1.JR伊予三島駅から登山口へ
岡山駅からJR特急しおかぜで1時間18分、伊予三島駅に到着した。30年ばかり前に仕事で何度も訪れた駅だが、駅舎も駅前の風景もすっかり変わっている。当時は製紙会社関連の情報処理システムの開発で、何人かの仲間と共に足かけ3年近く足を運んだ懐かしい町である。
折しも「愛顔(えがお)つなぐえひめ国体」を開催中であり、伊予三島運動公園体育館でのフェンシングと空手道の競技当日である。駅ではスタッフが応対していて、会場間をシャトルバスが往復。
駅前に立つと、南の山々は雲が低くたれてガスに霞んでいる。午後から晴れる予報に期待を込めて準備をし、時間節約のために登山口付近までタクシーで移動する。高速道路の下をくぐるとすぐ左に「市指定史跡・松尾城跡」の看板がある。「登山口の場所を聞いたのは今日が初めてで、翠波峰は車で登るものと思っていた」との運転手の話から、山道が荒れていなければいいがと気にかかる。
看板からわずかに駅よりに戻り山側への車道を登って行く。緩やかな坂を登ってふり返ると三島と川之江方面の町や工場が見える。
分岐で右の舗装道路を進むと建家があり、さらに進むと「私有地につき立入禁止」の看板。分岐手前の大きな農家まで引き返して「城跡への道」を尋ねると、真っ直ぐ行けば良いとのこと。聞いたとおりに畠中の道を進むと行き止まりになる。
再び分岐に戻って探してみると間に踏み込みがあり、分岐と思っていたのは三叉路で、真ん中の細道が登山道であることが分かった。踏み込むと道標が見えるのだが、外からは分かりにくいのが問題だ。
〔問題箇所①〕
ひとり右往左往してロスタイムを増やし、タクシー利用の短縮時間を食いつぶしてしまう。確かに見えにくい標識・道標も問題ではあるが、これは地図を読まずに雰囲気で歩いたことが原因である。
登山口付近のマップを拡大すると三叉路になっているのは明らかで、真ん中の赤線を進むべきことは明瞭であるにもかかわらず、間違った青線を進んでしまったのだ。地図は必ず携帯するべきであり、丁寧に読まなくてはならない。地図を持っているのに、勘や他の情報に頼ったのが今回の反省点だ。
2.松尾城跡と道迷い
道標の「ふるさとの道」を見て安堵する。しかしホッとするほど易しい道ではなさそうだとも思う。いきなり石段の急坂から始まり、道の両側は草で覆われている。
5~6分進むと古い石碑に出会った。正面に「奉寄進」とあり、側面に「石鉄大連公」と認められる。1871年(明治4年)頃に伊予国北部(現在の愛媛県中予地方、東予地方)を管轄するために設置されたのが石鉄(いしづち)県なので、その頃に水波権現に寄進されたものかも知れない。少し先にも写真右のような石碑があり、かなり読みにくいが、やはり「奉寄進」らしい文字が見られる。
こんな歩きやすい部分もある。だが、蜘蛛の巣だらけで顔も頭もモゾモゾする。シダを折り取って振り回しながら前進する。また石碑が立っている。「水波」と見えるのだが何かは分からない。
「城の山:翠波あやめ池 2.9km」の道標があり、シダの茂った道を行く。
昨日降った雨で岩がとても滑りやすい。次の道標があり「翠波神社・松尾城→、翠波あやめ池 2.5km」と書かれている。ここが松尾城分岐である。後ろからやって来たハイカーが「お城はパスしようかな、どうしようかな」。いっしょに行きましょうと声をかけ松尾城へと歩き出す。それにしても、先ほどの道標から逆算すると、400mしか進んでないのに20分近くかかっている。
彼は40代だろうか、タフガイのハイカーは急坂を軽々登って行く。ヨイコラショッと後を追う自分。松尾城跡には10時14分に到着、ほぼ予定通りである。まとまりのない写真だが、手水鉢には「明治3?年6月」と刻まれている。また二本の門柱にはそれぞれ「愛国」「敬神」とある。
松尾城は戦国時代の山城で、その後の天昇13年(1585年)、豊臣秀吉の四国攻めに際して中国地方の小早川隆景の侵攻を受けて廃城になったとのこと(現地説明板より)。現在は水波神社が祀られている。下は祠と狛犬。
