1.阪急・西山天王山駅から小倉神社へ
姫路からの新快速と梅田駅からの阪急京都線に乗り継いで、西山天王山駅には10時42分に到着する。
2階駅舎から下りて道なりに南へ進むと橋があり、橋向こうに「天王山登山口」の看板が見えている。
橋を渡って道路右側の歩道を5~6分ばかり直進すると、小倉神社への道標が立っている。
さらに少し進むと分岐になり、「小倉神社」の看板が見える左手へ進む。間もなく大山崎町立第二保育所があり、その左側から参道が始まる。
「方除宮 小倉神社」の石柱を過ぎると一の鳥居が建つ。扁額には小野道風の筆といわれる「従一位小倉大明神」の文字。小倉山山麓にあるこの神社は、乙訓郡(おとくにぐん)で最も古い神社だそうだ。
小倉神社は羽柴秀吉が山崎合戦に先立ち戦勝祈願をしたことで知られる。先程来の車の喧噪とは打って変わって静かな神域に入り二の鳥居をくぐる。
周辺には稲荷神社、龍王神社、若宮神社、天満宮などがある。
小倉神社の階段を上がると、本殿へ向かう通路が拝殿の間を貫通している割拝殿(わりはいでん)がある。
煙が出ているのは護摩壇のスペースだろうか。落葉や枯れ枝が燃されていた。その奥の拝殿に進んで参拝する。ここで神社の方にお目にかかってしばらく話す。拝殿左手の橋を渡ると登山口がある。
2.天王山分岐へ向かう
橋を渡った先には「天王山登山口」の石柱が立つ。登山道は幅広くほとんど傾斜もない。
どうやらサルが出回っているらしい。近くの別の貼り紙には「かまわない、サルの目を見ない、食べ物をやらない」に続いて、「襲われそうになったら石などを投げる真似をする」とあるが、それって大丈夫? 両側が竹林の明るく爽やかな道を行く。
パ~ン、パカーンと乾いた音が響く。竹が揺れてぶつかり合った音はよく聞くが、こんな大きな破裂音は初めてである。まさか竹が割れているとは思えないのだが、爆竹のような音だ(単発音ではあるが)。橋を渡り渓流に沿って登る。
進行方向に別の橋が現れて分岐になっている。橋の方へ直進すると「奥の山見晴し台」、一段上がって右の道へ入ると「天王山頂上へ」の道標。
ここは右へ上がって天王山頂上への道を進む。
分岐から5分ほど登ると掲示板が立つ広場に着いた。「久保川と天王山の森を守る会」の森づくりの拠点らしい。山林の所有者、地域住民、ボランティア、地域代表、企業、行政などが組織化して森林整備事業を実施しているエリアだ。ドリップコーヒーを振る舞う「カフェー天空」の掲示があるが本日は休業、竹で作ったベンチやテーブルが設置されているが、笹のドアが閉まっている。
ふたたび辛抱強く登って行く。各所に「119番通報ポイント」の標識があり、万一の場合は標識番号を通報する仕組みになっている。
途中でこんな通行止めの注意書きに2回出合った。天王山へは登らないので、このことは頭にとどめて、かまわず天王山方面へと進む。尾根道になり快適に歩いて行く。
かなり膨らんだツツジの蕾を見て少し行くと、咲き初めたのが現れる。
ケルンのある天王山分岐に到着した。小倉神社・天王山・柳谷への分岐点である。テーブルでは男性2人がバーナーを使って昼食を準備中。
この辺りを熟知している男性が、「天王山山頂方面への道を100mほど行って左折すると展望台がある」と教えてくれるが、時間の都合で今回はパス。
小高い場所から雑木越しに釈迦岳が見える。3年前に歩いたポンポン山から釈迦岳のことを思い出す。ポンポン山はあの峰の向こう側だ。
すでに正午を過ぎていて、ここで昼食をとることにする。天王山から4人組のハイカーが下りてきた。ということは、さっきの通行止めの注意書きは何だったのだろう? 大阪駅のikariショップで買った「天然真鯛のゆずめし弁当」に舌鼓。ゆっくり昼食を終えると、先の男性二人組はすでに発っていてテーブルがきれいに片付けられている。
「天王山観光案内図」が設置されていて、下の隅っこに「ポンポン山へ」の手作り道標が取り付けてある。次の目的地の乗願寺も同じ方向なので、道標に従って足を踏み出す。
3.乗願寺から柳谷観音へ
ここから先は下りの連続である。歩きやすい道を20分少々で舗装道路に出る。
舗装道路を左折すると少し先に乗願寺と柳谷観音への分岐道標がある。乗願寺へは舗装道路を直進する。その後、柳谷観音へはここまで戻って参道へ踏み込むことになる。
乗願寺に着いた。「大ほとけ」と刻まれた石碑と「愛宕山」の石灯籠がある。
