名 称

かつがやま

所在地

香川県高松市

標 高

364m

山行日

2016年4月23日

天 候

晴れ

同行者

「瀬戸内登山同好会」の仲間たち

アクセス

JR予讃線・鬼無(きなし)駅下車

マップ

このマップは、国土地理院の電子国土Webシステムから提供されたものを使用しています。

コース概要

JR鬼無駅着 8:30~8:32佐料公会堂 9:49~9:55勝賀城跡解説板 10:07山の神さん分岐 10:22
登山口(イノシシ柵)10:28尾根道出合(標識「猫びたい」)10:43標識「猫の背」10:50
標識「馬がえし」10:52勝賀山山頂・ビューポイント 11:04~11:40登山口 11:57
佐料公会堂 12:18~12:53

1.JR鬼無(きなし)駅~佐料公会堂

 鬼無とは面白い名前だ。この地域は桃太郎伝説発祥の地のひとつであり、別名で鬼無桃太郎駅という愛称が付けられている。高松行きのホームには、ゲームソフト会社ハドソンから寄贈された「桃太郎電鉄」の石像がある。因みにこの「桃太郎電鉄」は、ハドソンの二十数年に及ぶロングヒット・ゲームソフトである。車両の前方には桃太郎が、後方には「び」印のフンドシをした貧乏神の上に猿が乗った「貧乏神が去る像」が立っている。駅を出て、33号線を高松駅方面へと歩く。

 駅前に「盆栽の里」の広告塔があったが、なるほど、道中の店には大小の盆栽や植木が溢れるばかりに展示されている。2つ目の信号の左側に鬼無町観光案内図があり、「史跡・勝賀城跡」と書かれた銀色の道標が立つ。

 広い庭にベンチが置かれ、「ご自由にごらん下さい」の立て札があるお宅。素晴らしい枝振りの松、今まで見たなかでは最も大きいハナミズキ、八重桜の下にはオオデマリが純白のボールのような花をつけている。さすが盆栽と植木の町だと感心する。

 佐料城跡の解説板が立つ佐料公会堂に到着した。佐料城は中世讃岐国の豪族・香西氏の居城で、このあたりには城跡を示す地名や屋号が残っているそうである。今回は勝賀城跡保存会のご厚意で、勝賀山と山頂の勝賀城跡を案内していただけることになった。挨拶に続いて保存活動の状況、今日のコースなどについてのお話を聴いてさっそく出発することに。仲間の女性ひとりが足の不調で待機することになり、少し心残りの出発だ。進行方向右手に勝賀山が見えている。

2.登山口~尾根道

 この一帯は盆栽・植木のみならず、果実の一大栽培地でもあるようだ。ミカンやイチジクの栽培ハウスが方々に見られ、袋掛けしたビワの木などもチラホラ。勝賀山の南斜面は一面のミカン畑だ。

 右に溜め池を見ながら舗装された農道を上って行く。

 振り返ると東に高松市街地が広がる。佐料公会堂から12分ほどで勝賀城跡解説板の立つ場所に着いた。解説板の下に「農免道路から勝賀山々頂まで1325m」の貼り紙がある。

 さらに続く舗装道路。ミカンにビッシリとついた小さな白い蕾の一部は開きかけている。

 分岐は左へと進む。青紫の花をつけたクサフジが農道脇を飾っている。

 左側に折り返すように道がついていて、その道の先に祀られている「山の神さん」をズームで失礼!

