名 称

はちがみね~たかんぼうさん~とおみやま

所在地

香川県丸亀市本島

標 高

鉢ヶ峰 161m、高無防山 199m、遠見山 101m

山行日

2020年11月25日

天 候

曇り後晴れ

同行者

なし

アクセス

JR瀬戸大橋線・児島駅下車、児島観光港から定期船で30分

マップ

          ★緑色のルートは当初計画したもので、現在は通行できません。
    

このマップは、国土地理院の電子国土Webシステムから提供されたものを使用しています。

コース概要

本島港出発 10:00木烏神社(こがらすじんじゃ)10:07宝性寺 10:15~10:20
上水道屋釜加圧ポンプ分岐 10:26六地蔵 10:31正覚院 10:48~10:57八ヶ峰山頂 11:02~11:06
上水道屋釜加圧ポンプ分岐 11:29高無防山登口 11:40大岩の展望所 11:57~12:00
高無防山山頂(登山道探索と対策)12:21~13:25高無防山登口 13:48(車で移動)
遠見山登山口 14:02~14:05おやみ堂 14:09~14:10天狗の足跡 14:12~14:14
遠見山山頂(昼食)14:20~14:56尾上(おのうえ)神社 15:11笠島町並み保存地区 15:16~15:21
磨崖仏 15:27塩飽勤番所跡 15:51本島港 16:05

〔JR児島駅から本島へ〕

 JR児島駅の東口を出て陸橋を渡り右側へ下りる。左手の少し先に「児島観光港」の案内標識が見える。

 ゆっくり歩いて5分少々で「観光船のりば」に着く。利用できるのは9時30分発の一便だけで所要時間は30分、片道の運賃は650円。帰りの時刻は決めてない気ままの山歩きで、早く終われば丸亀港へ渡り、遅くなれば本島港16時45分の便で児島港へ戻ることにする。
 新型コロナ感染症予防のため、マスク着用で乗船前の検温チェックを受ける。天気予報は午前中晴れのはずなのだが空は灰色。しかし海は凪いでいて船は快走、25分ほどで本島港に着岸した。


1.本島港から正覚院へ

 本島汽船待合所で準備を整えてスタートする。港側から道路を左にとって進む。

 石の道標があり「勤番所笠島」方向に右折すると、すぐ左に神社の門柱が見える。

 木烏神社(こがらすじんじゃ)という変わった名前。一説には、日本武尊が瀬戸内海を巡航の際、濃霧のため迷っておられたところ、一羽の烏があらわれて水先案内を勤めたのが由来とか。

 隣の家屋に「咸臨丸水夫 横井松太郎 生家跡」のプレート。咸臨丸水夫50人のうち12人が本島出身者だったそうである。背景の障壁画「咸臨の家」は瀬戸内国際芸術祭2016年の作品。少し進むと「年寄入江四郎左衛門の墓」。四郎左衛門は入江家の初代で、塩飽諸島を統治する年寄役を務めている。関ヶ原の戦いで塩飽水軍を率いて参戦し活躍したとのこと(現地解説板)。

 その先にJAの本島出張所があり手前の道を左に入る。右手には「正覚院 尾釜」の道標。

 突きあたりを右折して「宝性寺」の方へ進む。

 宝性寺の門には「塩飽観音妙智力」の石碑とモミジの木。不勉強ながら「妙智力」とは意味深い文言かと。

 参拝して再び歩き始める。私邸かな、宿泊施設それとも工房? 道に沿って風変わりな建物がある。

 上水道屋釜加圧ポンプがある分岐に着いた。ここは左を正覚院方面へと進む。道路の傾斜が増してきた。

 分岐から5分ばかり進むと、右側に六地蔵がお出ましになる。中央の柱に「あともう少し 頑張って」のメッセージ。斜向かいには配水池のタンクが整列している。

 石鳥居が見えてきた。右側には綾子姫の墓がある。墓碑に「皇族 聖 理源大師 御母公 綾子姫乃墓」と記されている。後で調べると、理源大師は京都醍醐寺を創立し、小野流修験道の始祖ともなった高僧とのこと。そのご母堂の墓である。綾子姫は、九州に流された夫の後を追って大宰府に行く途中、本島に船を着けこの地で大師をご出産された由(『塩飽本島 景観と歴史遺産の島』資料「正覚院」より)。

 鳥居をくぐって舗装道を行くと、左に石積みの階段が現れた。これが参道のようだ。

 階段登り口の右に「水不動(願かけ不動)」が祀られている。弘法大師が唐に渡る折り、海上遭難を避けて本島に上陸した時に、自然石に不動尊を刻まれたものという(現地解説板)。登り始めると、左に「小授・安産・水子」の願い所がある。

