名 称

やしまなんれい~ほくれい

所在地

香川県高松市屋島

標 高

292m

山行日

2024年3月27日

天 候

晴れ

同行者

相棒と

アクセス

JR高徳線・屋島駅下車

お出かけは「屋島山上シャトルバス」で時刻の確認を! JRより「ことでん志度線」利用が便利かも!

マップ

    

このマップは、国土地理院の電子国土Webシステムから提供されたものを使用しています。

コース概要

屋島山上バス停スタート 10:59屋島寺 11:01~11:11南分岐 11:23屋嶋城跡 11:25~11:29
屋島ケーブル跡 11:37屋島南端・冠ヶ嶽 11:47~11:52南分岐 12:07へんろ道分岐 12:20
談古嶺展望台(昼食) 12:30~12:55談古嶺分岐 12:56北嶺分岐 13:18北端分岐 13:37
屋島北端・遊鶴亭 13:41~13:54北嶺標識 14:05休憩所・トイレ(小休止) 14:16~14:19
千間堂 14:20北嶺分岐 14:32談古嶺分岐 14:49屋島山上バス停帰着15:05
 ※あちこち見ながらの所要時間は4時間少々。標準コースタイムは2時間20分前後です。

1.山頂バス停から屋島寺に参拝して南嶺三角点へ

 JR屋島駅で「屋島山上シャトルバス」に乗車すると、ほとんどの座席が埋まった状態。途中ことでん屋島駅で停車し、屋島スカイウェイ(旧屋島ドライブウェイ)を走って18分ほどで山上バス停に着く。バス停は山上観光駐車場の屋島寺よりに位置している。

 バス停から少し歩くと朱色の屋島寺東大門。屋島寺は、天平勝宝6年(754年)に唐僧の鑑真和尚が北嶺に普賢堂を建て、普賢菩薩像と経典を納めて創建したとされる。それを、弘仁6年(815年)に嵯峨天皇の勅願を受けた弘法大師が屋島寺を訪れ、北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺に遷移したと伝えられている。四国八十八ヶ所の八十四番札所である。

 東大門を入ると鑑真和上を祀る三躰堂、その奥に大師堂が建つ。

 重なりあった赤鳥居の奥に祀られるのは蓑山大明神の太三郎狸(たさぶろうだぬき)。鑑真が奈良へ赴く途中の瀬戸内海で、山頂に光り輝くものを感じてその地を訪ねた時、盲目の名僧を山頂まで案内したのが太三郎狸であったと伝えられる。また、弘法大師が深い霧の屋島で道に迷ったときに箕笠を着た老人に案内され、その老人が太三郎狸の変化術の姿であったとも言われている。祠の手前になんとも愛嬌のある屋島狸のお姿が!

 まずは本堂にて参拝。本堂は鎌倉時代に建立され国指定の重要文化財になっている。右手に宝物館を見ながら南へ進む。

 四天門をくぐり、仁王門を通って境内を後にする。

 「屋嶋城跡城門 430m、冠ヶ嶽 1,120m」の道標があり、ゴミ箱のそばに「屋嶋城跡 城門」の案内板が立っている。

 「四国のみち」から登ってきた二人が前を行く。少し進むと左側の木に黄色いテープが結ばれている。これを見逃してはいけない。

 入り込むと電波塔のような水道施設があり、その向かい(右手)に一等三角点と「屋島南嶺・292m」の山頂標識がある。前回は確認できなかった三角点に、タッチ!

2.屋嶋城跡を経て屋島南端・冠ヶ嶽へ

 三角点から元の道に戻ると間もなく南分岐だ。右手に「屋嶋城跡 城門」の道標があり、そちらへ下りて行く。

 これが古代山城屋嶋城(やしまのき)だ。2013年秋に訪れた時には復元工事が終盤に差しかかっていて、整理番号を貼り付けた組み立て待ちの石の山に驚いたものだ。下にいる先客は風景に見入っている。
 平成10年に山林に埋もれた石積みの一部が発見され、平成14年に城門が発見されたことで、屋嶋城の実在があきらかになり復元が始まったものである。そもそもは、663年の白村江の戦いで、倭は百済に援軍を送るが新羅と唐の連合軍に敗戦。これを恐れた中大兄皇子が、国を守るために交通の要所に築かせた古代山城のひとつとみられている。

