1.JR屋島駅~登山口
駅前に設置された「駅からウォーク」の受付で参加手続きを済ませ、マップや資料を受け取る。駅舎内には観光駅長のポンナが愛嬌を振りまく。もちろんポンナは屋島固有種のタヌキである。
出発式と準備運動の後、今回のガイド役を引き受けてくださる平岡さん(屋嶋城研究所所長)のご挨拶があり出発。赤牛橋(あかばはし)を渡り東へ出て赤牛崎 ( あかばざき )から屋島小学校の方へ折り返す。
麓からの屋島の姿は、位置によってまったく異なって見える。このあたりから見るとまるでUFOのようで、山頂が平たい屋根という屋島の印象とは別物だ。
時おり車が通るのできちんと並んで歩く。途中でクロスしている屋島ドライブウェイへの進入路を横切って行く。
二ツ池の手前を右折して進むと、道路の左右に池が現れる。これが二ツ池。
屋島小学校を左手に見てしばらく進むと、車道が終わって木々が増えてくる。「屋島登山道誘導案内板(遍路道)」が設置されているあたりが登山道入口である。
2.屋島寺へ向けて
この道は忘れもしない。昔、ケーブルカーが廃止されたことを知らずに相棒とやってきて、それならば歩けばいいと足を運んだ道だ。ウォーキングともアウトドアライフとも無縁のころで、気合いで登り始めたけれどハーハーゼーゼー状態になってしまった、さんざんな思い出の道である。
いやはや今回も息が上がりそうだな、と思いながら歩くうちに加持水に着いた。弘法大師が加持祈祷をした水とのいわれがあり、この湧水は絶えることがないそうである。
ここで小休止をとり息をととのえて再スタート。
次のスポットは不喰梨(くわずのなし)。これも弘法大師が屋島においでのとき、美味しそうに実った梨を所望したおりに、「うまそうにみえても、これは食べられない梨です」といったところ、ほんとうに石のように固くなって食べられなくなった、とか。
ここでもまた小休止。とにかくきつい舗装道。屋島登山道は遍路道であり、この道を行くお遍路さんには脱帽だ。
かなり登ってきた。道の右側(山側)には「畳石」と呼ばれる板状の安山岩が積み重なり、屋島独特の地層を見せている。
南無阿弥陀仏の石碑から回数登山の記録掲示板(番付表)を通り越すと、右手に屋島寺の山門(仁王門)が現れる。
仁王門の奥には四天門。その間にステージが設けられていて、「かがわ源平紅白キャラバン隊」が源平ゆかりの地の観光PRキャンペーンを展開中。かわいい娘さんたちから声がかかるが集団行動中なのでパス。
四国八十八カ所の第八十四番札所の屋島寺。境内には立派な建造物が林立している。奥に見える屋根が割れたような建物は宝物館。右手の本堂に向かって進む。
まずは本堂に参拝する。これは鎌倉時代末期に建立された国指定の重要文化財。その右脇にあるのは蓑山大明神(みのやまだいみょうじん)である。弘法大師が深い霧の屋島で道に迷ったときに箕笠を着た老人に案内され、その老人が太三郎狸の変化術の姿であったということで屋島狸(太三郎狸)が祀られている。日本三名狸に数えられるとのことだが、赤鳥居の前に並ぶ一対はほのぼのとして愛嬌がある。
3.血の池~談古嶺~西尾根山頂
参拝後は山上ウォークである。源平合戦の折、源氏軍が血刀を洗ってまっ赤に染まったといわれる血の池。屋島寺創建のとき宝珠を本堂の前に埋めてそのまわりに掘った池とも言われ、別名を「瑠璃宝池」とも呼ばれる。
談古嶺は屋島東側の海を望むスポットで、眼下に源平合戦の古戦場壇ノ浦を一望することができる。ひときわ高い山は五剣山で、五剣山と屋島との間が屋島壇ノ浦の入り江である。