 参道は自然石が積み重ねられ木の根が張り出している。足元に気をつけながら無心に登る。

2.正覚院と八ヶ峰山頂

 正覚院に着いた。「大本山 正覚院」の扁額を掲げた山門の左右には仁王様が安置されている。立派な山門なのだが、撮影ミスで金剛力士にカツを入れられそうだ。

 山門をくぐると右側に袴腰の鐘楼がある。正覚院は島の人から「やまでらさん」と親しまれているが、正式には妙智山正覚院観音寺といい、真言宗醍醐派に属している。行基菩薩が創建したと伝えられる(前述資料「正覚院」より)。まずは本堂に参拝する。

 本堂前の炭がある場所は護摩壇だろう。毎年7月の第三日曜日に夏祭りで賑わうそうである。その中心的な行事が正覚院の火祭りで、熱湯で祈祷する湯伏加持から火付けの儀に進み、この場所で護摩焚きが行われる。そして最後に、一般参加のできる火渡りが行われるそうである。
 本堂を後にすると境内の通路にさりげなく、瓦を花器に千両が生けられている。

 黄色いきれいな塀に沿って裏手の石段を登ると、八ヶ峰への案内表示がある。

 正覚院裏の観音堂がある境内。差しかかる紅葉がとても美しいが、御堂の傷みが進んでいて寂寥感が漂よう。その前を通り抜けると、石柱に案内表示がぶら下がっていた。

 よく整備された階段がついている。100m足らず進むと鉢ヶ峰山頂だ。山頂には正方形の石組みがあり山頂標識はない。

 大変素晴らしい眺望だが、どんよりとした曇り空で風景が映えなくて残念。写真・左の中央には泊地区の3つの防災重点ため池(桜谷1号池、伝代池、青池)。その左手前には本島中学校。写真・右は、瀬戸大橋の先に番の州臨海工業団地が広がる。

 六口島と遠くに水島コンビナートの煙突群が見える。その手前には多彩な色合いの本島の紅葉。

 そろそろ下山だ。西隣りの広島の最高峰である王頭山が、本島の山越しに見えている。

 下山は正覚院から舗装道路を歩く。山頂から23分で上水道屋釜加圧ポンプ分岐に帰着する。

3.高無防山(たかんぼうさん)山頂へ

 舗装道路を上がって行くとやがて峠になり、それを少し越えた右側に「高無防山登口」の案内板がある。

 登山口から入り込むとすぐに丸太の階段が続く。長い急坂だが、階段とロープの手摺が整備されているので歩きやすい。振り返ると、紅葉の向こうに鉢ヶ峰が見える。

 階段が終わると大岩が見えてきた。岩がゴロゴロ積み上がっている。

 自然の造形は素晴らしい。三角錐のような岩がそそり立っている。進行方向を見ると、オヤッ、道がない。

 少し前進すると、三角錐の岩が動物の顔のように変わってビックリ。ここからの眺望はなかなかで、牛島の向こうに丸亀方面が霞んでいる。

 泊地区のため池もよく見える。どうやら、この先はシダをかき分けて進むしかないようだ。地面を手探りするためにストックを用意して、エイッとシダの中へ踏み込む。

 ここからが大変で、胸元まであるシダをかき分けながら、何となく道と思われるところをじりじり進む。左に岩が現れると意味不明の安堵感で岩にタッチ。またそろそろとシダ漕ぎで前進する。進もうとしても跳ね返されるシダの弾力に手を焼く。プラン作成時に参考にしたWeb情報では難なく通過していたので、ルートを取り違えていないかと不安になる。

 また岩が見え、今度は土があり、わずかに足跡らしい模様があってホッとする。その先でシダ漕ぎが終わると、今度は藪漕ぎが待っていた。

 藪漕ぎの最中に三角点標石がひょっこりと出現、感覚に間違いはなかったと万歳したい気分。二つの山名プレートを確認して、遠見山登山口ルートへの入口探索に取りかかる。

 周囲は藪と雑木で見通しがきかない。わずかな前進にも時間がかかり、二度にわたって三角点の位置を見失う。どうしても道らしい部分が見あたらず、かといって今来た悪路を戻るのも嫌で思案に暮れる。この山の詳しい情報を教えてもらうべく本島市民センターに電話する。短時間に担当の方から折り返しの連絡があり、「以前は道があったのだが、かなり時間が経つので藪化しているかも知れない。山頂まで登る人はほとんどいないのでは」と聞き、引き返すことに決める。
 山頂ステイ時間は1時間を越えている。この間、身を置く場所もなく三角点を椅子にして過ごしていた。最後に、比較的最近に登頂したらしいキティ山岳会の山名プレートをカメラに収める。13時半が近いが空腹を感じない。

