名 称

いわやさん

所在地

岡山県津山市中北上

標 高

482m

山行日

2020年11月17日

天 候

晴れ

同行者

なし

アクセス

JR姫新線・美作追分駅下車

マップ

    

このマップは、国土地理院の電子国土Webシステムから提供されたものを使用しています。

コース概要

美作追分駅スタート 10:30岩屋城跡入口 11:03登山口(第1駐車場)11:23~11:31慈悲門寺跡 11:43
三合目 11:48五合目 11:59山王宮跡 12:08水神宮・龍神池 12:27~12:34
馬場跡/天空の鳥居 12:45~12:53岩屋城本丸・岩屋山山頂 13:00~13:08二の丸 13:12
舗装道下山開始 13:15たて堀跡 13:19第2駐車場 13:33登山口(昼食)13:38~14:16
美作追分駅帰着 15:13ごんごバス追分口乗車 15:40

1.美作追分駅~登山口

 JR津山駅から22分、姫新線の一両編成の気動車で美作追分駅に到着する。駅の在所は真庭市上河内で旧落合町にあたる。岩屋山は津山市中北上に位置するので、市の境界線を越えて歩くことになる。

 駅から交通量の多い国道181号を東に進むと、間もなくカーブミラーのある分岐になる。国道を左にかわして直進するとかつての出雲街道だ。ここから岩屋城入口分岐までは国道と出雲街道が重なりあっていて、車両が少ない出雲街道を選んで歩く。

 国道181号線との最初の合流地点は峠になっていて、六角柱の道標が建っている。
   峠を越えると久世、勝山へ。さらに北西に進めば美甘、新庄とかつて宿駅の置かれた町をたどる出雲往来の旅
   となる。六面には
     「西 出雲大社江三十七里」「伯州大仙江拾七里」「伊勢大神宮江八十五里」「東 木山宮従是左江三里
     五ヶ村日詣」「讃州金毘羅江三十三里」「能勢妙見江四十五里坪井宿」
   と記してある。
   (岡山総合文化センターニュース 平成14年(2002)9月10日号 「落合町・追分の道しるべ」より)
 しばらくは国道脇の歩道を歩く。

 すぐに「追分一里塚跡」があり、やがて分岐になって再び出雲街道へ入る。ここはもう津山市だ。

 道の両側には古くからの家屋が並ぶ。左手には白壁の塀を巡らせた立派な邸宅が見える。

 国道に出ると六十六部供養塔と塞の神様の標識に挟まれて石碑が建つ。
   六十六部の供養碑は満願供養のものであり、「奉納大乗妙転六十六部供養塔」と刻まれている。
   塞の神は原と明谷の境にあり、旅人や地区の安全と無病息災を祈願する。天保3年(1832)建立。
   (『津山瓦版』e-tsuyama.comより)

 美作追分駅から約30分、「岩屋城跡入口」の案内板があり左折して舗装道を進む。

 「岩屋城登り口」の道標があり、わずかに傾斜した坂道が始まる。その先に「仁反田屋敷跡」「清水屋敷跡」などの案内標識が立っている。

 左手の緩やかな斜面に、かつては立派な屋敷が並んでいたようだ。しばらく進むと、「忠臣 加藤伊豫守(いよのかみ)と自害谷(じがいだに)」の解説板がある(岩屋城を守る会制作)。
 解説は細部に及んでいるので要約すれば、「尼子方の中村氏が城主であった当時、宇喜多直家は難攻不落の岩屋城を手に入れようと、尼子が送り込んでいた副将格と通じ合って一夜宴会を催し、その席で城主を殺害する。家臣加藤伊代守はこれを嘆くが病身のため仇討ちもできず、山の三合目あたりで自害する。岩屋城の南東には’自害谷’と呼ばれる地名が現存する。最後まで任を守りとおした城主への忠義のために、死をえらんだ忠臣を伝承したい」とのことである。
 背後に皇帝ダリアが淡いピンクの花をつけている。

 美作追分駅から50分少々で登山口に到着した。「岩屋城跡」の解説板(下の写真)と、二つの登山ルートと注意事項を記した「ご来跡のかたへ」の案内板があり、円筒形のトイレが設置されている。