展望台付近に集まって、平岡さんの壇ノ浦についての説明に耳を傾ける。遠く小豆島や淡路島が望まれる。
反時計回りに移動して行くと駐車場のそばを通過する。屋島寺を中心として人出の多さに驚いていたのだが、駐車場の状況を見て納得、大半の人たちは車で来ているのだ。
山頂の商業施設があるゾーン。西側に広がる瀬戸内海の多島美は抜群だ。
山の上の水族館は大繁盛。アシカ・アザラシ・イルカなどのショーがあるようで大勢の人が列をなしている。
そこから商業施設のあたりを回り込むように進んで広場に出た。やっと昼食タイムである。
高松駅で乗り換えするときに手に入れた「あなご飯」の弁当を開く。以前は長方形の箱に入っていて、四国方面への出張の折りには好んで食べたものだ。懐かしい風景を呼び起こす味である。
午後はヤブコギ道を西尾根山頂へ向かう。が、これはとうていヤブコギとは呼べぬ、歩きやすい雑木アーチの街道である。西尾根山頂は狭いが、東・南・西を展望できる。
南東には屋島山頂の典型的な姿があり、左端に小さく、保存整備工事中の屋嶋城跡が見える。また南西には眼下に番の州工業地帯を一望できる。
4.屋嶋城跡~ケーブルカー駅跡~屋島南嶺
西尾根山頂から南嶺に向けての移動が楽しかった。雑木のアーケードをくぐりぬけながら、迷路のような山道を進むと、ぽんっと屋島寺の山門脇に飛び出した。
山門から南嶺までは平坦で歩きやすい道から始まる。散策気分で歩ける道である。途中の左手にあるはずの三角点は、ロープが張られており団体行動のさなかでもありパス。
「屋嶋城跡城門保存整備工事」の立て看板のそばに、今日のために駆けつけてくれた市の説明員の方。遺跡の状況と保存整備事業についての説明があり、看板脇の急階段を降りることになった。
これはすごい!古代山城というのはとんでもない迫力を持っている。最初にそれを感じたのは岡山県総社市の鬼ノ城だったが、とにかく山そのものを丸ごと基地にしてしまう迫力と、その技術力には目を見張らずにはいられない。大小様々な形の岩を積んで重ねて、山腹のキャンバスに大屏風が築かれている。
ブルーシートで覆われた未整備部分。解体時の岩には復元のための整理番号が付されている。これをもとに組み立てながら、不足部分は根気よく同質の石材を補っていくわけだ。
もとの道に戻って南嶺に向かうと旧ケーブル駅に行き着く。昔は賑わっていた駅だが、有料道路の開通で利用者が減少して閉鎖された。その駅が、好天の昼に濃い影を落としている。しかし、太陽の位置とはいささかずれた影。
実はこれ、開催中の瀬戸内国際芸術祭の作品である。影は描かれたものであり、アーチ型の出入り口に近づくと一同の姿がアーチの向こうに!ミラーに写された一同がビックリするという、おもしろアートでもある。
ケーブル駅左の小径に入ってさらに進む。ついに屋島南嶺の冠ケ嶽に到着だ。
冠ケ嶽からの展望(屋島から牟礼方面)。南嶺先端部には岩石を積み上げた経塚があり、上部には小さな祠が祀られている。
ふたたび旧ケーブル駅に戻ってきた。
5.ヤブコギ道の下山
下山は、往路を下るものとヤブコギを下るものとの二組みに分かれることになった。ヤブコギ組みの自分は、先の屋嶋城跡整備工事現場の手前から小径をたどる。
ヤブコギといいながらも見通しはよくて問題なし。ただ、滑りやすい場所があるので手を使うことが多くなる。注意を集中して下り進み、平坦地についてほっと一息つく仲間たち。
少し歩くと墓地に出た。ここからは舗装道を南へ進んでJR屋島駅を目指す。大宮八幡宮のあたりから見る屋島。てっぺんの膨らんだ部分の右端が、先ほどまで風景に見入っていた冠ケ嶽だ。