境内に上がって参拝して、さっきの分岐まで引き返す。
柳谷観音への道はフラットで歩きやすい道だ。タケノコ畑だろうか、整備された竹林を見ながら進むと15分ほどで舗装道路が見えてくる。
「柳谷観音」の幟が立つ道路を北へ向かうとすぐ、右側に「二丁」の丁石が見つかる。もうすぐだ。
石灯籠が並ぶ参道を進むと、右手に柳谷観音の境内が広がる。
階段の左に「京都西山三山」の立て札があり、「柳谷観音・楊谷寺、総本山・光明寺、西国二十番札所・善峯寺」の名前が並ぶ。柳谷観音は西山浄土宗の寺院で御本尊は十一面千手千眼観世音菩薩、眼病平癒に御利益があるといわれている。階段を上がり、「立願山」の扁額がかかる山門を通って本堂に参拝する。
本堂の右には阿弥陀堂。裏の赤鳥居を上がれば親眼力稲荷神社と奥の院に通じるが、鳥居前で拝礼。
本堂の左には、書院に続いて独鈷水堂(おこうすいどう)がある。独鈷水は堂の傍らの湧水で、眼病に効くと空海によって広められた霊水である。汲み取り場が開放されている。
山門から眺める境内。ピンクの陽光桜が美しい。「陽光」は戦前に愛媛県の青年学校で教えていた故高岡正明氏が、教え子を戦場に送り出したことを悔やんで開発した品種である。街おこしネットワークが、この陽光の植樹を長岡京市で続けているそうである。一重で大輪の鮮やかなピンクの花が青空に映えている。
4.西山古道を立石橋へ
柳谷観音を少し戻ったところから西山古道に入って行く。フェンスのゲートを開けて農道を歩く。
二つ目のゲートを入ったところにある道標を「立石橋」の方向に進む。道標の下部に「道標10」と書かれている。
農道のような道がすぐに山道に変わる。
道は曲がりくねっているが、たくさんの道標があるので道迷いの心配はない。これは「道標11」。
根っ子道あり、木立の道ありで変化に富んでいる。
さらに赤白ポールや木の杭が道端を飾る。
「道標13」は立石橋と浄土谷橋への分岐になっている。左にカーブした階段を立石橋方面へ下りて行く。
道は細いが勾配は緩くて、徐々に下っていく感じだ。倒木を伐採して切り拓いた道を行く。
「道標14」は頭上に注意しながら進む。小さな橋で渓流を渡る。
二段橋もあり、浅い渓流は石を踏んで渡る。
長い丸太橋は滑らないように注意。傾斜は緩いが道幅の狭い道は足元に注意して進む。
土石が崩落した部分が補修補強されている。メンバー十人で作った橋とも、十人乗ってもだいじょうぶとも言われる「十人橋」が新しくなっている。金属フレームの手摺がつけられて歩きやすい。道の崩落も小さな橋のスリップ止めや丸太橋の老朽化も、自然界では避けられない現象である。これを補強し、取り替え、整備する作業は並大抵ではないだろう。「NPO法人 京おとくに・街おこしネットワーク」の皆さんには感謝である。
十人橋から先はもうしばらく細道が続くようだ。行く先にふたたび補強された路肩が現れる。
鉄製の橋と道路が見えてきた。橋の手前には、西山古道で初めて見るハイカーの姿。
この橋が立石橋と思っていたら、渡った場所にはさらに「立石橋」の道標。逆方向は善峯寺からポンポン山へ通じる。
これが立石橋だ。「道標19」があり、なぜか傍に相棒がVサインで立っている。
5.長岡天満宮・長岡公園からJR長岡京駅へ
舗装道路に変わり、やがて京都縦貫自動車道の高架をくぐる。
右手の小高い丘にある西代里山公園に立ち寄ってすぐに引き返す。緩やかに右にカーブした道から車道に出た。
ここからしばらくは車道脇の歩道を歩く。信号機のある交差点が目標なのだがなかなか現れない。
車道を歩いて20分、最初に現れた信号を直進すると右手に石鳥居が見えてくる。
石鳥居を通って長岡天満宮の境内に到着した。屋台と休憩所があり、そのそばには献木された祇園枝垂れ桜が満開だ。
一角に三春滝桜と菅公の歌碑があるが花はついていない。歌碑には、
桜花 主をわすれぬ ものならば 吹き込む風に ことづてはせよ
とある。二の鳥居をくぐって階段を上がる。
逆光で眩しい拝殿に詣で、神楽殿を右に進むと長岡稲荷大明神への参道。石鳥居を飾る枝垂れ桜。
長岡公園にも菅公の歌碑がある。写真ではわかりにくいが、
海ならず たたへる水の 底までも 清き心は 月ぞ照らさむ
とある。
八条ヶ池の池畔には満開の桜。水上橋にはそれを愛でる人たちがそぞろ歩く。
長岡八幡宮を後にしてJR長岡京駅まで歩く。京都駅に出て駅地下で反省会(?)をもち、新快速で姫路方面へ帰ることにする。