1.龍野公園駐車場から野見宿禰の道を登山口へ
途中のSAで倉敷「山の会」の皆さんと合流。サンシェードで眩しい陽光を除けながら山陽自動車道をひた走り、龍野公園駐車場に到着した。真っ青な空と深緑に覆われた山々に囲まれて支度を調える。
午前8時ちょうど、左に龍野公園、右に龍野公園動物園を見ながら桜並木を行く。
三木露風の赤とんぼの碑がある通りへと左折して、緩やかな坂を上がる。
突然「鹿がいるよ!」と女性の声。オオッ、こんな保護色のシーンでよくも見つけたもんだとビックリする。この写真でどこに鹿がいるか、判るかな? 「地域の人々の生活を永年見守ってきた」というムクロジの巨木が立つ。これは県の郷土記念物に指定されている。
長い石段の上は龍野神社で、元は龍野藩主の脇坂安宅が藩邸敷地内に祀っていた脇坂家の廟社だったのが、廃藩置県後に一般神社に格上げされたものであるとのこと。祀られているのは、豊臣秀吉の副将で賤ヶ岳七本槍の一人として知られる脇坂甚内康治公である(以上は龍野史談会作成の解説板より)。2014年に登った賤ヶ岳のことが思い出される。 左に江戸時代の史跡である聚遠亭(しゅうえんてい)が広がる。風雅な茶室が心字池の浮堂として周囲の景色と調和している。
北上すると三差路道標に出合うが、これが少しばかり判りにくい。先ほど通過した「龍野神社」と「国民宿舎赤とんぼ」の方へと左折する。隣り合って「山陽自然歩道」のマップが掲示されている。これもザックリ位置関係を把握しやすいが、現在位置や進行方向についてはほとんど参考にならない。
紅葉谷に入ってだらりとした坂が続く。分岐道標が現れて直進すると紅葉谷から両見坂、ここは左の野見宿禰へ向かう。
2分ばかり進むと、左に石鳥居があり龍野神社から上がってくる道と合流する。少し段差のついた道をゆるゆる進む。このあたりにも鹿が数頭いて、食害を避けるために木の幹に金網が巻き付けられている。
国旗が掲揚された展望台に到着した。ここにも三木露風の『赤とんぼ』の歌詞と、母恋しさを詠んだ「吾れや七つ母と添寝の夢や夢 十とせは情知らずに過ぎぬ」の詩。オヤッ、誰かが赤とんぼを口ずさんでいるぞ、癒やされるなぁ・・・。眼下には揖保川が水平に延び、たつの市と遠く姫路市を眺望できる。
これは気分が好い、まるで天上への階段を上がって行くようだ。一歩ずつゆっくり踏みしめて登る。ところで、野見宿禰を「のみのすくね」と読むこと、神話の時代に出雲国に生まれた野見宿禰が、天皇の御前で力くらべをしたのが相撲の始まりで、相撲の神様といわれていることを初めて知った。なんでも、有名力士たちがたくさん参拝に訪れているそうである。で、この石の扉の紋章は、野見宿禰と関わりのある出雲大社千家氏の家紋とか。
境内の奉納石柱に真っ赤な幟がはためいている。幟の家紋は脇坂家の「輪違い」家紋である。今上がってきた階段をのぞき込む。ふ~む、かなり高度を稼げたようだぞ!
「境内を後へ回り込んだところから山へ入るよ~!」、リーダーのJさんから声がかかる。やっと山道になるので、実質的な登山口は野見宿禰神社の裏ということになるのだろうか。ここからかなり急な登り坂が始まる。
2.的場山~城山城(きのやまじょう)跡
最初少しの間は一列で整然と進むが・・・、石ころだらけの急坂になるとジグザグになり・・・、
やがてこんなにしないと登れない場所もあり、列はどんどん伸びてゆく。
列詰めの小休止で元気を取り戻すが、また間もなく列は長~くなる。
ずいぶん岩が多いと感じていたら「台山ロックガーデン」の標識で納得。「台山」は的場山の地元での呼び名である。左に電波塔が見えてきた。
丸太の階段をひと登りすると標高394.2mの的場山山頂に到着だ。
山頂には巨大なアンテナ施設があり、南には先ほど見えていた少し小ぶりな電波塔。遠くに播磨臨海工業地帯から瀬戸内海を見渡すことができる。
どこかは定かでないが、瀬戸内海に浮かぶ島にズームイン! 落ち着いたところで三等三角点を確認する。
山頂には近畿自然道の近辺地図と解説パネルがある。脇に設置された日陰の温度計は13.5℃、日向では17℃を示している。快適なはずだ。北にはこれから向かう亀山方面の山並みが待っている。
小休止している間に、亀山方面から戻ってきた男性と出会って情報交換が続く。祇園嶽付近の山道の状態が極めて悪く、亀の池までで止めた方がいいとの断定的な表現は説得力がある。どうやら自分が想定していた縦走は、チームとしては難しくなりそうだと感じる。
亀山への道は下りで始まる。すぐに左に巻いて下りる舗装道路があり、山道は緩やかな尾根道歩きになる。ここから亀山までは4.9kmだ。
かなり下った後には厳しい傾斜が待っている。しだいにアルプスらしくなってきて上機嫌だ。時折り小休止しながら登って行く。
的場山から20分で約700mを移動する。僅かな距離ではあるが、山頂の電波塔は遙か彼方に遠のき、山の距離感がどんなものかがよく分かるシーンだ。
