1.出発~スタート地点
叡山電鉄に乗り換えるために到着した出町柳は桜が満開。待ち時間に鴨川の河原に足を運ぶと、たくさんの人たちが花見を楽しんでいた。
高台に位置する二ノ瀬駅で下車して、長い階段を下りて行く。
前回のゴール道標を確認して、ゆるやかな上り道を進み今回のスタート道標48に着く。
2.守谷神社・富士神社~夜泣峠~向山
踏切を渡るとすぐに守谷神社・富士神社がある。手水舎にある由緒書きによると、それぞれ惟喬(これたか)親王とその母が祀られている。惟喬親王は里山の閑地に住んで深山幽谷の山地を開拓し、貞観4年(862年)に二ノ瀬に仮住まいして里人らに挽物の業を教え、木地・挽物の祖神と仰がれたとのことである。
夜泣峠に向けてスタートだ。まずは長い急階段を登らなくてはならない。
つづら折りの山道が続く。通行に支障はないが、部分的に倒木や路肩が崩れているところがある。
やがて北山杉に囲まれると、夜泣峠の道標50-1が見えてくる。
夜泣峠では深呼吸をして次の向山に向かう。
向山までは歩きやすい尾根道が続く。
ゆっくりゆったりの森林ウォークを25分、向山山頂に到着した。ここで昼食をして小休止をとる。
出発の前に道標51-3で記念写真をパチリ。
3.山幸橋~盗人谷~氷室町
快適な尾根道が続く。道標52-2と52-3には休憩用ベンチが設置されているが、これは見るだけでパス。
道標52-3を過ぎて下り坂になると、あちこちにヤマツツジが蕾をつけている。
道標53-1~54-4までを通過して平地に近づいた。石ころ道に出て橋を渡る。
再び小さな橋を渡って、向こうの建家を回り込んだら関西電力洛北発電所だった。
道標55の山幸橋(さんこうばし)に着いた。実際の山幸橋という橋はこの地点から少し西にあるのだが、これはパスし、市原バイパス道を横断して山道に入って行く。
盗人谷への道には危険注意の表示もあるが、とても歩きやすい山道だ。
盗人橋一ノ橋は一部崩落しているが、手摺りまでついていてまったく問題なし。
名もない小さな橋やこんな起伏もあり
小さな沢渡りもありで、変化に富んでいる。
盗人橋二ノ橋は堅牢なつくりで床面も歩きやすい。
最後の盗人橋三ノ橋はさらに堅牢で、見事な作品とでも言いたくなる。道標61を脇に見て氷室へと向かう。
小峠にさしかかった急坂で、マウンテンバイクの若い女性に出合う。こんな根っ子道の急坂を独りで乗りこなしていることに驚き、先にたどってきた盗人谷の橋をどう渡るのかと気になった。彼女はこともなげに消えて行き、われわれは道標62の小峠に着いた。
盗人谷を無事に越えてひと安心の相棒。ここからは、北山杉の中を散策モードで歩くことができる。
小峠から5分ほどで人家が見えてきて、害獣防御ネットで囲まれたゲートを通過する。
道標65到着は16時4分。近くに氷室跡があるのだが、時間の関係でパスすることにして氷室神社へ向かう。
4.氷室神社~京見峠~千束
氷室は、宮中に献上するための氷を作って貯蔵したところとして知られている。氷室神社の案内板によると、献上者の稲置大山主神(いなぎのおおやまのぬしのかみ)を祀っており、例祭6月15日が献上日にあたるとしている。
氷室のひなびた田園風景の一角、赤鳥居の奥にある拝殿と本殿。
舗装道路を京見峠へと下りて行く。途中で右側にアンテナが見え、やがて京見峠分岐の道標67-1を確認する。今回は千束へ下りて帰路につくため道標68を目指す。時刻はすでに16時40分であり、さらに道を急ぐ。
道標68に到着して機械的にデジカメのシャッターを押す(被写体の内容を理解しないまま、トホホッ・・・)。そんな具合で、この通行止め掲示の内容を見落としてしまい、数日後、第7回目に出かけて引き返すという失態をやらかすことに・・・・。
下りかけたところには京見峠茶屋の風情ある佇まい。時間があればゆっくりしたいところなのだが・・・。
左手に見えるのは比叡山だろうか。先の距離感がつかめないまま道を急ぐ。
道標や看板がにぎやかな三差路に出たが、どちらに進めばいいのか判断できない。状況を把握するために5分以上もロスタイムが発生して、17時4分にやっと歩き始める。
人家もなく何も通らない道、これが長坂越えの道だと確信して進む。三差路から35分、民家が見えてきたときには心底ほっとした。
着いたのは鷹峯(たかがみね)集落。ここからバス停のある鷹峯源光庵までの急坂は半端でない。行き来する車に注意しながら、疲労した足が痙攣しないように一歩一歩登って行く。
これが源光庵、そして鷹峯源光庵前バス停。あとはバスに乗り込むだけだ。
ハードな歩きになったが、それでも打ち上げだけは四川料理の店でしっかりやり、最終電車で岡山方面へ。二人ともくたくたながらも、無事に帰宅することができた。