1.東山登山口~操山山頂
路面電車終着の東山電停から裏道を歩いて登山口に着く。階段上を左折して下に墓地を見ながら進む。秋のお彼岸だが、墓前の花は少ない。これも新型コロナの影響だろうか。久しぶりに履いた靴の感触を確かめながら緩やかな坂道を登る。
左に東屋が建つ。ここはソロプチミストの森なのだが、いつもの案内板が見えなかった。うっかり見逃したのかも知れないが・・・。
登山口から15分で三勲神社跡展望所に着く。東屋の温度計はちょうど20℃だ。
母親と2人の女児が、岩の上に荷物を広げてくつろいでいる。ここからは西側に市街地の風景が広がるのだが、木々の丈が伸び茂っていて見通しが悪くなっている。
山頂へ向けて歩き始めると、男性4~5人組が次から次へとやってくる。気持ちいい木漏れ日が続くカナメモチの林を行く。
階段が現れ、その先には「落ちそうで落ちない岩」。続いてカナメモチのトンネルを上がって行く。
操山山頂の手前を右折して展望所に向かう。途中の石のテーブルでは若夫婦が食事中。展望所では同年代のご夫婦が風景を眺めている。暑い日が続いているが、雲の形が秋を告げているようだ。
北に上がればこんもりした小山が山頂である。三角点にタッチしていると下を人が行き交う。
2.旗振台展望所~八畳岩古墳~円山不動明王
山頂を後にして東へ進むと、明禅寺城跡への急坂と里山センターへの分岐があり、里山センター側へ進む。
7本の道が合流する「ふれあいの辻」だ。里山センターの方から家族連れが登ってくる。南へ進むと300mほどで旗振台への階段が見えてくる。
階段を上り詰めると展望台があり、さらに上方の旗振台古墳に登る。
展望所には先客があり、古墳に居る間にも次々に人がやってくる。南に眺望が開けていて、貝殻山の山並みの連なり、百間川の防潮堤と児島湾を望むことができる。
来た道を折り返して「ふれあいの辻」に戻る。里山センターで昼食の予定だったが、まだ10時半を過ぎたばかり。それに、今日の人の多さでは混雑しているかも知れないと考えて、護国神社裏山古墳から沢田裏山古墳を経由して八畳岩古墳へ出ることにした。
急坂を登ったあたりの護国神社裏山古墳から東に進む。やがて送電鉄塔の左脇を抜ける。
間もなく左側に沢田裏山古墳が現れる。そしてすぐに次の送電鉄塔の右を進む。ボランティアで周辺の清掃や整備をしているらしき男性と出会い、感謝!
八畳岩古墳を通過する。このあたりは送電線がジグザグに通っていて、また次の送電鉄塔の左脇を通り抜ける。
八畳岩古墳の先の四叉路に出た。円山方面の散策路に入って快適に下り進んだら人声が聞こえ、墓参りの大家族と出会うことになった。左折路を見落として下り過ぎてしまい、タイムロスが発生(マップ点線部)。
引き返す途中を右折して、左側に池を見ながら登り詰めると不動明王の社に到着した。
久しぶりの山行に感謝して参拝する。東側に上がるとベンチがあり、ここで昼食にする。曹源寺西側と古墳の森ふれあい広場、金蔵山古墳、笠井山方面などへの結節点なので人通りが多く、慎ましい愛妻弁当をご披露することになった。
3.ゴロゴロ大師・笠井山・曹源寺分岐~曹源寺
午後のスタートは笠井山を目指すことにする。笠井山・曹源寺の道標にしたがって歩き始める。
やがてゴロゴロ大師・笠井山と曹源寺の分岐へ着き、笠井山へ踏み込んで行く。急登を少し進んだところで、ふっと曹源寺に立ち寄りたくなった。今回は具体的な計画を立ててないので気の向くままだ。
元の分岐まで戻り、曹源寺へ下りかかると右に「定」と刻まれた石碑を見つけた。明治42年に岡山県が建てたもので、次の禁止事項が続く。
一 車馬ヲ乗リ入ル事
一 鳥魚ヲ捕ル事
一 竹木ヲ伐ル事
フ~ム、その時代にはどんな車馬で乗り入れようとしていたのかな。子供の頃、近所で材木などを牽いていた馬車の姿を思い出す。
細道をどんどん下り進むと右手に池が見えてきた。
少し進むと、それが曹源寺の池であることがわかる。逆V字に曹源寺の裏庭へ下りる道が現れた。
坂道を進むと船着き場がある。この庭園は、舟を浮かべて移り変わりを楽しむ池泉回遊式庭園になっているようだ。船着き場のそばには大きな枝垂れ桜があり、2011年に訪れた時にはあたりの空気を華やかに染めていたのが想い出される。
曹源寺は、岡山藩池田家の菩提寺で臨済宗の禅寺で国の指定史跡である。石畳を進むと右に本堂、正面に経堂が見えてくる。
本堂の正面の壮大な山門をくぐって、外門から石橋を渡って公道に出る。。
まっすぐに延びる参道には「曹源寺の松並木」が美しい。ぶらりと歩いて県道沿いの曹源寺バス停が今回の終点だ。