1.登山口~砥石城跡~笠松神社から躑躅の小径へ
登山口に着いてテンションが上がる。軽いストレッチをして登り始めるが、2週間ばかり前に比べて落葉の量がかなり増えているようだ。
間もなくツツジの花と出会う。これは期待が持てそうだと足が弾む。急坂では地を這うようにツツジが咲いている。
砥石城跡に着くと、前回はまったく気付かなかったところに八重桜が咲いている。葉の色との調和も美しい。ツツジを背景にした三角点にタッチして先を急ぐ。
山笑うという春の季語がそのまま当てはまるような風景だ。シデザクラ(ザイフリボク)が輝いている。
笠松神社への道が淡色のツツジに飾られている。足取りが軽くなり、間もなく神社に着いて左の祠の脇道へと踏み込んで行く。
2.躑躅の小径を歩く
躑躅の小径に差しかかる前からツツジの通りが始まっている。やがて躑躅の小径になり、女性4人のグループがやって来て挨拶を交わす。と、山の会のTさんご夫妻と出会う。中旬に来るべく計画していたのだが、この山へ足繁く通う友人の情報で「今がいちばん」と聞いて来たとのこと。
まだ蕾が多く咲きかけた花、今咲いたばかりのような初々しい花たち。
延々と続くツツジのトンネルの一部を切り取ってみた。雰囲気が伝われば嬉しいのだが、この素晴らしさはぜひここに立って味わってもらいたいね!
木によって僅かながら色合いが違うように感じられる。足元にただ一本、シロバナコバノミツバツツジが咲いていた。
ツツジの花をくぐり抜けると芥子山と里の風景。
このあたりでもシデザクラが風景を白く染めている。松山に到着だ。
長谷山の東分岐を通過してダンガメ山に向かう。一帯にはスミレが群生している。
3.ダンガメ山の花
ダンガメ山の山頂もすっかり装いが変わっている。ツツジが咲き乱れ、植樹されたリキュウバイ(利久梅)の姿が美しい。
南の金甲山方面の景色と花を愛でながら昼食をとる。少し風は強いが好天の日曜日、その後は誰にも出会わないのだが、こんな好い山を独り占めではもったいないと思いながらパクパク。
大雄山へ登りたいので食事を早めに切り上げる。ヤマザクラのことも気に掛かっていたのだが、今年の桜は番狂わせで早く散り、山頂の桜もすでに花はない。西尾根の辺りに見えている唯一のヤマザクラをズームで記録する。
長谷山まで戻り、さらに少し砥石城跡へ引き返したところからキャンプ場に向かう。
4.キャンプ場分岐での道迷いと大雄山への道
踏み込むと間もなく岩見坂とUVカットの分岐道標があり、岩見坂を進む。
急坂を下りて行くと岩場に出た。
岩場からの風景には凄さがある。千畳岩と呼ばれる谷を隔てた山の斜面は急峻で、岩壁のそこかしこにツツジが張り付くように咲いている。谷の上手には碧の池が見えている。
岩場から下り進むとしっかりした道に出て北へ向かう。
すぐに「千畳岩(黒岩)」のプレートがあり、しばらくして分岐が現れる。右はさらに谷へと下って行き、左は緩い登り坂である。これを左に進んだためにコースを逆戻りしてしまうが、そのことで予期しない花々と出会えることになる。
進むにつれて道幅が狭くなり傾斜が増す。これはまずいかなと思っていた矢先、左斜面に紫がチラリ。近づくと、なんとイカリソウが待っていた。
すぐ先にこんな可愛いのが咲いていたが、これは名前がわからなくて残念。図鑑によく似た花はあるのだが葉の形が一致しない。そして艶々した葉のスミレ。
急坂の先に見えていた白いのはイワヤツデ(岩八手)だった。別名をタンチョウソウ(丹頂草)ともいう。
右側の谷を挟んだ山の地肌はむき出し状態だ。行く手に階段が現れてホッとする。
スミレに似ているがこれはオオアラセイトウ、別名をムラサキハナナ(紫花菜)という。その隣のまだら模様のはユキノシタの葉だ。
続く坂道と階段を登ると「蚯蚓坂(みみずざか)」のプレートがあり、「伝言板:ココ少しキケン??ゆっくりナ」と書かれている。どうりで険しかったわけだ。登りはまだしも、ここを下るとすればたしかに要注意である。
