1.登山道入口へ
JR津山駅前のバスセンターから中鉄バス「行方(ぎょうほう)」行きに乗って40分ばかり、奈義町役場前で降りる。バス停から歩き始める場合は少し先の「高円」で下車した方が近いのだが、今回は時間の都合で、アプローチにタクシーを利用することにした。奈義町役場を左に見てバス進行方向へと歩き、2つめの信号を渡った左にある豊沢交通のタクシーに乗る。
行き先「Cコース登山口」を告げると7~8分で第三駐車場へ到着した。これで1時間近く行程を短縮できたはずだ。下の第一駐車場はすでにかなりの車で埋まっており、このあたりにもずらりと並んでいる。右手の赤い鳥居は名勝「蛇渕の滝」への入口。近くに山麓周遊マップが立っている。
傍らに電話ボックスのようなものがあり、那岐山登山者数調査の協力依頼文とカウンターが設置されていた。ポチッと押しておきました。
歩き始めると林道の脇にも車。前方を何人か歩いている。抜けるような青空の下をスタートだ。
10分ばかりで「縦走コース登山口」に着く。ここは那岐山の登山口であるが、那岐山~滝山~広戸仙縦走コースの入口でもある。
2.Cコースを大神岩に向かって
いきなり岩のデコボコ道から始まり、ゆっくりと足を運ぶ。すぐにB・Cコース分岐になり、左のCコース(大神岩コース)へと進む。帰りは右のBルートからここへ下り立つことになる。
彼方の山の稜線を望みながら、樋の底のような道を根気よく登って行く。木の間に藤の柔らかい色合いと香り。
間もなく名木ノ城跡分岐に着いた。「那岐山 2.5km」の道標、ん?、さっきの分岐では「Cコース 2.4km」だったのだが? 階段をひと登りすると、根っ子が張ったヒノキ林の道になる。
「檜皮の森林(ひわだのもり)」の立て札があり、この一帯の国有林は、歴史的建造物に使用されている葺き替え用檜皮の供給林に指定されているとのこと。ここを過ぎると蛇行した細道が続く。
道辺に鮮やかな黄色のキジムシロ、柔らかな薄紫のイカリソウ、そしてスミレが咲く。ジグザグ道をひたすら登る。
大神岩が近くなったあたりに、紫の花をつけたニシキゴロモを見つけた。
標高1,000mの大神岩に到着した。ザックを降ろして、標識の後にある大きな岩によじ登る。眼下に奈義町の集落を一望できる。
青空にもかかわらず風景は霞んでいる。左にひときわ高いのは日名倉山だろうか。山頂到着までにモヤが消えればいいのだが。
3.八合目~三角点峰に向かう
傾斜が緩やかになり、道の両側に笹が増えてきた。
ササユリの小さな苗1本ごとにプレートを立て、麻紐で保護している。このか細く小さな苗に、はたして花が咲くのだろうか。種子から発芽まで7年以上かかるので、靴やストックの上げ下ろしには注意しなければならない。登山口から2.0km、山頂まで1.1kmのあたりに図根点標石が設置されていた。
10分少々で八合目の標識が見えてきた。
傾斜が増し石ころの多い道に変わる。あちこちにスミレが群生している。
少し進むと「須佐之男命」と刻まれた大きな岩があった。
ひと登りすると、視界が一気に広がり素晴らしい風景が待っていた。那岐山の西には、滝山から広戸仙(爪ヶ城)にかけての山並みが延び、その左に山形仙がそびえている。
4.三角点峰~避難小屋~那岐山山頂
やや急な斜面を登ると、那岐山と滝山への分岐道標が立つ。ついに三角点峰にたどり着いた。左先には休憩舎があり、くつろいでいるハイカーたちの声が聞こえてくる。ここにはトイレもある。
三等三角点がある辺りでは大勢のハイカーたちが昼食をとっている。近くには水飲み場もあるようだ。
まずは手早く西から北へ向けての写真を撮って、先を急ぐことにする。
ここからは快適な稜線歩きだ。東に避難小屋と山頂が見える。門柱のように道の両側に座る岩の間を抜けて前進する。
三角点峰と山頂間の鞍部にある避難小屋。当初はここで昼食をとる予定だったが、すがすがしい天気なので山頂で食べることにする。
いよいよ山頂へ向かう最後のスロープを登る。途中で三角点峰を振り返ると数人が移動中だ。
那岐山山頂に到着した。2つの山頂標石をカメラに収める。白い御影石が新しい標石で「海抜1255米」と記されている。もう一方は古いもので「海抜1240メートル」の文字。以前は三角点峰が山頂と考えられていたが、現在の山頂の方が高いことが判明し、平成14年(2002)に標石が変更になったものだ。
山頂では三角点峰に増して大勢が食事中。素晴らしい風景に見とれて、食後をのんびり過ごしている人も多い。振り返ると、避難小屋から三角点峰への尾根道が明瞭に見える。北側の空きスペースにマットを広げて腰を下ろし、早朝から準備してくれた愛妻弁当に箸をつける。
残念だが、山頂に着いてもモヤは消えなかった。コンディションが良ければ南は瀬戸内海から四国の山まで、北は大山や日本海まで見えるらしいのだが、今日はそのどれもが判然としない。こればかりは致し方ない。
南側: ズームで寄った奈義町の町並みから日本原高原の一帯。
北側: 大山方面。ただし、大山はほとんど見えていない。
北側: 花知ヶ仙方面。
東側: 駒の尾山~船木山~後山と日名倉山、手前は袴ヶ仙。
東側: Aコース(菩提寺コース)を望む。
南側: 日名倉山から南にかけての眺望は茫漠としている。
5.A・Bコース分岐~黒滝分岐