この石段が松尾城の跡だろうか。石造りの松尾城はバックからの撮影になってしまった(前からだともっとお城らしいのだが)。
松尾城分岐から松尾城跡までのルートはかなり手こずったので、できれば分岐まで戻りたくない。前進して元の道に合流できるルートがあるという情報を、GPSを持っている同行のハイカーに話す。GPSで確認し、「これは良い情報をいただきました。こちらの方向を直進すれば先で合流できます」と去って行った。
いやはや、どこでどう間違えたのか分からない。途中まで踏み跡を確認しながら前進したのだが、やがて雑木に囲まれ、岩にさえぎられ、挙げ句の果て身動きできなくなってしまった。周辺の地形を把握できなくて自分の現在位置が分からないという、最悪の状況に追い込まれた。安心材料はまだ時刻が11時前ということだけで、とにかく落ち着いて移動する。こうなると頼りになるのは地図とコンパスだけで、先の道と合流できそうな位置を見定めてそろりそろりと前進する。
やっとしっかりした踏み跡を見つけて進み、間もなく合流できるかと思った先に現れたのは元の松尾城。この時は背筋がゾッとした。
〔問題箇所②〕
場合によっては、地図上にないルートを歩く必要もある。しかしスリルと共にリスクも大きい。今回はショートカットのつもりが裏目に出た。GPSならまったく問題ないことが、コンパスと地図では簡単に対応できないことを心得ておくこと。また、展望が閉ざされた状況でのルートファインディングは簡単ではない。なお、ここではコンパスがあったからこそ前進できた部分が多く、持参してなければパニックに陥ったかも知れない。
3.混乱、そして二の鳥居から車道出合へ
松尾城跡から松尾城分岐までの下りはバランスを崩しそうで手間取る。何度も草木の力を借りながらやっと戻り着く。
しかし、ここからの行動はふり返るのも恥ずかしい。何と往路を逆行してしまったのだ。焦って進行方向を間違えるという最悪の状態だ。それでも往路で見つけたキャップの落とし物で気づき、方向を修正することができた。
こうして、また松尾城分岐に戻ってきた。少し進んだところで小さなケルンに出会って気分が落ち着いた。
倒木が通せんぼしている。それをくぐり抜け、次の倒木はまたいで進む。
やっと二の鳥居の標識に到達した。翠波あやめ池まで残すは1.7km。すでに時刻は12時半を過ぎており、予定より2時間も遅れている。標識のすぐ先の左側、小高い部分に倒れた二の鳥居が残されている。今歩いている道が参道であることを改めて認識する。
また倒木をくぐる。枯死した古木にふわふわと白いキノコが鮮やかだ。
滑る岩場をよじ登った先に「地蔵(上5m)」の標識と「翠波あやめ池 1.4km」の道標。前の道標からの300mに、実に21分もかかっていることになる。
しばし、時間のことは忘れて仏の姿を拝する。
目の前に材木を組み合わせた堤が現れた。よじ登ると林道である。ここで小休止している時に見たピンクテープにしたがって歩いたのが間違いで、しばらくして伐採業者の目印テープに誘導されていたことに気づく。
〔反省事項・その1〕
伐採や工事現場付近のテープやロープには要注意。業者が伐採エリアや特定の木を管理するために付けたテープやロープがある。今回はそこまでに山道で散見されたピンクテープと同色のテープが伐採エリアで使用されていたことから、勘違いしてしまった。
やがて中曽根道への道標が現れ、斜に立て掛けられた十丁石と出会う。
「くれ石」への分岐道標には「翠波あやめ池800m」の表示。その先に小さな沢があり、沢に沿った位置にあるピンクテープへと進むが道が消える。元の場所に戻って沢の向こうを見ると少し濃いピンクテープがあり、沢を渡って進む。
大きな倒木が道をふさぎ、これは左手前を登って行く。
登った位置には2つの祠があり、その先を右に回り込んで倒木を越える。
