夏場に猛威をふるった新型コロナで移動ができず、2年前から計画している夏山歩きは今年も中止。秋口を迎えて新規感染者が急減して緊急事態宣言やマン防は解除されたが、列車での長時間移動にはなお抵抗がある。近場の低山歩きも、10月になってなお夏日の連続でとても出かけたれたものではなかった。ところが下旬になって急に気温が下がり、秋なしに冬になった感じだ。何はともあれ、コロナ対策のマスクと除菌スプレーをたずさえて、ザックを背負って飛び出した。
体力低下が気がかりで近所の山を歩いて確認し、まずは4月来の宿題になっている神楽尾山を目指すことにした。
1.小原ルート登山口へ
津山駅から神楽尾公園駐車場まではタクシーで移動する。神楽尾公園には下山後に入園する予定だ。
駐車場から北に舗装道路が延び、すぐ右側に登山案内図が立ち脇に杖が置かれている。
ここから舗装道路を北上して小原ルートを登ることにする。
2.二の丸跡から山頂へ
左側に「平和祈念 原爆慰霊碑」が建つ。これと出会ったことで、美作地域では広島部隊に配属された隊員ら約千人が被爆し、犠牲となったことを知る(産経新聞2014/8/7)。
行く手からストックを持った二人連れの女性が下りてきた。足元はしっかりとした靴だがストックの他は手ぶら状態。先のコースのことなどを教えてもらう。別れ際に「山頂は360度見渡せるよ~、きれいだよ~」。「ありがとう、楽しみにして登りま~す」。両側を雑木に囲まれた山道を進む。
別ルートからの合流地点を通過。また舗装道路になって右手には野菜畑が広がる。
左手に案内板があり、鉄製のスタンドに何本ものストックが立てかけられている。「神楽尾城跡」の道標があり、ここが神楽尾城分岐になっている。
畑の畔にコスモスの花。階段を登って進む。
紅葉はまだこれからだが、風景を淡い秋色に染めるものもチラホラ。
山道はよく整備されてとても歩きやすい。各所に神楽尾城の構造を示す標識などが設置されている。「切り岸」は敵の侵入を防ぐために造られた崖で、このような傾斜角度の急な地形が続いている。
次に現れたのは「切り通し」。これは文字通り山などを切り開いて通した道のこと。切れ込んだ道がついていて左側に階段が見えている。
階段の先は「二の丸」で、長さが200mもある東の砦である。入り込むと土塁に沿って道が延び、曲輪が広がっている。
(土塁と曲輪)
二の丸から出て土橋や泥田堀を通り越して行く。
少し進むと階段があり、一段高いところに上がる。
神楽尾城跡の解説板が建ち、左(南側)は「三の丸」、右は「本丸」の道標が立っている。
本丸側へ進むと広場があり片隅に井戸跡がある。ここは「武者溜まり」で、登城あるいは出陣する武者の集合場所である。脇の階段を登って行く。
途中に「虎口」(こぐち)がある。本丸を守る最後の砦となる部分で、それに連なって土塁が築かれ曲輪と物見櫓跡がある。虎口からさらに階段を登ると山頂だ。
3.神楽尾山山頂風景
神楽尾山山頂に着いた、そしてここが神楽尾城「本丸」跡でもある。小高い部分に二人の女性がいる。お二人は親子で、時々ここへやって来るらしい。真北の泉山(いずみがせん:1,209m)を指さして、先日あそこへ登ってみたとのこと。自分が登った山々をこうして眺めるのは格別だろう。
高台には立派な円形方位盤と三等三角点が設置されている。ここからの360度の大展望に息を呑む。が、ちょうど昼時なので下の東屋で昼食にする。
弁当を広げていると年輩のご夫婦がやって来て話に花が咲く。自宅が鶴山公園近辺で、二人で頻繁に往復二万歩のハイキングを楽しんでいるとのこと。そのパワーであちこちへ登山に出かけているそうだ。東屋には備え付けの登頂記録帳があったので拝見した。同じ字体の記載が多数見られ、「毎日登山」をしている人が多いようだ。
あらためて高台に登って大パノラマに眺め入る。円形方位盤には30座を超える周辺の山々が細かく刻まれている。
南に見える津山市街地。
真南には4月に登った神南備山が見える。望遠で迫ると、中央に中腹の神南備山展望台、右下に金光山長法寺の多宝塔も見えている。
雲とガスが多いのは残念だが、周辺の山の姿も明瞭に識別できる。
北には泉山。西には星山。
北東には天狗寺山。少し東には広戸仙、滝山、那岐山が連なり手前に山形仙。
南西には二上山。さらに西によると幻住寺山。
先ほどから、足元の一輪のキキョウを蝶が占領している。西側には黄葉の木々。
本丸は東西約40m、南北約45mで、北と西の側面は断崖絶壁になっている。方位盤と三角点は本丸の上2mの高台にある。山頂の気温は20℃で絶好のハイキング日和だ。長閑な時間を愉しんで、もういちど那岐連山を振り返る。
4.三の丸から総社東ルートを下山
山頂から5分ほどで三の丸に下りてきた。三の丸は長い馬場から南へ延びている。
馬場の先は横堀の方へ下りる。こちらもよく整備された道が続く。
田巴(たのむら)ルートへの分岐だ。直進すると石仏峠を通って田邑に至る。ここは「神楽尾公園」の道標にしたがって左へ進む。
少し下りると左側へ折り返すように「桝形・馬場」の道標がある。入り込んでみると、奥に「武者走り」の標識がある。武者走りは城壁の内側に設けた通路であり、その先に細い道が延びている。
引き返して下山を続けると「石仏山」の標識。
すぐに総社東ルートと総社西ルートの合流地点に着く。神楽尾城戦没者合同慰霊碑が建つ。
ここから総社東ルートを下りる。雑木に囲まれた道が終わって空が開けると黒い雲が湧いていた。
畑地と太陽光発電パネルが現れる。道端にはアザミの綿帽子。
こちらには「ひっつきもっつき(センダングサ?)」。緩やかな傾斜の道を行く。
左側に秋めいた木々を見ながら進むと高谷池に出た。黒雲は消えて、ススキの間に明るい湖面が映えている。
何かのバッジのような花をつけるヒメジョオン。黄金色のコウゾリナ。
セイタカアワダチソウに蝶が貼りついている。後で調べたらツマグロヒョウモンのメスだった。神楽尾城跡と神楽尾公園の分岐道標と出合って公園の方へと歩く。
5.神楽尾公園に立ち寄って駐車場へ戻る
西側から高台にある神楽尾公園に登って行く。白くて蛇行しているのはすべり台。最上部に建つ管理棟は休日なので閉まっている。
すべり台と展望台がある。長いすべり台への長いアプローチだが、これも今日は閉まっていた。
展望台と市街地の風景。
この他にもゴーカートや遊歩道、子どものための遊具などがある(ゴーカートは土日祝日だけ)。
園内を散策して出発地点の駐車場へ戻る。その後は歩いて住宅地を通り抜け、中国自動車道をくぐって美作大学前からバスで津山駅へ帰る。
予想よりも短時間で歩ける山だったが、山頂からの風景の素晴らしさは想像を超えていた。近場の山なら毎日登りたくなるに違いない。ゆっくりと山道を踏みしめながら、あらためて山歩きの楽しさを味わうことができた。