2万5千分の1地図を持っていれば、高圧電線や鉄塔は現在位置特定のキーになる。その鉄塔に到達すると判りやすい道標が設置されていた。ここから佐野へ下るルートが明確に示されている。
すぐ383mピークに着いて四等三角点を確認。この先は再び急な下りで慎重に足を踏み出す。
今日は歩きのテンポが速いのでのんびり風景観賞・写真撮影というわけにはいかない。かなり乱暴にシャッターを落としながら尾根からの風景を切り取ってみた。
またまたハードな登りをこなすと「祇園嶽」への道標がぶら下がっている。「どうしても想定していた縦走はムリなのかなぁ」などと考えながら進む。
右側手前には新宮町の町並みと出雲街道、その向こうに揖保川と姫路方面の山並みが一望できる。やっぱり尾根歩きは最高だ。
城山城(きのやまじょう)跡に到着し、ここで昼食にする。その前に少しばかり周囲を偵察することに。杉の落ち葉のクッションにクサヤツデらしき野草が群生している。仲間の一人が指さして、「あれもこれも鳥が運んできて(糞に混じって)根付いた千両です」。あちこちで30cmばかりの苗に育っている。
これはモリアオガエルかな? オタマジャクシがビッシリと体を寄せ合っている。西の谷間には、播磨自動車道と兵庫県立大学を望むことができる。
コンビニで調達したおにぎりとタコ飯のお稲荷さんで昼食。食後にはガスバーナーで湧かした湯で熱々のコーヒーをご馳走になる。ここで亀山側から下りてきた男性によると、祇園嶽は少し険しい場所があるけれどまったく問題ないとのこと。人によってかくも感じ方が違うことを知る。いずれにしても、いつも状況を把握しながら行くか戻るかの判断をすることが大切なのだが・・・。たっぷり1時間休息して出発しようとすると、女性3人からリタイアの申し出があり、彼女たちだけで先に往路を帰ることになる。
3.亀山(城山)から取って返して鶏籠山へ
引き続き標高458m地点の亀山(城山)を目指し、わずか8分ほどで到着した。時刻はまだ12時半前だが、にわかに疲労と時間のことが問題になる。少なくとも期待していた亀岩・蛙岩と対面し亀の池だけは観たかったのだが、団体行動では勝手は許されない。結局、道標に記された亀の池までの片道25分について厳しいとする声があり、ここでUターンすることになる。
亀山から12分、東側の眺望に足が止まる。遠望の稜線に三角の頭を出す峰が、前回に仲間たちが出かけた姫路明神山と聞いてズームで寄ってみる。険しそうな山容だ。
帰路はアップテンポで捗り、亀山から1時間30分で的場山へ帰着。光る瀬戸内海に浮かんでいるのは淡路島かな?
的場山からの帰路は両見坂峠へと向かう。檜林に入り、檜の皮が剥がされて赤裸になっているのが続く。最初は動物の仕業かと思っていたが、それにしてはかなり上の方まで一様に赤くなっており、これは檜皮を採取した後に違いないと思う。急坂をかなり下りてきたところに「檜皮の森林」の表示があり、推理は正しかった。国宝・重要文化財等の屋根葺き替えや補修に使用されるそうだ。
両見坂峠に着くと自然体の石灯籠が立っていた。ここで近畿自然歩道を外れて東寄りに進路をとる。
鶏の伏せ籠に似ていたのが山名の由来とか、その鶏籠山に登り返して龍野城へ向かうのだが、長い下りで疲労した足には、この登りがことのほか堪えた。
標高218mの山頂にやっとこさで到着し、まずは「龍野古城」の標石をカメラに収める。戦国時代に赤松氏によって築かれ、後に織田信長の命で播磨・中国地方平定で攻め入ってきた羽柴秀吉に開城する。安土桃山時代になって(1598年頃)山頂の城を取り壊し、その後麓に龍野城が築かれたといわれる。本丸跡・二の丸跡などがあり、階段状に郭が設けられ見事な土塁や堀切が残っている。
4.龍野城登り口へ下山して龍野公園駐車場へ帰着
今回いちばんきつかったのが鶏籠山の下りだった。落ち葉も砂利も滑りやすくて気を抜けない。しかもジグザグの急傾斜が続いており、途中でいちど尻餅をつきかけた。
厳重な害獣フェンスをくぐって龍野城登り口に下り立つ。庭園を荒らす小動物が多いようだ。フェンス脇の箱の「鶏籠山・野見宿禰 登山マップ」をいただいた。龍野城庭園の庭石に腰を下ろして、よくできたマップを見ながら小休止をとる。
昭和54年に再建された本丸御殿。旧龍野市の説明板によると、この城は寛文12年(1672)に信州飯田から入部した脇坂安政が再建、時代が既に太平の世であったこと、外様大名であった事などへの配慮から、城郭というよりも御殿式の、武装化した邸宅といった様式にしたそうである。美しい本丸御殿は無料で見学できる。
石垣の下部をくり抜いた埋門(うずみもん)を通って城外へ出る。
その後は風情のある町並みを龍野公園へと歩く。右に鶏籠山を背景にした美しい隅櫓(すみやぐら)が現れ、やがて赤とんぼの碑まで戻ってきた。
龍野公園駐車場で、先に帰着して待ちくたびれた女性3人とも対面。全員の無事を確認した後は「はつらつの湯」で汗と疲れを落として岡山へ。楽しい山行をありがとう。