時の経過を忘れてしまいそうな山頂で、エイッと声を出して腰を上げる。A・Bコース分岐を目指して、残りの稜線歩きを楽しむことにする。
両側にサラサドウダンが林立する道。もう一カ月もすれば、淡いピンクのフラワーロードになるだろう。現在は、まだ小さな芽がついたばかりである。
細くて小さいネマガリタケも成長はこれから。A・Bコース分岐の道標に到着して尾根歩きはここまで。
Bコース(蛇渕コース)へ右折する前に、綿帽子を被ったような木の白に惹かれてAコース側へ踏み込む。オオカメノキ(別名ムシカリ)である。青空に向かって飛び立つばかりに咲いている。
分岐に戻り下山にかかる。細い山道を軽快に下って行く。
山頂から1.0kmの標識。登山口まではまだ2.6kmを残す。萌え木の空間を下って行く。
またニシキゴロモに出会った。このあたり一帯、スミレとネマガリタケが春を謳歌している。
足場の悪い道を下り進むと、東のAコース1009mピークが近づいてきた。Aコースがほぼ目の高さになる。
Aコースの鞍部から袴ケ仙方面が見える。遠くでせせらぎの音が聞こえ始め、黒滝分岐まで下りてきた。
6.スタート地点へ下山
いくつか小さな沢を渡りながら、気付くと五合目の標識が立っている。近くに、黄金色のクサソテツに渦巻く若芽のコゴミ、天麩羅にすると酒が進むのだが・・・。
急坂から解放されて、平坦な道になった途端に足がつり塩飴を頬張る。スポーツドリンクを補給する足元に、キュウリグサの可愛い花が咲いていた。
名木ノ城跡分岐の道標が現れて、登山口まで1kmを切った。「滑落注意」のプレートがあちこちに吊されており、谷側の足運びに注意する。また沢渡りがあり、その川上には滝が落ちている。
木橋が架かっている。勢いのある渓流を渡り、渓流沿いの道を足早に進む。
BCコース分岐に戻り登山口に帰着した。
東の山に爪で引っ掻いたような模様が見える。ズームで寄ると間伐作業の跡と判る。大掛かりで労を要する保全作業、林業が100年単位の仕事であることに思いを巡らせる。
7.素敵な出会いに感謝!
「蛇渕の滝」への赤鳥居に戻り着き、バス停までの長い車道歩きを始めようとした時、黒髪のウェーブが美しい素敵なご婦人にお会いした。挨拶して言葉を交わし、歩きかけると車から呼び声。バス停まで車で送っていただけることになった。1時間ばかりの歩行を覚悟していたのだが、疲労の蓄積もあり甘んじてご厚意を受けることにした。
ご婦人は娘さんと二人連れで、用事を終えた後に好天の山麓を訪れたとのこと。時間があればぜひ菩提寺の大イチョウを見ませんかとのお誘いに、案内をお願いすることにした。到着した菩提寺の駐車場には、大きなヤマナシの木が無数の白い花をつけていた。
山門をくぐって向かった本堂(観音堂)は、平成24年(2012)に修繕修復を終えたばかり。閑静な境内に身が引き締まる思いで参拝、山行の無事を感謝する。菩提寺といえば、三國連太郎(著)『白い道』、法然上人の「血塗られた出発」を思い出す。父時国を失った幡多丸(法然上人の幼名)が、叔父である奈岐山菩提寺の院主観覚の勧めに従い、天台の総本山比叡 山延暦寺に入山することを決める一節である。
そして今、その菩提寺で推定樹齢900年を超える大イチョウと対面できるのである。45mと言われる大樹をフリーハンドで撮影して、5枚の画像を結合してみた。鮮明さには欠けるが、大樹の気が感じられるように思う。
(スマートフォンなど横幅が狭い画面では、以下の4枚の画像は歪みます!)
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今日の素晴らしい出会いには言葉を失ってしまう。ご婦人が「あっ、ヤマシャクヤク」の声。奇しくも寺の庭園に、昨年、探し求めて京都に出かけたヤマシャクヤクが花開いている。北山の桟敷ヶ岳の情景が蘇って懐かしさがこみ上げてくる。
その隣に白いクリスマスローズ、向こうには朽ちかけた水車小屋が建つ。
夢のような展開のあと、津山行きの始発バス停まで送っていただく。「行方」バス停は国道53号線に位置し、北へ進めば鳥取市へ。西に進めば津山市を経て岡山市北区へ至る。
行方バス停から、今日最後の、思い出深い那岐山をカメラに収める。
〔後記〕
今回の写真やメモを整理していた2015年5月5日の山陽新聞全県版に、『有害鳥獣の被害深刻』という記事が掲載された。那岐山の高山植物がニホンジカに食い荒らされ、分布の西限界とされるイワウチワがほぼ全滅状態、シャクナゲやドウダンツツジも被害に遭っていることが報じられている。期待していたイワウチワに会えなかった原因が、こんなこところにあったとは・・・・。
これに関して、農作物被害でないことから、行政は害獣駆除などの対策を取りにくく苦慮しているそうである。人間が開拓・開発などで動物の生息域を脅かしたことに一因があることは否めないが、各地でのニホンジカやイノシシによる深刻な被害実態を見過ごすことはできまい。平成26年に、従来の「鳥獣保護法」が「鳥獣保護管理法」に変わり、一部の鳥獣については積極的な管理を行うことになった。被害の範囲・内容をどう規定するかは難しいと思うが、「動物との共生と棲み分け」を基本に、地域の合意を形成することが急がれるのではなかろうか。