1.金沢駅~近江町市場
京都から特急サンダーバードに乗り継いで金沢駅には11時14分に到着する。東口を出るとガラスドームの中にいることがわかってビックリ、これは「もてなしドーム」と呼ばれている。そしてドームの入口に立つ大きな「鼓門」には二度ビックリ。能楽の鼓を基調にしたデザインだそうで、さすが伝統芸能の金沢ならではと感心する。
おそらく金沢においてもっとも金沢らしからぬ、ビルと交通量の多い大通りを武蔵交差点までまっすぐに歩く。旨い昼食を求めて近江町市場へ直行である。アーケードのある歩道を行くと、オヤッ、右は登山用品のモンベル金沢店だ。
近江町市場への横断地下道を抜けると「武蔵辻」の石碑が建つ。武蔵ヶ辻と呼ばれ、古くから商業地として栄えた場所である。
「近江町いちば館」のロゴが取り付けられた建物が近江市場だ。近江商人がつくったのが名前の由来とされ、現在100店以上の食料品店が集積している。このことから金沢の台所とも言われるが、飲食店や生活雑貨の店も軒を連ねている。
2Fには飲食店が集中していて、昼食目当ての観光客が溢れている。旨そうな看板に惹かれて海鮮丼を食べることに決定。どの店も長い待ち行列で、受付表にサインして待つこと20分。おいしい味噌汁のついた海鮮丼に舌鼓を打つ。
2.尾山神社~長町武家屋敷跡
次の目的地である長町武家屋敷を目指して、百万石通りを香林坊の方へと向かう。しばらく進むと左手に尾山神社の神門が現れた。明治3年に建てられた神門は和漢洋の三洋式を混用した独特のスタイルで、国の重要文化財に指定されている。第三層はステンドグラス張りで、そこに点灯された御神灯は金沢の街を照らし、遠く日本海を行く船の目印にもなったとか。また第三層の上に設置された避雷針は、日本最古のものだそうである。
第一層は、金沢市東部の医王山、戸室山で採れる戸室石(とむろいし:角閃石安山岩)で造られている。比較的柔らかくて加工しやすいとされ、色合いも美しい。木製の扉には前田家の梅鉢紋の見事な透かし彫り。
神門のアーチの上部にも梅鉢紋がある。入母屋造屋根瓦葺の重厚な拝殿には、加賀藩祖前田利家公と正室お松の方が祀られている。
武家屋敷跡への道がわからぬまま歩いていたら「長町一の橋」へ行き当たった。この近くには室生犀星記念館があるはずなのだが、時間の都合でこれから出かけられそうにない。昔は暗唱していた犀星の詩歌も今は頭を振っても思い浮かばない。帰宅後に見つけた懐かしい一篇をここに記しておきたい。
小景異情
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
土壁と用水の流れ、タイムスリップしたような風景の中を行く。土塀の先が突き当たりになったあたりで、20数年前に歩いた時のことが風景に重なって思い出されてくる。
3.玉泉院丸庭園~金沢城公園
石川県の文化に対する取り組みには驚くばかりである。香林坊から金沢城公園への道を進んでいると、どっしりとした美しい建物が現れた。これは石川四高記念文化交流館で、旧四高(旧制第四高等学校)の歴史と伝統を伝える展示と、石川県ゆかりの文学者の資料を展示する石川近代文学館で構成されているそうである。
次の角を左折すると、右手にガラスと煉瓦を組み合わせたような立派な建築物が見える。これは旧県庁の格調高い正面を残して背面を現代的なガラスの空間にした「しいの木迎賓館」で、総合観光案内や、レストラン・カフェ、会議室、ギャラリーなど憩いと交流の空間を備えた施設とのことである。リッチだなぁと思いながら、金沢城公園には玉泉院丸口からアプローチする。
玉泉院丸庭園は、二代加賀藩主の前田利長の正室であった玉泉院の屋敷跡に、三代藩主の前田利常が作庭した庭園である。池の周りを緑が囲む池泉回遊式庭園で、2015年の北陸新幹線の開業に合わせて復元されたもの。
美しい庭園だが中に入って橋を渡ることはできない。こんなに優美な橋なのだが、見てるだけ・・・。
庭園に面した石垣は、形状や色彩など外観の意匠に趣向をこらした「見せる石垣」として造られている。写真右の石垣は、色紙形(正方)と短冊形(縦長方形)の戸室石を段違いに配している。
金沢城の三十間長屋が見えている。その下の坂道を二の丸へと登る。
前田利家により築城された加賀百万石のシンボルである金沢城であるが、度重なる火災で石川門と三十間長屋以外の建物はすべて焼失していたとのこと。金沢城公園として一般公開を開始したのは平成13年(2001年)からだそうだ。二の丸広場に着くと、五十間長屋とその北端の菱櫓(ひしやぐら)が美しい。
橋爪門続櫓の方へ移動し、その手前を右折して重要文化財の鶴丸倉庫へと進む。
三の丸広場に下りると、五十間長屋を外側から望むことができる。石川門から出て次の兼六園へと向かう。
4.兼六園を巡る
桂坂を上って兼六園入場口に着く。兼六園は五代目藩主・前田綱紀が別荘を建て、その周辺を庭園としたのが始まりと言われている。窓口で、65歳以上の入園料は無料ですと聞いて「イヨッ、太っ腹石川県!」。日射しがきつい中を歩き続けたので喉が渇いてふらふら。まずは茶店通りへ足を運ぶ。大勢の人たちが椅子や縁台に腰を下ろしてソフトクリームを食べているので、同じものを同じスタイルでパクッ。それにしても外人さんがとても多い。
茶店通りから戻るといきなりミス加賀友禅に出会う。ラッキー! で、美しいっ! さすがに、華がありますねぇ。しばらく見とれた後は、徽軫(ことじ)灯籠と霞ヶ池を背景に華ある相棒にシャッターを、カシャッ!
