名 称

とだまつやま~まえやま

所在地

岡山県備前市東片上

標 高

富田松山 209m、前山 292m

山行日

2023年5月4日

天 候

晴れ

同行者

なし

アクセス

JR赤穂線・備前片上駅下車

マップ

※富田松山周辺と、200mピークから前山を経由して展望岩までのコースは、国土地理院地図に記載されていない推定ルートです。

このマップは、国土地理院の電子国土Webシステムから提供されたものを使用しています。

コース概要

富田松山登山口 10:42牛神社 10:44~10:47送電鉄塔1 11:00~11:07三角点(東出丸)11:21~11:26
富田松山城址 11:42~12:02三角点 12:13雨乞い跡地 12:17200mピーク(昼食)13:00~13:30
前山山頂 14:08~14:24八石岩 14:39展望岩 14:53~14:58道標 14:59送電鉄塔2 15:34
下山地点 16:03(備前片上駅 16:22)

 西片上駅から見る富田松山と、登山口北側から見る富田松山。

1.登山口から山頂へ

 登山口がなかなか見つからず、到着したのは11時半を過ぎたころ(地図上の郵便局は現在ないようだ:地域住民談)。「富田松山城跡登山口」の標識が立っている。丸太の階段に続いて、両側にピンクテープが張られた坂道を登る。

 すぐ右に木の鳥居が建ち扁額に「牛神社」とある。ちょっと立ち寄ってみることに。

 社の両脇には備前焼の狛犬が守りを固める。祭神について明らかなことはわからないが、神殿の傍らにはたくさんの備前焼の牛が置かれている。

 元に戻ると「富田松山城跡」の道標があり、そばのドラム缶にストックや竹杖が用意されている。

 ここから静かな山歩きが始まる。まずは丸太の階段を踏んで行く。

 途中にはこんな道標。細い溝にはしっかりした足場と手摺が設置されている。

 前方にチラリと人影が。今度は木組みの足場をまたぐ。

 また階段を少し登ると右側に送電鉄塔があり、先ほどの人影が休憩中。

 マップの「送電鉄塔1」に到着した。人影の正体はご夫婦と幼い女の子のお孫さん二人だった。送電線の行き先の右には備前市役所や備前市民センター、左遠くにはJR西片上駅が見える。手前の青い屋根は品川リフラクトリーズ、かつての品川白煉瓦の工場だ。

 しばらく話して再び山道へ戻り「本丸まで500m」の標識を通過する。

 ベンチがある小さな広場から北を望む。左は西片上駅と県立備前緑陽高校、手前に備前市役所、右には備前片上駅まで見渡すことができる。

 富田松山城跡と雨乞い跡地の分岐に到着した。本丸跡まで残すは300m、右に鯉のぼりが見えてきた。

2.山頂風景

 ここは富田松山城の東出丸跡で、谷を挟んで城の防衛や見張りのために築かれたものである。人の気配はなく、静かな空間に鯉のぼりが悠々と泳いでいる。196.1mの三角点にタッチ!

 南東には片上湾の風景が素晴らしい。片上大橋にズームで寄ってみる。

 本丸跡まではなお200m。富田松山の山頂は西に見えるあの山の上だ。

 いったん谷へ下って登り返す。道が上りにかかったあたりに「搦手筋」続いて「堀切り」の標識がある。搦手筋(からめてすじ)は裏門へ通じる裏道で、天守門を通るもうひとつの城内通路の大手筋とは対称だ。

 堀切へ踏み込んでみる。尾根を遮断する深い堀切だ。削り取った荒々しい岩盤は迫力があり、その先は谷へ切れ落ちている。元に戻って進むと「本丸跡の入口裏門」と「大手曲輪」との分岐。ここは裏門側へ進む。

 細い丸太の道を登る途中に、遅咲きのミツバツツジが咲いている。

 「大手曲輪」の標識をやり過ごして本丸へ向かう。

 本丸の鯉のぼりは少々元気がない。二の丸ではポールに巻き付いていたので掲載はカット。広々とした山頂の中央に「富田松山城跡」の案内板が立ち、次のように記されている。
   築城 天文2年(1533)ごろ  城主 浦上国秀
   落城 天正5年(1577)    城主 浦上景行  (片上公民館)

 石積みの上に「富田松山城跡」の標柱と「本丸跡」の表示板。富田松山城の予備知識がないままの登城で、城址見学はここまで。

 時が経つのを忘れてしまう長閑な空間。離れたテーブルの上のゴミが気になって近寄ると、な、なんと、北斎の富士山だ! それも、石に描かれたものだ。素晴らしいものと出会えて嬉しくなる。

 南には電波塔やアンテナが林立した笹尾山。西には熊山山塊が広がる。

 山頂から見る片上湾。20分ばかりの閑かな時間を愉しんで東出丸へ帰る。途中で東出丸を見上げると鯉のぼりの活き活きと泳ぐ姿。

3.雨乞い跡地から前山へ

 再び富田松山城跡と雨乞い跡地の分岐に戻り、雨乞い跡地へ向かう。

 間もなく雨乞い跡地に着く。この広場の中央で千把焚(せんばだき)や雨乞いの踊りをしていたのだろうか。

 周辺には焼き物でできた祠が点在する。一角から片上湾を見下ろすことができる。

 ロープを張った急坂を下った先に沖浦地区・片上湾方面への「下山道」の道標が立つ。赤リボンを結んだ木に「前山へ約1,400m」のプレートがある。ここから先も踏み跡はしっかりしているが、目印のテープやリボンを確認しながら進む。

