辺にはご神体の岩が群をなし国見岳系の山岳信仰の聖地であったことなどが記されている(赤磐市教育委員会記)。隣には、山頂を「ライオンズの森」として整備した赤磐ライオンズクラブの案内板。

 山頂は広々としている。藤棚の下をくぐって南へ移動すると緩やかな傾斜地へ出て、ここで昼食タイムになる。

 本宮高倉山は旭川と吉井川の二大河川の沖積平野を一望できる国見岳(国見の山)と評されているが、遠く南は瀬戸内海と四国、北西には伯耆大山を望むことができる。写真左は南に広がる旭川と岡山市中心市街地。ここはハンググライダーの基地でもあり吹き流しが設置されている。

 西には旭川と牧山地域を挟んで金山(かなやま)があり、ズームで寄ると山頂の巨大電波塔がはっきり見える。

 東には吉井川河口から瀬戸内海、左端に遠く小豆島が霞んでいる。中央には芥子山(けしごやま)と山頂の航空標識が白い。南にはたくさんの電波塔を戴く金甲山と、宇喜多氏の支城常山城がある常山(つねやま)。左には里山センターのある操山(みさおやま)と、八幡宮のある龍ノ口山の一部が見えている。

 北西の谷をのぞき込むと、地域滞在型市民農園として開発された「牧山クラインガルテン」が広がる。傾斜地に、ラウベと呼ばれる小屋付きの段々畑が密集している。

 天気は今ひとつだが透明度は高い。北西の彼方に蒜山三座と伯耆大山が見えるので、クローズアップ!

 食後に磐座についての説明がある。写真左は、「祭壇と思われる配石が設けられた磐座です」との話、磐座は神様が降臨するための巨石であるが、先ほどまで、その祭壇部分に腰掛けて弁当を食べていた。これは大変失礼なことをしてしまった、拝礼! 写真右は別の磐座と思われるもの。

 下山の直前に、まだ三角点を確認していないことに気づいて探すが見つからない。すると何と、電波塔のすぐ南にあるカイズカイブキのドームの中に設置されていた。

4.下山して高倉神社遙拝所へ

 往路を下って行く。途中で高倉神社を通り過ぎ、石鳥居をくぐって下りる。1時間足らずで登山口に帰着した。

 交通量の多い県道27号を渡って、最後の見学先である高倉神社遙拝所へ向かう。このあたりには古代の農耕儀礼の形を残す祭礼が伝わっていて、かつては一ヶ月間にわたる秋祭り「牟佐高蔵神社当屋祭」が催されていたという。この当屋祭の杵舞は、吉備地方で最も古い新嘗祭の様相を伝えるものとして注目されているそうである。
 こうして高倉山山頂一帯に所在する磐座、山腹の高倉神社、そして山麓の遙拝所をめぐると、「高倉山山塊は古代からの農耕祭祀に関わる『神なる山』であり神奈備山であった」ということが、何となく分かった気分になる。秋の好日、国見岳からの国見はかくして終わった。