このあたりから急に雰囲気が変わり明るくなってくる。
間もなく車道に飛び出した。法皇山脈の尾根を走るスカイラインである。ここまでの道中では木漏れ日を受けることも多かったが、今は曇り山はガスに覆われている。
4.アヤメ池~水波権現を拝して下山
車道を横切って、道標「翠波高原・アヤメ池」の方へ進む。
一帯にはススキが繁茂していて、中央に小さな池が見える。これがアヤメ池なのだろうか。すでに14時半が近く予定より3時間半遅れで、下山に往路を引き返すのはムリになってきた。山頂付近の商業施設からタクシーを呼んで下山しようと考える。
「御本社・水波大権現」の標石を見て急坂を登ると、再び車道へ飛び出す。
車道を渡って山道に入り込むと、また車道に飛び出す。
さらに山道に踏み込むと車道のカーブに沿って山道が続き、やがて車道に飛び出した。
〔問題箇所③〕
このように何度も車道に飛び出して、いよいよ水波権現への道が延びているはずなのだが入口が見つからない。
これは単純な見落としだったのかも知れないが、できれば進入口の標識が欲しい。仕方なく舗装道路を進んでいくと「水波神社」の道標が現れた。
広くて歩きやすい参道がついている。道なりに進むと6~7分で水波権現の石鳥居に到着する。
急な石段の登りが待っていて、石段両側には製紙会社名を刻んだ石碑が並ぶ。一段一段を踏みしめてたどり着き、水波権現に参拝する。
ガスで霞んでいるが、東よりの直下に金砂湖が、また遠くには三嶺方面が見えている。
もやがかかって見通しは悪いが、雲が流れ雲を戴く山々は茫洋と果てしない。どの峰が何という名前なのか、そんなことはもはやどうでもいい。静謐の彼方に広がるこんな風景に惹かれて山を歩くのだ!
〔問題箇所④〕
最悪の事態だ。水波権現から東峰へのルートが見つからない。「見つけられないのはお前だけで、阿呆ではないか」と言われそうだが、見つからない。双耳峰の東峰はすぐそこなのに、道がわからない。どこかで道標を見落としたのかも知れないが、水波権現の社付近で探し、長い階段を下りてさらに探したのだが見つからない。すでに16時が近づいていて、これ以上の探索はムリ。登頂を諦める。諦めてスカイラインを歩く。
アキノキリンソウが目にしみる。シラヤマギクとツルリンドウが可愛い花をつけている。あと30~40分で山頂と三角点を踏むことができたはずなのだがと、脳裏に繰り言が響く。
翠波高原の売店からタクシーを呼ぶべく歩いていたら、西峰の西側にある駐車場に着いた。東屋風の休憩所があるが、深いガスで展望はきかない。
そこに居合わせた3人組の男性に、タクシーを呼びたいのだが連絡できるだろうかと尋ねた。実は、今回は周辺施設や交通機関の連絡先をノートしていなかったのである。ところが、「自分たちは川之江方面へ帰るので伊予三島駅なら乗って行けばいい」とのお言葉。こんな状況でこれ以上の嬉しい言葉はない。申し訳ないと思いながらご厚意に甘えることにした。
送っていただく道すがら、3人が山歩き仲間であることを知り嬉しくなる。そして途中で立ち寄った翠波高原の売店が休みだったことを知る。売店までたどり着いたとしてもタクシーを呼ぶことはできなかったのだ。
〔反省事項・その2〕
まったく問題ないと思われる山であっても、万一に備えて周辺の施設や公共機関、タクシー等の交通機関の電話番号等は必ずメモしておくこと。また休日や営業時間には要注意。
ラッキーなことに、3人の男性との出会いによって無事に、しかも早い時刻に下山することができた。感謝に堪えない。時間の関係もあり駅周辺で飲食の買い物ができず素面での帰路。冴えたままの頭だったが、瀬戸大橋を渡るころの夕暮れ風景に、頭はほろ酔いかげんだ。
かくして、水波権現から山頂への道は見つけられなかったが、もう一度地図を見直してみると、水波権現から尾根をたどれば間違いなく東峰に立てたはずである。地図に従わず、道探しにとらわれたお粗末である。ショボッ・・・