2日目(6月27日):余市・積丹と小樽散策

 小樽での予定は、まず午前中に、道中の海岸風景を楽しみながら余市のニッカウィスキーを訪問する。午後は小樽に戻って観光スポットを訪れ、北一硝子三号館での珈琲を楽しむ。
 ホテルの朝食バイキングでお腹を満タンにしたら、余市へGo!


余市ニッカウヰスキー訪問

 余市に入るとすぐ、海側に崖の切り立った素晴らしい風景が見える。後であの辺りまで行ってみようといいながら、ハンドルを逆に切る。
 余市駅正面の交差点に面して、ヨーロッパの城のようなニッカウィスキーの玄関がどっしり。アーチ型入口の上部に「ニッカウヰスキー株式会社」の彫刻。おおそうだ、正式社名はウィスキーでなくウヰスキーなのだった。アーチの向こうをのぞくと、赤い屋根に石壁の建物など絵のような風景が広がる。

 余市ニッカウヰスキーは見学者の受け入れ態勢が抜群に好い。正面入口の受付でサインをすませると、案内係を同行させましょうかとの確認。たのめば、美しいお嬢さんが全行程を案内してくれるのだが、当方はのんびりトリオゆえ丁重にご辞退。気が向くままに見学することにした。
 入口壁面には「文化庁登録有形文化財」と「経済産業省・近代化産業遺産」の2枚のプレート。こんなところにも歴史と伝統がうかがわれる。

 広大な敷地に、赤や緑の屋根のヨーロッパ風な石造りの建物が並ぶ。
 乾燥棟、糖化棟・発酵棟、蒸留棟、製樽棟、それに多数の貯蔵庫などが散在する。それぞれの場所には解説用のレコードプレーヤーが設置されていて、ボタンを押すと映像と共にわかりやすい解説が流れる。

 蒸留棟には、大きな釜戸のような土台の上に蒸留塔が6基並び、常時蒸留が行われている。折しも釜戸を開いて石炭を供給しているのを見ることができた。奥には火が燃えさかっていて、そこへスコップで石炭を放り込む。

 アラジンの魔法のランプのような蒸留塔2基が一対になっていて、2段階の蒸留によって原酒ができあがる。この蒸留塔の正式名称はポットスチルというらしいが、上部には紙垂(しで)の白も美しくしめ縄がネックレスのように掛けられているのが印象的だった。

 緑の木々に囲まれて大きな貯蔵庫がいくつもあり、その中では樽詰めされたウィスキーが静かに寝ている。モルトウィスキーは、こうやって長く寝かせることで味と香りに深みが増すそうだ。

 右の写真は、貯蔵庫の中から外を見たもの。ここにもしめ縄が張られ紙垂が掛けられている。
 神前や神聖な区域などに掛け渡して内と外を隔て、不浄に触れさせないようにする神道のしきたりが、ヨーロッパ的な風景と同居しているのは興味深い。
 他にも、糖化棟・発酵棟を見た。蒸留棟で釜の音が賑やかであったのに比べ、他の工程は静寂の中に在る。
 乾燥棟は見学外だったが、パネルの内容から、モルトウィスキー独特の風味はスモーキーフレーバーといい、キルン塔でピートを燃やして麦芽を乾燥させる工程でつくこと。ピートはヨシ・スゲなどの水辺植物が堆積して炭化したもので草炭とも呼ばれることなどがわかった。

 

 貯蔵庫を二つ繋げたウィスキー博物館には、世界のウィスキーづくりの歴史やニッカウヰスキーの歩みが紹介されている。とりわけ、日本のウィスキーの父といわれる竹鶴政孝が、スコットランドの地で夢を描き、やがて実現に向けて余市の地で歩み始める過程、伴侶リタとの浪漫など、知るほどに楽しくなる。展示品の内容も充実していて、ここだけでもじっくり楽しめる。

 目を惹かれたのは、スコットランドに渡った竹鶴がウィスキーの製法について作成していたノートである。細密な図と文章で、実に克明に記録している。
 このノートを見て、もう三十数年も昔に富士通・沼津工場に展示されていた、国産コンピュータの草分けである池田敏雄のノートを思い出した。優れた先輩技術者たちは、鉛筆を削りペンを握って、自身のユニークな構想や観察記録を残している。ワープロやドローウィングソフトの利用が当たり前の今日、インターネットによる情報検索と再利用が常識としてまかり通る時代ではあるが、技術開発や研究の原点としての姿勢のあり方を考えさせられるものではある。
 このノートと共に、第1号ウィスキーをそれぞれデジカメに収める。