 南から西へかけての風景が広がり、かつて訪ねた大麻山(象頭山)や六ツ目山(御厩富士:みやまふじ)が見えている。風景を眺めていた相棒が上がってきた。

 元の位置へ引き返して南へ進む。やがて突き当たりになって、懐かしい屋島ケーブル跡の建物と対面する。2004年まで屋島の麓と結んでいた屋島登山鉄道のケーブルカーで、子供たちが小さいころに乗ったことを思い出す。

 きれいに整備された公衆トイレがある。ここから先は、トイレ右の細道に入り込んで進む。足元に「冠ヶ嶽・入口」の丸太道標がある。

 舗装道から解放されて木立の中を歩く。相棒には久しぶりの山道だが軽い足取りで楽しそうだ。

 屋島の南端、冠ヶ嶽(かんむりがだけ)に到着した。先端部には岩石を積み上げた経塚があり小さな祠が祀られている。

 東から西へかけての大パノラマ。遠く讃岐山脈を背景に、東には由良山、日妻山、実相寺山が、南から西には堂山、象頭山、六ツ目山、城山から五色台あたりまで見える。手前には新川と春日川が流れる。

 首を左に振ると牟礼から志度方面、さらに五剣山周辺が展望できる。

 冠ヶ嶽の直下は切れ落ちている。右の写真は2013年9月22日に屋島駅付近から撮影したもので、今はまさに冠状の急崖の上に立っているのだ。

3.折り返して談古嶺展望台へ

 南分岐へ戻ってきた。「源平合戦展望台地 談古嶺 500m」の石の道標に従って往路とは別の道をたどる。

 3分ほど進むと赤屋根の展望所がある。

 ほぼ正面に五剣山と壇の浦の風景。五剣山の北側脇には高級石材として有名な庵治石の採石場があり丁場と呼ばれている。

 展望所の北に隣接して、英国詩人エドマンド・ブランデンの詩碑がある。第二次世界大戦後に英国の文化使節として派遣された氏が、昭和24年に婦人と共に屋島を訪ねた時に、求められるままにその印象を書き下したものである。『A First Visit to Yashima』はそれ自体が味わい深い詩になっている。(右の写真はクリックすると拡大表示されます!)

 すぐ先に八栗寺と屋島寺への遍路道の道標があり、赤い帽子のお地蔵さんが並んでいる。

 八栗寺への道は細くて急勾配で下へ延びる。舗装された屋島寺への道と対照的だ。

 近寄って写真を撮るのはためらわれる、凄まじい様相のホテルの廃墟。後で調べて分かったのだが、これは談古嶺の旧ホテル「甚五郎」とのこと。玄関脇に碑文を刻んだ石碑がある。

   ある明月の夜 教え子たちと この山にのぼる
     きみたちも
     虫も歌って
     月はるか   石森延男
   あれから四十年 思い出をこめて ゆかりの人たち この碑を建てる

と刻まれている。石森延男は北海道生まれ、「コタンの口笛」で有名な児童文学者。一時期、高松師範学校で教師をしていたことがあり、当時の教え子だった生徒たちが昭和41年に建てたものだ。が、この対比、何とも寂しい限りだ。

 源平合戦の地を一望できる談古嶺の展望台に着いた。出発時に岡山駅で買ったサンドウィッチの昼食。話し込んだり風景を眺めたりは良かったのだが、それにかまけて写真は今ひとつ・・・。

 向こうに見える小高い山が、これから出かける北嶺とはどうしてもピンとこない。地図上でもほとんどフラットなコースなので、北嶺があんなに高い位置に見えるはずがないと思ってしまう。道標を見てやっと納得して出発する。