 「岡山県指定史跡・岩屋城跡」の石柱があり、その近くに石を積み重ねた墓のようなものがある。これは、自害谷墓所から転がり落ちてきた墓石と云われている。

2.山王宮跡~龍神池

 「岩屋城登り口」から坂を上がると、「いくつあるかなこの石段」の立て札があり長い石段が延びている。

 すぐそばに今度は「岩屋城登山口」の標識と歓迎の言葉(?)。元気よく歩き始めるが、傾斜がきついのに加えて今日は気温が高く、いきなり汗がしたたり落ちる。とても石段の数をかぞえるどころではない。

 階段を登り終えると「慈悲門寺下の砦跡」の標識。木漏れ日の道を登って行く。

 坂の途中に「炭焼き釜の跡」があり慈悲門寺跡に着いた。岩屋城は室町時代から戦国時代にかけて築城された山城とされるが、解説板の通り、慈悲門寺はそれ以前の平安時代に円珍によって開基された天台宗の寺院である。規模・内容等は定かでないが、周辺には多数の平坦地が造成されていて、これらは慈悲門寺を守る砦の役割を果たしていたのではないかと推測されている。先に通過した「慈悲門寺下の砦跡」はそのひとつだろう。
 時代を経た岩屋城築城後は、有事の際には慈悲門寺そのものが砦として使用されたと考えられ、岩屋城の廃城と共に寺も廃滅したと伝えられている(別の解説板「慈悲門寺跡」から要約)。

 これが慈悲門寺跡だ。かなり広い楕円形の敷地ように思われる。カメラに収めた句碑には、次の二句が認められる。
    老松が 昔をしのぶ 慈悲門寺
    岩屋城 袖にだきこむ 慈悲門寺

 急坂をエイヤッと登ると三合目で、汗が飛び散る。エッ!まだ三合目?

 落ち葉の積んだ道を滑らないように進む。急坂の途中に、また炭焼き釜の跡がある。

 五合目に到着だ。「山王宮拝殿跡」の標識があり解説板が立つ。解説板を読めば、「山王宮に至る道は非常に険しかったため、一般の参拝者はこの場所にあった拝殿から参拝していた」とあったのだが、早とちりで、気にも留めず踏み込んで行く。

 右側が切れ落ちた(ように感じる)下りの細道を、そろりそろりと進む。滑りそうな急坂だが手が届く草も木もなく、一生懸命バランスをとりながら、そろりそろり。

 下りたあたりに層状の岩があり、小さな滝のように清水が滴っている。水たまりをさえぎる石が安定しているかを確かめながら渡る。

 渡った先は上りの急坂で、ストックをついてよじ登る。着いた先には、岩窟に祠が祀られていた。山王宮は慈悲門寺の鎮守であり、円珍和尚が慈悲門寺を建立する際に、近江にある日吉大社から山王大権現の分霊を勧請されたものだそうだ。

 さて、引き返すのも大変で、滑落しないようにそろりそろり。独り歩きでは、こんな時に武者震いが起きるほど緊張する。わずかな距離の往復に15分もかかってしまった。本丸跡へ向かって登り始めると、大きな岩に穴が穿たれている。

 巨岩に沿った道、細い急坂を登り進む。

 水神宮の拝殿が見えてきた。拝殿の内側には龍神池があり、水神様が祀られている。伯耆大山にある赤松池の龍神を勧請して祀ったものである。裏手には、生活に欠かせない井戸の跡がある。

 これは井戸がある裏側から見た水神宮拝殿と龍神池。もとに戻って本丸跡を目指す。

3.馬場跡~本丸・山頂

 周囲の空が明るくなって山頂が近いことがわかる。「飲料水用井戸跡」の案内標識があり、そばに長い柄のヒシャクが置いてある。

 祠の前の黒いカーペットを持ち上げると、清水を湛えた井戸が現れた。ただ、ミズスマシのようなのが泳いでいたので試飲は遠慮した。

 「馬場への順路」の道標にしたがって高台を取り囲む平地を回り込むと、鳥居と階段が現れた。

 階段を登ると馬場に到着する。この明るさと広々とした空間は別世界だ。開放感で頬が緩んでしまう。馬場は本丸付近の郭の中では最大であり、有事の際には多数の兵員が駐留していたと考えられている(解説板から)。木の鳥居の向こうには東屋が建つ。

 鳥居付近からの眺望。東は津山市の市街地から津山市西部と真庭市にかけての山々が見えている。

 最近とみに有名なのは香川県観音寺市「高屋神社の天空の鳥居」だが、ここの鳥居も負けてはいない。

上の写真より少し広角かも。天空の鳥居からの展望、手ぶれを我慢して雰囲気なりを感じていただければ (^o^;) .....