        

 そして、いよいよ原酒の購入。
 貯蔵庫の並ぶあたりに原酒専門の売店がある。年代別に並んでいるいくつかのサンプルの香りを嗅いで、好きなものを選ぶことができる。ただ、樽が異なると風味も変わることから、同じ年代物でも以前と味がいっしょとはいかないらしい。

 そもそも今回の余市行は、義弟に15年ものの原酒をもらって味をしめたことが発端。この場所への訪問をもっとも楽しみにしていたのである。
 慎重に嗅ぎ分けてエィ!
 大枚をはたいて15年ものを2本。これは旨いで~。
 1本はお土産用で、以前に極上の清酒「久保田万寿」をいただいた甥のS君へのお礼である。

 最後に試飲。ニッカ会館2Fにはたくさんのテーブルが並び、先客が大勢。
 まず「竹鶴」の17年ものを試飲するが、原酒15年ものの風味には少々及ばないかな、と勝手に評価する。
 続いてアップルワイン。これは貴腐ワインに似た極甘ワインだ。そのままでは甘過ぎるのか、オンザロックを勧められたが、一口だけ舐めて後は家内にお任せする。
 この間、お酒好きだがハンドルを握る長男君は、ウーロン茶のサービスを受けていたのであった。

 
 

 以上で楽しい余市ニッカウヰスキーの見学は終わり。
 工場を後にするとすぐ近くに余市宇宙記念館がある。 あっそうだ、余市は宇宙飛行士毛利衛さんの故郷でもある。
 先を急ぐので記念館には入らなかったけれど、その前に設置された宇宙飛行士の撮影用パネル穴に家内共々顔をのぞけて、パッチッと1枚。なぜか真ん中に、ローカル色が染みついたOh君人形がいるゾ!


予定外の行動(積丹半島へドライブ)

 来る折りに見えた海岸風景をもとめて移動するが、遠目にはそれらしいところが見えてもその場所にたどり着くことができない。とりあえず古平(ふるひら)あたりまで走るが海岸線に出られる場所はなく、ついに積丹半島までドライブすることになった。

 積丹半島は積丹岬に到着。小高い丘に積丹岬入口があり、人がやっとすれ違うことができる真っ暗なトンネルを抜けると、日本の渚百選の島武意(しまむい)海岸の上に出る。ここからの海と海岸の風景は絶景であり、細い道路を浜辺まで降りることができる。

 遠くに水平線が広がり、昨日船内から見えた積丹岬の風景を思い出す。あのときの遠景とは異なり、絶壁と奇岩が重なり合っていて、海水の透明度も高い。
 崖っぷちからは浜辺の人が小さく見えていて、これではとても下まで降りる元気が湧かない。一人でどんどん下りていった長男君を見送り、二人はほぼ真ん中あたりまでつづら折りの細道を進み、カメラのシャッターを何度か切ってから引き返す。

 再びトンネルを戻って自然遊歩道の案内板に目を留める。ここから300mほどで灯台と展望デッキに行けるはずなのだが、行き先にはロープが張られて「通行止め」の標識。6月23日に熊が目撃されたためとのこと。豊かな自然は熊のものでもあるわけだから、これはいたしかたなし。

 すぐ近くの洋風の建物「食事処 鱗晃(りんこう)」にて昼食。ウニ・イクラ弁当が売り物のようで、多くの客がわっぱの弁当箱に箸を運んでいる。
 たっぷりの朝食でお腹が太いという二人はアイスクリーム、自分だけが浜丼をいただく。エビ、イカ、ホタテなどの貝類、それに野菜が中華丼風に盛りつけられていて、大変美味にて、ごちそうさ~ん。
 

 すっかり腰を落ち着けてしまい、引き上げたのは午後3時近く。
 ひたすら小樽方面へと走り旧日本郵船のそばで二人だけ下車する。長男君は以前にも入館したことがあるからと、向かいの運河公園で読書しながら待つことに。


