名 称

きのじょうさん~いぬはかやま

所在地

岡山県総社市

標 高

鬼城山 397m、犬墓山 443m

山行日

2017年5月4日

天 候

晴れ

同行者

級友たち3人と

アクセス

JR服部駅下車、車で鬼城山山頂駐車場へ

マップ

    

このマップは、国土地理院の電子国土Webシステムから提供されたものを使用しています。

コース概要

山上駐車場 10:00ビジターセンター(準備)スタート 10:03〜10:05犬墓山山頂三角点 10:30
三差路道標 10:49皇の墓 11:00馬頭観音 11:18~11:21八丈岩 11:31岩屋寺 11:37~11:40
観音堂 11:47~11:48岩屋休憩所(昼食)11:58~12:34岩屋分岐 12:53北門分岐 12:55
北門跡 13:10土塁 13:22第2展望台 13:29~13:38東門跡 14:01南門跡 14:24
西門跡 14:38角楼跡 14:47鍵岩展望台 14:57〜15:00山上駐車場帰着 15:07

1.犬墓山山頂~皇の墓

 駐車場から鬼城山ビジターセンターに移動すると大勢の人で賑わっている。ゴールデンウィーク限定の無料シャトルタクシーで上がってきた人も多いようだ。準備をして犬墓山へ向かおうとすると、案内人とおぼしき方が「そっちは岩屋三十三観音のほうで、鬼ノ城はこっちです」と声がかかる。「ええ、それでいいんです」と出発する。
 階段を登り、山道に入ってしばらくしてカメラをザックから取り出す。今日はカメラのことをすっかり忘れていた。

 10分ほど進むと南の眺望が開けた。総社から足守方面を一望できる。さらに犬墓山へと進む。

 もう鬼城山より高いところまで登ってきた。岩場に立つと鬼ノ城の角楼と西門が下に見える。背後に広がる瀬戸内海から四国の山々、もはやS君は指揮官と化している。

 自然の造形美も優雅だねぇ。と思っていたらもう犬墓山の三角点に到着した。以前はわかりにくい茂みの中にあったのだが、一部の草が刈り取られていてすぐに見つかった。

 道標の「岩屋休憩所」の方へ進む。道端に大きな岩が増えてくる。

 行く先々で出会う石仏は大半が二体で一対になっている。片方が観音さまで、もう一方はお大師さまだろうか。

 木立の茂る道を抜けると皇の墓への道標があり、ここで右折する。と、K君のケータイが鳴って話し始める。む、自分の名前も聞こえてくるぞ、相手は誰だ? これはこれは、同じ小学校時代の女子、Mちゃんからの電話で、留守宅周辺の整備をしてくれたK君へのお礼の電話だった。皆それぞれ電話を替わって話す。無線機器などで何とか通信手段を確保できないかと思っていた小中学生時代だったが、便利になったものだ。「近々、また皆で呑もうな~」。

 池の畔を通過する。水面から出っ張った石の上では亀が休憩中。

 これはウラジロかな、ゼンマイがニョキニョキ生えている。その向こうにまた一対の石仏が坐している。

 岡山県指定重要文化財の「皇の墓」に着いた。解説文によると、「岩屋寺の開祖、善通大師の墓と伝えられており、大師が文武天皇の皇子であることが墓の名の由来」とか。県内でもっとも古い様式を示す無縫塔(仏塔)の一つだそうである。一帯は切り拓かれていて、その一角にもお地蔵様が祀られている。

2.馬頭観音~岩屋寺~岩屋休憩所

 皇の墓から馬頭観音を目指す。時折急な坂や曲がり角もあるが、道標が整備されているのでスムーズに進むことができる。

 馬頭観音の少し手前に方位岩と汐差岩という大きな岩がある。方位岩は、岩の上に方位磁石のように真北を向いた石があるのでそう呼ばれるそうだが、登って確認はしていない。汐差岩は、石を切り出した部分に水が溜まっていて涸れることがないのでその名が付いたということだ。

 馬頭観音に到着した。付近の岩の上に立つと吉備高原を望むことができる。

 ここで東にとると八畳岩に出会う。名前の倍はあるのではなかろうか、とてもカメラに収まりきらない。

 周辺には大きさを競うように巨岩が散在している。「鬼の餅つき岩」があり、その先を右に下りると「鬼の差し上げ岩」が現れる。これを見ると、その大きさと形状に息を呑む。一同、「なんじゃ~、こりゃ~」と発声、それほど凄いのです。「鬼の差し上げ岩」は「鬼の岩屋」とも呼ばれ、温羅(うら:伝承上の鬼または人物)が住んでいた地との伝承がある。

 近くに梵字が刻まれた石柱と石仏がある。その先に岩屋寺が建っている。5年前に訪れたときはもっと古びた感じで風景に融け込んでいたのだが、改修されたのかな?