 200ピークの少し手前に廃屋のようなものが見えてきた。奥にある神仏のための掃除道具などが置かれている。

 奥には祠があり右には備前焼と思われる龍の置物、左には不動明王が祀られている。龍の置物があることから、ここも雨乞いの儀式が行われていたのかも知れない。

 間もなく大きな岩が散在した場所に出る。200mピークに到着だ。

 時刻は13時、岩の間に腰を下ろして弁当を広げる。

 木々にピンクやブルーの目印テープが付けられているが、とりわけ新しい赤リボンは的確な間隔でしっかり結ばれている。今回歩いたコースの全域に結んでいて大変な労を要したと思われる。おかげで道迷いの心配なく進むことができる。

 尾根歩きだが木々が茂っていて展望は得られない。やがて前方が開けて前山が見えてきた。

 200mピークからここまで、道に5mmほどの白い花がたくさん散り落ちていたのだが、見回しても木についた花は見えず何かわからないままでいた。それがやっと見つかった。これはハイノキ科のクロバイ(黒灰)らしい。枝先に小さな白い花をいっぱいつけて、遠くから見ると薄雪が積もっているように見える。

 前山に到着した。山頂は岩盤で覆われている。

 南面にはヤマツツジが満開だ。

 三角点にタッチして素晴らしい眺望を楽しむ。 南東には「備前海の駅」などの商業集積地と夕立受山。

 角度を変えてその先の日生大橋をクローズアップ。南には前島と鶴海方面、向こうにクラレ鶴海事業所など、遙か遠くには小豆島が見える。

 おやっ、岩の上に何かあるぞ! なんと、ここにも石に描いたのが二つ。岡山木村屋のパン「バナナクリームロール」は本物そっくりなのが面白い。

4.八石岩・展望岩を経て下山

 いつまでも愛でていたい風景だが、そろそろ下山に。下山路入口には山域全体の略図と道標があり、ここも安心してスタートを切ることができる。この小さな道標には、行き先や注意が簡潔に書かれていて感心する。

 3分ほど歩くと向山分岐の道標がある。向山へは立ち寄らないので直進する。

 分岐から10分で八石岩。ここにはクロバイの巨木がある。

 さらに15分ほどで展望岩に着く。東に伊里中学校方面の展望が開けている。

 そのすぐ先に道標がある。これも木に小さなプレートが結わえられている。直進すれば以前に出かけた観音寺山まで歩けるようだ。ここは左折してJR備前片上駅への周回ルートへ入る。

 途中の道標を確認しながら雑木の道を快適に進む。右折路に出合うと「通り抜け不能」のプレートがあり、不用意な進入を防いでいる。

 嬉しいねえ、ここでまたミツバツツジに出会う、励まされたぞ!

 右前方に備前片上駅周辺が見えてきた。マップの送電鉄塔2はまだ先だ。

 送電鉄塔2にたどり着いて、今日歩いて来た山並を眺める。が、これはほんの一部だ。

 そして、ここから厳しい下りが始まる。ザレた急坂を5回ほど繰り返す。ロープが張られているので危険は感じないが、とにかく滑る。何度か転げそうになりながらも無事通過する。ロープを握るので手袋があると安心。

 木の間越しに住宅が見え始め、無事に下山ポイントへ下り立った。

 近くの住宅の日陰で汗が引くのを待ち、だら長の道を上ってJR備前片上駅に着く。

 山頂で出会った石に描かれた作品、これが WA ROCK(ワロック)というものであることを後で知った。石に書いた絵や文字が人の手から手へと渡り、 それが日本国内や海外へめぐりめぐって旅をするのを楽しむという遊びだとか。
 これらの作品との出会いは、人との出会いと同じように楽しかったのだが、この遊びをめぐってかなり熱い議論がされていることには驚いた。とりわけ山に関しては、「自然を求める人に不快感を与える」「ワロックは不法投棄と同じではないか」「有害物質を含む顔料が環境汚染に繋がる」等々なるほどと思える意見もある。しかし、「山や河川から石を持ち帰るのは自然環境保護条例に違反するのでは」となり、さらに高じて「山頂の登頂記念プレートにも違和感を感じる」「目印のテープも地図で歩く人にはありがた迷惑だ」などと話が飛躍すると、頭を傾げたくなる。
 確かに、人それぞれに好みがあり信念・信条があるのは理解できる。しかし、それをひたすら主張して対立をあおり排除する動き、あれかこれかを選択させなくては落ち着かない状況は納得できない。我々は本来、ある種の心のゆとりだとか寛容さでお互いを理解しあいバランスを保ってきたのではなかろうか。そして山歩きは、そんなすべてを抱擁する場所であり許容する行為であるように思えるのだが。