すっかり秋めいてきた霞ヶ池のほとり。その先には、兼六園のなかで最も枝ぶりの見事な松、冬には雪吊りの風景でも有名な唐崎松だ。
眺望台からの風景。案内板に「左遙か先に内灘砂丘とその向こうは日本海、正面の山は卯辰山、右は遠く富山県境の医王山がのぞまれる」とある。雁が列をなして飛んでいる姿につくられた雁行橋を渡る。
ここにも大きな松が枝を伸ばす。その先の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の像は、西南戦争出征の石川県軍人の慰霊塔だそうである。
もう午後3時半を過ぎている。花見橋を渡って戻りにかかる。霞が池に差しかかると唐崎松が水面に映えている。
霞ヶ池のほとりにある食事処・土産処の内橋亭を見て過ぎると「虎石」がある。似ているような、ふ~む。
桂坂を下ってお堀通りの歩道を渡る。正面に石川門が見えている。バス停付近に金鯰尾兜をかぶった前田利家公の像が立つ。ここからバスでひがし茶屋街へ向かう。
5.ひがし茶屋街~金沢駅
金沢周遊バスで橋場町にて下車し、浅野川大橋を渡って川沿いを進む。が、なかなかそれらしい町並みに出会わない。浅野川に架かる「梅の橋」に行き着いて観光マップを確認し、橋のたもとを左折する。
「旧御歩町」の石碑が立っている。「旧おかちまち」と読み、「藩政時代に藩主を警護する歩(かち)が住んでいたのでこの名がついた」と石碑に刻まれている。そこを曲がると、むむ、良い雰囲気ですぞ。
ひがし茶屋街の前身である「東の廓」は、文政3年(1820年)から昭和初期にかけて金沢で最高の格式を誇る茶屋街として栄えてきたそうである。茶屋建築の風情ある家並みはタイムスリップしたようだが、それにしても観光客が多い。
格子戸には和服姿が似合うと思うのだが、意外にも和服が見えないのは時刻のせいだろうか。店名を書いた行灯、風鈴と暖簾も格子に似合い独特の雰囲気を醸している。行灯の隣に吊している白紙にくるまれたトウモロコシのようなものを調べたら、面白いことがわかった。これはまさしくトウモロコシそのもので、門守(かどもり)という風習のひとつ。昔からトウモロコシは「雷除け」とされていたが、それが「魔除け」となり、豆(まめ)が多いほど「まめまめしく健康に働け」、毛(もう)が多いほど「儲けが多い」とされて縁起物になったそうである。
格子壁に絡む蔓性の植物越しに中の灯りがこぼれている。おや、向こうの方に和服姿の女性二人連れがいる。
さりげなく英文のポスター。「Geisha Evenings in Kanazawa --- 2017 Autumn Performance At Traditional Teahouse Kaikaro ---」とあり、「The Authentic Way of Visiting a Teahouse : This is not only just a show, but also an experience of the authentic, traditional way at Kanazawa's teahouse. You'll soon be feeling the nostalgia of Kanazawa.」だって。近所なら即 Kaikaro行きをスケジュールに追加したいところだが! 辻を入り込むとベンガラ色の茶屋。
左の鳥居は宇多須神社で、金沢城の鬼門の方角の当地に前田利家公を祀っている。ここは元の加賀藩社「卯辰八幡宮」とのことである。右は、 ひがし茶屋街の鎮守社として崇められる菅原神社。
細い通りも同じ茶屋街の雰囲気に包まれている。横書きの行灯には「金沢ひがし茶屋街漆器直売処」。
文政3年(1820年)に建てられた茶屋建築の「中屋」をお茶屋美術館にしたもので、玄関の大戸を含むすべてが弁柄(ベンガラ)仕上げになっている。芸妓の髪飾りや加賀蒔絵、加賀象嵌、九谷焼などが展示されているのだが、時間不足でパス。
次の辻には大きな建家があり、何かと思っていたら「東料亭組合」の表札が出ている。
午後5時が近づき、予定より1時間近くのんびりしてしまった。茶屋街を後にする折り、格子戸に加えてひときわ障子の美しい店を発見、きんつばを商っている。建家の風情もさることながら、店名の看板や商品陳列棚にいたるまで金沢を感じさせる名店であると感じた。
ひがし茶屋街から金沢駅まではバスを利用して17時半頃に帰着した。5時間余りの滞在だったが、よく歩き金沢を感じとることができたように思う。やはり他の地に比べて和服姿が多かったのが印象的である。着物姿の外人も多かったが、特に土地の人の落ち着いた着こなしと振る舞いに加賀文化の伝統を見た思いが強い。予定より1時間遅れのチェックイン時間をホテルに告げ、18時1分発のIRいしかわ鉄道・あいの風とやま鉄道で富山へ向かう。