 さて、再び藪漕ぎのスタートだ。イバラを避けながら藪を漕ぐ。

 そしてシダ漕ぎの再開。ストックを長めに調整して足を踏み外さないよう慎重に下る。登りでは気付かなかったが、一歩進む毎に白煙が立っている。白煙の正体はシダの胞子で、衣服やカメラがオレンジ色に染まっている。息苦しくて咳き込むが、マスクを持っていることも忘れていた。登りで最初に出合った岩にたどり着くと、泊方面の眺望に立ち止まる。

 残るシダ漕ぎをやりきって大岩に着くと、下の方から人の気配がする。何てことだろう、本島市民センターのお二人が自分のことを心配して、わざわざ迎えに来てくれたのだった。恐縮至極である。
 終わりよければすべて良し、とは言えないが、無事に戻ってみれば、ちょっとした冒険心を満足させるルートだった。

 登山口へ下り立ち、予定の三座目はムリと思っていたのだが、車で送っていただけることに! そして、遠見山登山口へ直行。お世話になり本当にありがとうございました。

4.遠見山山頂へ

 最後の山になるがまだ足取りは軽い。腰痛で動けなかった時期を振り返ると実にありがたい。「おやみ堂」の道標にしたがって登り始める。

 左手に岩が積み重ねられた場所があり、おやみ堂は大きな一枚岩の下に祀られている。

 さらに登ると、また岩の広場がある。

 ここが「天狗の足跡」で、大きな岩が散在している。どの岩にもそれらしい形跡があるようで、こうなると「天狗の足跡だらけ」である。

 ひときわ大きい岩があり、動物の顔のように見える。下をのぞき込むと足がすくみそうだ。

 山頂に到着。東屋で遅い昼食をとる。登ってくるわずかの間に雲が消えて真っ青な空。電波塔が青空に映えている。

 ランチタイムの周辺風景はこの通り、言葉を失うほど美しい。

岡山県側の鷲羽山ハイランドから香川県番の州臨海工業団地まで瀬戸大橋を一望。
手ぶれを我慢して雰囲気なりを感じていただければ (^o^;) .....

5.笠島町並み保存地区から本島港へ

 山頂からの眺望を堪能して、町並み保存地区がある笠島方面へ下山する。

 下山の途中にある妙見様に参拝。

 麓近くの尾上(おのうえ)神社は石鳥居の外から礼拝する。

 笠島地区に下り立つと、防波堤に囲まれた静かな港の風景。この南の一帯が町並み保存地区になっている。

 地区中心から眺めた四方の町並み。美しい漆喰塗りの白壁、千本格子窓や虫籠(むしこ)窓など江戸から大正時代の名残をとどめる家並みはノスタルジーを呼び起こす。

 「町通り」がなまってできた「マッチョ通り」とか。家並みの間を幹線道路へと抜ける。

 瀬戸大橋を眺めながら幹線道を本島港方面に向かう。

 岬を回り込むとすぐ右側に不動明王の磨崖仏がある。穏やかな入江を眺めながら歩く。

 左手に変わった建築物がある。これは瀬戸内国際芸術祭2019の作品で名称は「善根湯 X 版築プロジェクト」。本島の優秀な船大工の歴史とその復活を願って建設されたものである。

 「笠島・甲生地区の埋め墓」の解説板が建つ。山、川、海岸など集落から離れた場所に遺体を埋葬する埋め墓。これに対して寺の境内や集落の近くに作られた「詣り墓」。そんな両墓制が残っていて、ここにある墓地は「埋め墓」だそうである。

 幹線道路を西に進むと途中に「遠見山」の道標。ここを右折すれば遠見山登山口に出られる。

 右側にひときわ目を惹く白。枯れ尾花が、もはやススキの姿を忘れたようにふわりと漂っている。少し行くと塩飽勤番所跡がある。以前に訪れたことがあるが、今回は閉館時間が迫っているのでパスする。

 ここにも咸臨丸水夫のプレート。「平尾宮三郎 生家跡」とある。その先に、柿が複雑な分子模型のようにたわわな実を見せている。

 「瀬戸内国際芸術祭2019」が彩られたベンチを見て、泊港(本島港)へと左折する。

 これも瀬戸内国際芸術祭の作品かな。洋風の邸宅の前に流木で作られたと思われるアーチの門。それに吊された色とりどりの鈴のようなもの。メルヘンチックではある。やがて、港近くの椰子の木立が見えてきた。

 港ではのんびりと船の時間待ち。本島汽船待合所では乗船券を販売していないと係員から聞き(船内購入)、屋外のベンチで読書タイム。その係員の声で顔を上げると、「いま入ってきたのが児島行きです。16時45分発ですからだいぶ時間はありますが」と、わざわざ知らせに来てくれたのだった。嬉しいねぇ!
 船窓に流れて行く山々は淡い夕焼けに染まっている。今日は多くのものを見て、多くを感じることができた。本島の魅力を噛みしめる船内、エンジンの音が心地よい。