名 称

ちゃうすやま

所在地

岡山県赤磐市周匝(すさい)

標 高

174m

山行日

2022年4月4日

天 候

晴れ

同行者

「大山、立山の会」の仲間たち

アクセス

車で赤磐市吉井支所駐車場へ

マップ

    

このマップは、国土地理院の電子国土Webシステムから提供されたものを使用しています。

コース概要

赤磐市吉井支所駐車場に到着 10:15支所駐車場を出発 10:18八幡宮 10:29道が不明で撤退 10:40
登山口 10:44周匝配水池・忠魂碑 10:54周匝茶臼山城(昼食・見学)11:15~12:27
大仙山城址分岐 12:41分岐1 12:46分岐2 13:12支所駐車場に帰着 13:14

1.登山口を探して

 真っ青な空で気温もまずまず。赤磐市吉井支所の駐車場から畑中の道を、四人衆は北へ向かう。

 左側に地球史研究所が現れる。2017年に旧備作高等学校に開設された、NPO法人地球年代学ネットワーク(jGnet)の研究拠点である。地域の地質・地形の研究などを行っている。花に囲まれた山上をズームでアップしてみる。これは楽しみだ。

 八幡宮の鳥居周辺は工事中で、回り込んで周匝保育園の左側を進む。

 左手に地球史研究所があり、すぐ先が八幡宮だ。

 二つの案内板があり、ここは周匝初代領主の池田長明が建立した瑞雲山大龍寺址であることが記されている。父長政を弔うために建立され周匝池田家の菩提寺であったが、明治の初めに廃寺となって墓石が残されているとある。もう一つは、赤磐市指定文化財になっている周匝池田家墓地の説明。茶臼山山頂部と尾根上にある周匝池田家の墓所「空(そら)のお塚」と合わせて、麓の「新(しん)のお塚」には初代長政、八代長紀、九代長貞の墓があるとのこと。八幡宮の左を山へ入って行く。

 3~4分進むと道が消えている。古い墓石が建ち他にもいくつかある。さらに奥へ踏み込んでみたが見通せないので引き返す。一帯は先の案内板にあった墓所ではないかと思われる。

 以前に登ったことがあるKさんが、別のルートを行こうと北へ歩く。で、とても道とは思えない草地へ入っていく。周匝保育園の北詰のあたり、どうやらここが登山口らしいが標識はない。

2.山頂を目指して

 確かに道はついているが、あまり人通りはないようだ。傾いた竹を払いながら前進する。

 花見山行だからウォーキングシューズでと思っていたのだが、トレッキングシューズにしてよかった。タケノコの季節がらか、路面はイノシシの遊び場にもなっているようだ。

 やがて藤棚が見えてきた。その先で、東側から上がってきた舗装道路と合流していて配水施設が設置されている。

 脇の小高い丘に登ってみると忠魂碑がある。周辺の桜や木の葉越しに吉井川と周匝の町並みが見える。

 花の下で小休止をとって出発だ。

 何カ所にもベンチがあるのはありがたい。

 小休止しながら、木洩れ日の坂をゆっくりと登る。

 登山口から25分ばかりで、城の直下にある腰曲輪跡に到着した。「敵の攻撃があった時、最後に戦うところで、城の本丸の周囲に造られた」と解説板。屋根のついたベンチがあり、数人がお弁当を広げている。

 緩やかな木道を行くと白壁の塀が見えてくる。見上げると、城山公園シンボルの城型展望台と桜の調和がナイス!

 こんな所に駐車場。皆さん車でお花見のようだ。何とここに、片鉄ロマン街道スタンプラリーの旗が立ちチェックポイントが設置されている。一般の方々はここからスタート。四人衆はエッコラ・ヨッコラと最後の坂に挑む。

3.山上風景(城山公園)

 城門をくぐる空は真っ青。南には花の向こうに一片の雲。

 城内に一歩踏み込むと、車中で話題になっていた五木ひろしの『吉井詩情』の歌碑が建ち、傍のボタンを押すと熱唱が流れ出す。名調子にしばし聞き入りましたよ!
    ラインの流れか 吉井の川は
    琥珀色した ワインの香り
    遙か彼方の 異国の国と
    夢を結んだ 吉井の郷よ
 歌碑の台座に刻まれているように、これは1995年4月にドイツのヴァルハウゼン(Wallhausen)と友好提携を結んだ記念事業でもある。三番まである歌詞とメロディーを楽しみたい方は、YouTubeでどうぞ。