旧日本郵船(株)小樽支店

 さすが観光の町だけあってガイドさんが素晴らしい。見学者が少ないこともあってか、入館するとすぐに女性の説明員が訪れて、どの程度の時間滞在できるかを尋ねてきた。30分と応えると実に要領よく誘導して、部屋や設備、企業の歴史などを説明してくれる。なかなかチャーミングな中年女性で、われわれが岡山から来たと知るや、北前船と藍などの交易に話をスイッチ。
 かつての小樽繁栄の話や札幌・函館との違いなど興味深い話が続く。
 タイムオーバー気味になりお礼を言って出ようとすると、やはり当館の人らしい老紳士が挨拶にみえる。この方がまた話し好きのようで、わざわざ追いかけてきて説明が始まりそうになり、重ねて礼を言いつつ退散する。

 

小樽運河から北一硝子へ

 旧日本郵船前の運河公園を通り抜けると小樽運河。ここで長男君とは、いったん車をホテル駐車場へ移すために別れる。
 かつて日本郵船扱いの荷物は、運河から現在の運河公園を通って運び込まれ、所定の倉庫に保管したり隣接する手宮鉄道(現在は廃線)で輸送されたそうだ。


     

 

 ぶらりぶらりと河畔を散策しながら、係留された小型船舶や周囲の構築物などを眺める。

 やがて河幅が狭くなったあたりで船の姿は消えて、波形のきれいな敷石の遊歩道が続く。遊歩道には二つのランタンをつないだような街灯があり、あちこちのランタンにカモメが留まっている。

 旧日本郵船で聞いた、倉庫の目印になるシャチホコや壁の屋号を探してみる。寄せ棟の屋根に立つシャチホコは火災を防ぐ御守りとされている。

 歩みを進めてレトロな町並みに入ると、タイムスリップしたような雰囲気が漂う。しかしまあ、観光客の多いこと。


北一硝子三号館カフェ

 以前ここを訪れたのは厳寒の2月、情報ネットワーク策定事業で岡山商科大学のO先生と共にであった。一面の雪景色をタクシーで辿り着いて入館。ランプの暖かいぬくもりと雰囲気に包まれた感動のひとときを思い出す。
 家内を必ず案内したいと思っていた場所のひとつで、こうやって長男君共々珈琲を飲むことになるとは思いもしなかった。初夏とはいえ、やはり独特の雰囲気とランプの穏やかな光は、心身を和ませてくれる。

 Boseのスピーカーから流れるクラシック音楽に耳を傾けながら豊かな時間をすごし、隣接する北一硝子の店を巡っていると夕食の予約時間(19時)が近くなり、やや早足で移動する。


「魚真」での贅沢な食事

 出発前から予約を済ませていた「魚真(うおまさ)」は、北海道ひとり旅の冊子「なまら」に掲載されている穴場とのことで、味よし値段よしサービスよしで、インターネットでも地元の人達に大人気の店と聞く。
 噂に違わず大正解で、「こんな美味いものがこんな値段でいいのでしょうか?」の世界。家内は特上寿司12カンを注文。これには土瓶蒸しがサービスでついてきた。
 刺身盛り合わせを注文するが、量が多すぎて食べられないだろうと断られる。これには驚いて、単品でイカ、ハマチ、ボタンエビを注文(右の写真)。これがメチャ美味。
 続いて天麩羅の盛り合わせと魚真焼き(いも、ウニ、チーズ)を頼めば、これがまた激旨。それでもって、魚真焼きは地ビールにベストマッチ。

 

 家内が残したウニのにぎりを失敬。ウウッ、これは今まで喰ったウニの中では一番旨い、絶品でした。
 で、これだけの贅沢(他に生中3杯、日本酒2合3本、地ビール3本)で破格の勘定書き。この安さ、計算ミスでない?とにかく最高の料理をいただくことができて、天にも昇る幸せだった。
 後でもらった魚真のチラシに、以下のような説明。
     おかみさんは漁師の娘、
     旦那さんは元魚市場のセリ人。
     長年の経験で培った
     妥協を許さない確かな目で選ぶから、
     ネタの新鮮さは折り紙付き!
     寿司・刺身はもちろん、
     天麩羅・鍋物・焼き物も
     ピカ一の安さとボリューム。
 ふ~む、それで納得だ。

 ホテルに帰着して真向かいの立派な建物を眺めると、なんとこれが有名な旧三井銀行小樽支店。旧日本郵船見学時に、ここは「白い恋人」の石屋製菓が所有しており、再利用を始めようとしていた矢先に賞味期限偽装が発覚し、白紙になったと聞いていたので、興味津々。
 2日目はほろ酔い機嫌でこれにて幕、チョ~ン。