 小分城跡と本丸跡への分岐道標がある。燃えるようなカエデの下を本丸跡に向かう。

 擬木の階段をひと登りすると本丸跡だ。ここも広々としている。

 山頂の本丸跡からは、真庭市落合から久世、勝山地域までの展望が効く。一角に「岩屋からの眺め(真庭方面)」の展望案内板が設置されていて、それを見ながらシャッターを切る。遠く星山(ほしがせん)まで見え、以前に歩いた星山~扇山~五輪山~櫃ヶ山の縦走を懐かしく思い出す。

 本丸跡は東西約60m、南北約20mの楕円形になっている。ここからは山頂部にある城郭のほぼ全域を見渡せるそうである(案内板より)。その中央にある三角点にタッチする。
 本丸北側の垂直に近い断崖は「落とし雪隠(せっちん)」と呼ばれる。毛利方の決死隊は、風雨の夜にこの「落とし雪隠」をよじ登って城内に火を放ち、堅固な城を落城させたそうである。雪隠とは、もちろんトイレのことである。

 本丸跡から眺める馬場跡の黄葉は実に穏やかで、去りがたい思いにさせる。溢れる陽のもとで一寝入りしたいのだが、重い腰を上げて二の丸へ向かうことにする。

4.二の丸~管理用舗装道を下山

 道標にしたがって二の丸へ向かう。林間の道、細い道を下り進む。

 傾斜が緩くなり、本丸との間の堀切のようなところを通って二の丸に着く。案内標識に「二の丸は裏側の砦として非常に重要であった」と記されている。

 二の丸の東詰には大堀切跡がある。のぞき込むと、尾根を断ち切ったように深く切れ落ちている。

 ここから下山にかかる。急坂を紅葉が包み込む。

 岩屋城を守る会が設置した植樹記念碑を見て進む。その先に「下り口駐車場へ」の道標が立ち、路面が舗装に変わる。少し下りると大堀切跡がある。

 さらに「たて堀跡12本」が続く。12本の連続する竪堀遺構で「てくのぼり跡」とも呼ばれている。うねったような地形が見える。以上のように何段にも構えられた堀切に、岩屋城の守りがいかに盤石であったかをうかがい知ることができる。

 落ち葉が積んだ九十九折りの急坂が続く。途中に岩穴があり石像が奉納されている。右手に剣を持ち、左手には縄のようなのを持っているので不動明王だろうか。

 落ち葉が少なくなり平坦な道路に下り立った。

 ここは第2駐車場だ。停車しているのは落ち葉の片付けなどをしている作業者の車。結局、道中では誰にも出会うことがなかった。

 第2駐車場から5分ほどで第1駐車場がある登山口に帰着した。時刻はすでに13時半を過ぎていて、ここで昼食をとることにする。山行記録を整理しながらゆっくり休憩して帰路につく。

 岩屋山を振り返りながら岩屋城跡入口を過ぎ、美作追分駅に帰着する。次の便まで1時間以上あったので、帰りに見つけたバス停の時刻表をチェックしたら、追分口バス停始発で15時40分があるのを発見。ただしそのバス停がどこにあるのか分からないので、駅のベンチで所在を確認する。

 追分口バス停は六角柱の道標の近くにあることが分かり、再び岩屋城入口側へ引き返して乗車する。鉄道の2倍ほど時間がかかり、途中で乗り継ぎが必要だが運賃は格安の200円。長閑な風景を眺めながら津山駅に帰着する。
 山歩きも楽しかったが、やはり岩屋城跡の規模・内容が印象深い。「岩屋城を守る会」の皆さんのおかげで当時の状況をうかがい知ることができて感謝。異次元を彷徨っていた感覚がしだいに戻ってくるのを感じながら、長い旅が終わったような開放感を味わっている。