 少し下ったところに階段があり、それを登ると観音堂が建っている。5年前と同様、雨戸で閉ざされいる。

 岩屋休憩所へ向かって下りて行くと、途中の右手に「地神」の石碑と祠があった。

 間もなく休憩所に到着して弁当を広げる。
 犬墓山に踏み込んでここまで、出会ったのは二組だけ。その人たちのものと思われる車が駐車場に停まっている。食事をしていたらその一組が下りてきた。「なにわ」ナンバーの車に乗って手を振りながら帰って行く。遠方からよく来てくれたねと嬉しくなる。

3.急坂を鬼ノ城北門跡へ

 岩屋集落から鬼ノ城へと移動する。棚田のある道を舗装道路まで下りるのだが、5年前に美しかった棚田の半分以上が耕作放棄地になっていて、写真を撮りそこねてしまった。雑草に覆われた田圃はむごく淋しいものだ。

 水路に沿って下りて行くと白い可愛い花が咲いていた。イチゲではないかと思う。イチゲにはアズマイチゲ、ヒメイチゲ、ユキワリイチゲ、ハクサンイチゲ、ヤブイチゲなどいっぱいあるので、どれかは判らない。

 舗装道路に出ると道標があり、ここを北へ進むと「重田池」に出られるようだ。きれいな池と聞いているので、またぜひ出かけたいものだ。今回は「ウォーキングセンター」側へ進む。

 間もなく左手に道が現れるのでそちらへ向かうと道標があり、「鬼ノ城北門」を目指す。

 コバノミツバツツジの花が残っていて一瞬癒やされるが、ここから北門跡までは急坂が待っている。写真では判らないがかなり急で、呼吸を調整しながらヨイショ、ヨイサッと登る。

 北門跡に着いた。谷側には散逸した岩に囲まれて、しっかりした石積みの跡が残っている。

4.鬼ノ城を巡る

 さっきの急坂に比べると、もう坂なんて何ともない。トントン登ってトントン下って行く?

 土塁が現れて、「登ってみようか」のかけ声でヨイショ。

 これは絶景だ。足元に鬼ノ城ゴルフ倶楽部が見えるので、クラブハウスにズームイン。北東には、岡山空港の建物と滑走路進入灯のオレンジ色の橋脚もはっきり見える。

 土塁から東に進むと温羅(うら)旧跡の碑が立っている。吉備の外から飛来してきた温羅が、製鉄技術をもたらして鬼ノ城を拠点として吉備の地域一帯を支配したが、中央から派遣された吉備津彦命によって成敗されたと伝えられる。鬼ノ城から血吸川(ちすいがわ)というちょっと怖い名前の川が流れているが、これは吉備津彦命が放った矢が温羅の目に当たって血で赤く染まったのが由来とされている。このように温羅は討伐される対象として伝承されている一方で、製鉄技術をもたらして吉備を繁栄させた渡来人とする見方もある。それによると、血吸川が赤いのは鉄分であるとし、事実近辺には製鉄遺跡が見つかっているそうである。温羅伝説には他の説話もあり面白い。
 石碑のすぐ先が鬼ノ城東端の第2展望台で、居合わせた家族連れの快活な奥様にお願いして、居並ぶ勇姿を撮っていただく。

 近くには足守から岡山、遠くは瀬戸内海と小豆島、さらに茫洋とはしているが讃岐冨士も見える。左上には最上稲荷の本殿と旧本殿も見えている。金甲山も金山も笠井山も手に取るようだ。

 少し先に、奥坂休憩所へ下る急坂が開けている。このルートはかなり斜度が凄そうだ。

 南に幸山と福山を見ながら東門跡から南門跡へと歩く。やがて西門が見えてきた。

 近くにある角楼に登って西門を見下ろす。いかにも砦といった構築物だが、少々モダンな感じも!

 南の出っ張った展望台に人の姿が見え、そこが西門を望むビューポイントだと聞いて移動する。

 鍵岩(かぎいわ)展望台から、しばらく鬼ノ城の西の構えを眺めて駐車場へと戻る。昼食・休憩時間を含めて約5時間の山歩きはこれで終了。全員、歩き足りた満足感が表情に滲み出ています。