その上にはトラロープが張られている。さらに登って行くと、何と、元の岩見坂・UVカット分岐道標に戻り着いた。
気づかぬまま周回していたわけだが、花々との出会いは大収穫だ。ここからキャンプ場へ下りて大雄山を目指すのは止めにして、もういちど長谷山東分岐に戻り砥石城跡に向かうことにする。砥石城跡の手前まで引き返して時間に余裕があれば大雄山へ出かければいい。
「峰古道」のプレートがある眺望の良い一角で足を止め、北方向の風景を眺める。
両側をツツジに囲まれた道になると、向こうから独り歩きの女性がやって来た。話しているうちにこのホームページを閲覧されていることを知り、これは嬉しかった。どこまでも個人的な山歩きの記録でしかないのだが、役に立っていると言われるとハッピーになる。「もしかすると向こうの山上でお会いできるかも」と大雄山を指差す。激励し合って先を急ぎ、松山を通過する。
素晴らしい躑躅の小径を逆にたどって笠松神社へ戻り、さらに砥石城跡手前の「大雄山」の道標まで戻って時刻を確認する。まだ15時前なので大雄山に登れそうだと判断し、谷へ向けて坂を下りる。
キャンプ場へ通じる道へ下り着いた。「笠松神社参道」「砥石城跡登山道」の石柱が立っている。付近に「宇喜多直家生誕之地」の石碑と祠がある。
民家が建ち並ぶ方へ曲がって舗装道路を南へ進む。その先に「大雄山」の道標があり、ここが大雄山の登山口だ。
5.大雄山から猫の鼻登山道を下山
歩き始めると右側の斜面に「六丁」の石柱が倒れている。どこからどこまでの道程か分からないが丁石に違いない。写真では分かりにくいが、かなり傾斜のきつい舗装道路を登って行く。
傾斜は急なまま道がしだいに細くなる。途中、左側に祠を見て通り過ぎる。
竹林になり家屋が現れるが、近づくと廃屋だった。登山口から20分、大汗をかきながら車道と出合う。
車道を上がって行くと山門が見えてくる。
山門の右には「天台宗 大賀島寺(おおがしまじ)」の寺院名碑が立つ。
「大雄山」の扁額がかかる山門から石段を登るとどっしりとした門がある。強固な造りから鐘楼門と思われるが鐘はない。
大賀島寺は戦国大名の宇喜多氏の菩提寺である。立派な本堂は市の重要文化財に指定されている。
典型的な神仏習合の形態を残していて境内に石鳥居が建つ。
本堂で参拝してから鳥居をくぐると権現堂がある。権現堂前の広場からは小豆島が近く見え、小豆島大観音像を目視で確認することができる(写真中央の白い部分)。
一角に鉄骨とスレート葺きの鐘楼が設置されている。先の鐘楼門の老朽化によって移されたのだろうか。その反対方向には「蓄霊供養之塔」があり、脇に「一丁」の丁石が立っていた。
北へ進むと「宇喜多一門供養之塔」が建ち、宇喜多氏が大賀島寺を菩提寺とした謂れを刻んだ石碑がある。その横には墓碑が並んでいる。
山頂広場の北に展望所がある。東には牛窓オリーブ園と瀬戸内メガソーラーの電池パネル群を展望できる。
展望台から北西・北東方向に大パノラマが広がる。
吉井川が横一線に流れ、左にひときわ高い芥子山に続いて雨乞山から岩倉山が望まれる。その背後の山はわからない。
吉井川の左に瀬戸町の三谷山がそびえ、中央に一番高いのが熊山、その手前に西大平山と桂山が重畳している。
広場では、おくの細道アルプスをよく歩いているというご夫婦と出会い、周辺の山事情について話し込む。躑躅の小径で出会った女性が大雄山にも登りたいと言っていたので、大賀島寺に到着してからずっと気を配っていたのだが見当たらず、そろそろタイムアウトだ。「おかき処・吉備の舎」が閉まる前に立ち寄りたいので、東の風景を眺めて下山に取りかかる。
下山は展望台から北へと猫の鼻登山道を行く。ツツジに彩られた道を進むと「馬のせ」のプレート。その先が険しいかと思っていたら、まったく問題ない花の道が続いて「四合目岩」のプレートになる。
最後は少しヤブが繁っているがこれも問題なし。やがて「大雄山猫の鼻登山口」のプレートを見て車道へ下り立つ。時刻は16時半前、「おかき処・吉備の舎」へ向かって歩き始める。