 訳もなく力(りき)んで撮った城形展望台は今にも四股を踏みそうだ。実際はもう少しスマートである。背後へ回ると由緒ある民家を移築した休憩所(もとは商家で、昭和の初期までは高瀬舟の舟宿とか)。隣りに大型縦穴遺構が並んでいる。休憩所では、城山公園のパンフレットや周匝茶臼山城跡についての配布資料をいただいた。

 竹垣の小さな庭に水琴窟があったので竹の穴に耳を傾けるが、聞こえない。右がダメならと左に取っ替えるが、聞こえない。聴力の衰えは自覚しているが、水琴窟の音色も音量も明瞭に知覚している。これは変だとしばらく頑張って諦める。

 満開の桜に囲まれてのお弁当は申し分なしで、コンビニ弁当が3倍旨い。食べながら花を讃えたのは、前書きに記したとおり。

 城型展望台の内部には数々の文書や標本、武具や武将の像などが展示されている。

 最上階からの眺望は抜群。写真左は南に延びる和気町の山並み。右に遠くは和気天神山か、手前は向山だろうか。

 写真左は、蛇行する吉井川の向こうに吉ヶ原の町と美咲町の山々。右は吉野川に架かる鷺橋と美作市の山。

 続いて、昨年の4月に登ったウネ山のあたりを眺めて、もう一度、眼下の吉井川堤防の桜並木に目を向ける。

4.墓所を巡って下山

 城山公園を堪能して下山にかかる。駐車場手前の右側に深い堀切がある。

 堀切の反対側には空堀跡がある。本丸を守るための溝で、ここから約100mにわたる山裾の急坂に掘られている。鎖を張った空堀体験コースがあるようだ。駐車場を通り越すと緩やかな上り坂が続く。

 峠とおぼしきあたりに差しかかるとコバノミツバツツジが咲きほこっていた。まだ多くのツツジは蕾の状態だ。

 その先に延命子宝地蔵の祠がある。手書きの案内板が立ち、城に登り下りする武士たちが武運と家内安全を祈願したことに合わせて、嫡子の誕生を祈ったとのことである。

 道が少し下りになったあたりから池田家東墓所が始まる。最初に対面するのは二代・池田長明(ながあき)の墓で、ここから道に沿って七代目まで続いている。

  〔三代・池田長久(ながひさ)と夫人の墓〕

  〔四代・池田長喬(ながたか)と夫人の墓〕

  〔五代・池田長處(ながおき)と夫人の墓〕

  〔池田長處の弟・長宗(ながむね)の墓〕

 右に大仙山城址へ通じる道が現れた。城山公園の休憩所でいただいた周匝史跡保存会作成の資料『大仙山城』によると、大仙山城と茶臼山城の関係はかなり微妙なようである。従来は茶臼山城が本丸で大仙山城に出丸があったとされていたが、その後の大仙山城の遺構調査による規模と整備状況から、逆に大仙山城が本丸であったとする見方が有力になっているらしい。しかし、茶臼山城と大仙山城は別の城であったとする説もあるそうだ。なお、この資料の原典は山陽新聞社発行・富坂晃(著)『岡山の城』とのこと。

  〔六代・池田長伋(ながより)と夫人の墓〕

  〔七代・池田長玄(ながよし)と夫人の墓〕

 池田家西墓所とあるが、これは大仙山城址への道からここまでのことだろうか。脇に、初代・池田長政、八代・池田長紀、九代・池田長貞の墓は、山麓八幡宮の西南にあるとの立て札が立つ。

 すぐに分岐(地図上の分岐1)になり、左折して「2t以上通行止」の舗装道を下る。

 道が左折する所に案内板があり、次のヘアピンカーブ前後の左側に東雲谷(とううんだに)古墳群があると記されている。すぐ先にはイノシシの箱罠が仕掛けられている。

 下り始めて10分足らず、振り返ると谷間には桜、その上方にピンクに滲む咲き初めのツツジ。

 途中に馬塚があり手書きの解説板が立つ。内容を要約すると、この塚は池田光政が、本田忠刻と千姫の娘の勝姫を娶った折りに将軍秀忠から賜った名馬「東雲(しののめ)号」を偲ぶもの、先の東雲谷(とううんだに)の地名はこれに由来するとのこと。

 下り立った道辺には白い廃屋。民間に売却されたかつての中学校らしく、売却後に白く改装された後に放棄されたものらしい。何とも侘しい風景ではある。

 締めは、待ってましたとばかりのレンギョウの黄色。周匝支所に帰着して山を見上げると、城が桜の座布団の上にふわりと浮いている。花々の彩りを存分に楽しんだ帰路、回り道した桃畑にも満開の花。これは嬉しい番外編となった。今回も、ハンドルを握ってくださったTさんに感謝、そして Viva 四人衆!