4.屋島北嶺から遊鶴亭へ

 談古嶺展望台から下りてヘアピンカーブを折り返して北嶺へ向かう。ゆるい下り坂、遊郭亭まで 2.15kmとある。

 15分ほど進むと出来たての展望台が現れた。

 鉄製の足場は黒光りでピッカピカ、木製の部分もシミひとつない。快適なベンチに座ってしばらく眺望を愉しむ。

 手前は屋島西町、半島のような朝日町と朝日新町、その向こうに高松港と高松駅、サンポート高松やシンボルタワー、遠くには五色台まで見える。

 間もなく北嶺分岐について右側の道を進む。

 左側に広場が現れる。休憩所や公衆トイレがあり子連れの主婦がくつろいでいた。

 千間堂跡などの道標があるがどんどん進む。遊郭亭まで600mのあたり、ウバメガシが小道を覆い木洩れ日が心地よい。

 その先にも展望台があり瀬戸内海の多島美が広がっている。

 北端分岐に着いた。今回ではこの一角だけ、コバノミツバツツジが咲きかけていた。

 北端分岐からウバメガシのトンネルを抜けて屋島最北端の遊鶴亭(ゆうかくてい)に到着した。真っ白い円形の屋根が印象的。「談古嶺」と並んで屋島三大展望台のひとつで、小豆島や瀬戸内海の島々を一望できる(残すひとつは今回寄らない「獅子の霊厳」)。

遊郭亭から広がる320度の眺望。瀬戸内海の穏やかな島々。
手ぶれを我慢して雰囲気なりを感じていただければ (^o^;) .....

 地形全体が大きな屋根のように見えるので屋島と呼ばれているとか。その最北端からターンして階段を上がり北端分岐に戻る。

5.西側ルートから山頂バス停そして帰路へ

 帰りは往路と反対の西側ルートを歩く。来るときに北嶺山頂を踏むつもりが行き過ぎてしまい、注意を払いながら進む。狭い道があったので入り込んだが見つからず、東側のルートまで出てしまって引き返す。その途中に赤テープが見えたのでたどって行くと「北嶺 282m」の手書きプレートがあり、タッチ!。

 その先に「魚見台」という展望台があり、ここも高松港方面へかけての見晴らしがいい。解説板によれば、この高台から海を見下ろして魚影を探して沖の漁師にその位置を知らせていたそうである。もっと昔は、瀬戸内海を行き来する船を監視する見張場でもあったらしい。

 こちらのルートも露岩地で土が少なく、貼りつくようにウバメガシが生育し林をつくっている。「広場・便所」の道標があり左へ入ってみる。

 来るときに立ち寄った休憩所と公衆トイレがある場所で、一帯は公園になっている。「千間堂跡 約15m」とあるので行ってみる。

 千間堂跡は、現在南嶺にある屋島寺の創建の地であるらしい。つまり、鑑真和上が開創した屋島寺の前身寺院の跡ということになる。石建物跡や集石遺構等が確認されていて礎石が残っている。ここは国指定の史跡である。北嶺分岐に着いた。

 あとはひたすら屋島寺方面へと歩く。すでに14時半を過ぎていたが、その間に北嶺へ向かう10数人の人たちと出会った。駐車場北側の仙遊橋まで戻ってきた。

 山上観光駐車場の北側には東屋があり、周辺には島々の風景を楽しむ観光客の姿。男木島、女木島とその向こうに直島が見える。今回初めて歩いた屋島北嶺の台形の台地、こうして眺めるとなお感慨深い。

 駐車場を横切って山上バス停に帰着し、狸たちの案内板前で記念撮影を! かなりの距離を歩き北嶺方面では坂の上り下りもあったが相棒は元気に完歩。標準コースタイムの倍近くかかったが、素晴らしい風景と清々しい空気に春を感じた行程だった。

 これはオマケのJR屋島駅風景。10年前に待合にいた観光駅長の「ポンナ」に替わって名誉駅長「ぽんぽこポンタ」が愛嬌を振りまいている。しかし、ここで45分も乗り換えの接続待ちになるとは思わなかったぞ!

 こうしてシャトルバスでの山旅は終わった。麓から遍路道を往復するのも楽しいが、バスの楽々旅もなかなかのものだ。これからはバスやロープウェイなどを利用した横着登山が多くなりそうである。今まで以上に山頂での時間を確保して、もっぱら自然とのふれあいを愉しむという、長閑な山歩きが多くなりそうだ。