 左側の細い踏み込みを見落とさないように入って行く。木に結ばれたピンクテープが目印? ここが登山口で、舗装道が終わりようやく山道になった。イノシシの防御柵を開けて入る。

 細道だが歩きやすい。階段がないのでスピードが上がる。「猫びたい」の標識が立っているのは尾根道との出合である。左方向に「赤子谷へ」と道標があるが、ここは右へと尾根道に入って行く。

 一角から北を望むことができる。生島湾(いくしまわん)が見えている。尾根道になると勾配が緩やかになった。

 真新しい「猫の背」の標識があり、やはり尾根道は歩きやすいなと思いながら楽々と登って行く。

 ところが、「馬の背」の標識が現れたとたんに急坂になる。スリップしないように、一歩をゆっくり踏み込んで登る。

 急坂の途中、西方向に電波塔群を戴いた青峰が見えた。岩石が増えてきた最後の急坂をひと登りする。

 早くも土塁に差し掛かった。この部分は保全中のため通行止めになっている。勝賀城跡保存会の方の、城跡の地形や構造などについての説明に耳を傾ける。

 左が一段高くなっているが、これも土塁だろうか。もう山頂が近いはずだ。クサイチゴの花が咲いている。

3.勝賀山山頂風景

 どれが大手門だったのかなというくらい、たやすく本丸に入れてしまった。ここが戦国時代に18代360年間にわたって栄えた香西氏の「詰めの城」である。平時は佐料城に居城し、いざとなればここで盤石の構えを敷いたのであろう。本丸跡には祠が祀られている。

 再び保存会の方から説明があり、あまりにもアプローチが簡単すぎる大手門や矩形の城構え等に係わる諸説が存在すること、それを検証するための発掘調査が計画されていることを知った。中世の城にまつわるロマンが広がりそうである。それはさておき、城跡の保全はなかなか大変なようで、移動を禁じられた岩石が散在する状態での草刈り作業の苦労や、倒木による土塁破壊を防ぐための伐採作業(写真右)などは大いに参考になった。

 で、これは井戸の跡。が、興味深い歴史話に山歩きのことがすっかり霞んでいた。山頂に設置されている三角点のことを忘れてしまうところだった。標高364mの三等三角点をしっかり確認!

 本丸を囲む土塁を巡る。その一部に、根をさらけ出した倒木があった。幹の何倍も大きな根が大量の土砂を抱えて倒壊している。倒木による土塁の崩壊を防ぐために、伐採がいかに重要かが納得できる。

 草をかき分け林の中を進んでビューポイントに飛び出した。高松市の全景を俯瞰でき、左遠くに男木島・女木島、右には瀬戸内海に長くせり出した屋島と尖った五剣山を望むことができる。モヤがなければ豊島や小豆島も明瞭に見えるようだ。

 ビューポイントを後にするとここにもクサイチゴの花。そして優雅な藤の香りが漂う。

 先ほどから進行が遅れ気味だ。あちこちに生えているワラビやイタドリがみんなの足を引っ張っているようだ。収穫物のビニール袋がどんどん膨らむ。それこれで、予定よりやや遅れて11時40分に大手門へ戻り着き、すぐに下山を始める。

4.往路を下山してミニ総会

 下山は高速モードにギアチェンジ。山頂からわずか17分で登山口まで下りてきた。

 山腹のミカン畑を改めて眺めてみる。こんな急斜面で農作業をするには舗装道路と車が不可欠なわけだ。そして、こんなモノレールの運搬機も設置されている。

 登山口からはペースダウンして、下方に広がる風景を眺めながら20分ほどで佐料公会堂に帰着した。

 公会堂におじゃまして疲れた足を伸ばす。「保存会だより」や笠居郷地区・勝賀城跡の地図など貴重な資料と共に、記念品として日付スタンプ入りの「登城之証」をいただく。勝賀城跡保存会の皆様には大変お世話になり感謝に堪えません。ありがとうございました。


 この後、佐料公会堂をお借りしてミニ総会を開催。会計報告に続いて昨年度の活動報告と新年度の行事予定の説明がある。驚くべきはこの1年間、全ての例会山行が好天に恵まれたということである。これはもう、仲間たちの平素の行い振る舞いの善きことの証に違いない。
 新年度もワクワクする計画が並んでいる。毎回参加というわけにはいかないかも知れないが、可能ならカメラを引っさげて、元気な仲間たちの最後尾を歩きたいと思っている。