名 称

じゅうさんとうげ

地 域

奈良県生駒郡平群町

距 離

約13km

日 付

2017年4月3日

天 候

晴れ

同行者

相棒と

マップ

    
    

このマップは、国土地理院の電子国土Webシステムから提供されたものを使用しています。

コース概要

近鉄平群(へぐり)駅到着 11:16平群駅スタート 11:35ツボリ山古墳 11:51~11:53
藤田家 11:57~11:59普門院 12:04桃源郷 12:45~13:00杵築神社 13:40~13:50
十三峠到着 14:20峠の石仏 14:24十三塚 14:26十三峠出発 14:42街道の石仏 14:56
浄光寺 15:22国道168号交差点 15:50近鉄竜田川駅到着 16:29

1.平群(へぐり)駅から普門院へ

 JR王寺駅で下車して近くの改札から近鉄王寺駅へ向かおうとしたら、自動改札しかなく18切符では出られない。かなり移動して2Fの中央改札口でようやく放免される。隣接した西友王寺店で弁当などを買って自販機で切符を求める。改札時に行き先の確認をとると「新王寺駅は田原本線なので平群へは行きません。反対側の王寺駅へ移動してください」と言われる。

 切符の払い戻しをしてもらい、少し離れた近鉄王寺駅まで歩いて切符を買い直し生駒線に乗車。中継駅としては便利だが、もっとわかりやすく案内板などを整備できないのかな、何ともややこしい。

 王寺駅から9分で平群駅に到着する。風が強くて昼食をどこでとろうかと考えていたのだが、駅プラットフォームに格好の待合室がある。駅員さんに了解を取って早めの昼食をすませる。
 駅前を右(北)に向かうと大掛かりな道路整備の最中か、いたるところにコーンが並んでいる。

 北に見えている電波塔だらけの生駒山をクローズアップ。以前に登って電波塔の多さと三角点の位置に驚いた山である。最初の角を左折して進むと「平群町役場」のバス停がある。

 その先の平群橋を渡って右折すると、右手に見えている中央公民館を行き過ぎたところに「つぼり山古墳」の道標があるので左折する。

 傾斜がきつい舗装道路の歩道を上がって行くと、4~5分で右側に古墳の解説板が見えてくる。

 石室の主軸に沿って2つの石棺が安置されている。手前のものは棺蓋を失っているが、奥のものは棺に立てかけられている。7世紀初頭に造られた円墳ないし方墳と考えられている。

 さらに4~5分上がると左手に藤田家住宅。整った大和棟(やまとむね)民家として重要文化財に指定されているが、内部は公開されていない。塀の上部からカメラで覗いてみた。

 立派な土塀が続き、上部はコンクリートブロックで継ぎ足されている。上の方から茅葺き屋根を眺める。

 左手の谷下遠くに白山神社が見える。そして右に「普門院跡」の案内。

 普門院は、法隆寺の夢殿を再興した道詮律師が隠居寺として建てた福貴寺の塔頭の一つである。周辺は栄時には60坊を数えたそうであるが、今は小さな門だけが残る。脇の句碑に
      六十坊ありしを虫の坊一つ  吟蕗
とある。

2.桃源郷を巡る

 農地造成完成記念碑が建つあたりから道の辺に花が増えてくる。

 星ノ尾墓地園地を過ぎると道の傾斜が緩くなり、右手下方には広大な住宅地が広がってる。北の谷にはハクモクレンが咲き、その向こうにモヤがかかった生駒山。福貴畑(ふきはた)の桃源郷はもうすぐのようだ。

 「十三峠 5.0km」の道標に差しかかると、三脚をかついだ5人のグループが歩いている。大きな給水タンクの手前を右に入っていったので後を追ってみる。

 左に赤い前掛けのお地蔵さん。その奥の方で畑仕事をしている男性に桃源郷の場所を尋ねるとこの一帯がそうだとわかり、地蔵前の細道を下りる。

 先ほどのグループの一人がカメラを構えている。その先には桜とサンシュユ。

 枝打ちされた大きなハクモクレンの古木にも花がついている。季節が生命力を引き出しているようだ。

 ハクモクレン、サンシュユ、桜、ツバキが咲き乱れている風景なのだが、ほとんど何も写し撮れていないトホホの1枚。落葉樹もここでは絵になる。

 谷の窪みに開かれた畑。この時点ではまだ何を栽培しているのかわからずに撮った1枚。お地蔵さんへ戻る前に坂の途中から振り返ると、美しい花の山の向こうに矢田丘陵が延びている。

 給水タンクの地点まで戻って進み始めると、さらにレンギョウやボケ、ハナモモなどが加わった花のパノラマが広がる。山を切り開いて花木栽培を始めたのは昭和になってからだそうで、その美しさに写真家や花見の人が繰り出して「花の谷」と呼ばれ、やがて「桃源郷」とまで呼ばれるようになったとのこと。これはもう、福貴畑地区全体が桃源郷と言えそうだ。

 少し歩いて給水タンクの方を振り返る。先ほどまで散策していた一帯が円形の丘のようになっているのが面白い。

 ここにも矢田丘陵を背景に花の山。平群の町並みを一望できる。

3.杵築(きづき)神社~十三峠

 傾斜の舗装道歩きはじわりと足を重くする。ようやく民家が見えてきた。十三峠まで後2.6kmだ。

 このあたりにも花が溢れている。
  (トサミズキとモクレン)

 (ハナモモとキシミ)

 信貴フラワーロード(西和広域農道)に出合って渡る。十三峠まで残すは2kmちょうど、杵築神社までは800m。

 長く感じる800mの坂道を登ってやっと杵築神社に着く。

 杵築神社は福貴畑の氏神として信仰されてきた古社で、祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)。参拝して旅の無事を祈る。右側の観音堂には「本尊の木造聖観音座像や、インドに向かう玄奘三蔵を砂漠で助けたとされる木造深沙(じんじゃ)大将立像が安置されている」(杵築神社解説板より)。

 観音堂の神像を拝見する。静を感じさせる聖観音と対照的に、深沙大将の左腕には蛇が巻き付き凄い形相をしている。

 十三峠まで残す距離はわずかだが、勾配を増しカーブした舗装道は歩みが遅くなる。送電線路の真下に差しかかるあたりでは、背丈の高いサンシュユを中心にハナモモやトサミズキが美しさを競い合っている。

 長い坂道が緩やかになり正面にトンネルが見えてきた。

 トンネルで信貴生駒スカイラインの下をくぐると十三峠だ。右折してさらにトンネルをくぐるとスカイラインのすぐ上に出る。今まで奈良県側から登ってきたが、標高462mのこの峠は奈良県生駒郡平群町と大阪府八尾市神立(こうだち)との境に位置している。

 西には大阪市街が広がっているがモヤではっきりとは見えない。業平はここを越えて、河内高安へと急坂を下って出かけたというのだから尋常ではない。ふむ、クレージーとまでは言わないが、完璧にイカれちゃってたんだよね。

 南側の階段を上がるとすぐに峠の石仏がある。案内板によると、この峠を通る道は十三街道と呼ばれ近世には大阪から伊勢参宮のルートとして賑わっていたそうで、石仏は旅人の安全を願って福貴畑の村人により立てられたものとのこと。

 道を反対方向に進むと十三塚がある。13基の塚が完全に残る数少ないものとして国の重要有形民族文化財に指定されている。この塚の存在が十三峠の名前の由来になっている。

 峠の石仏まで戻り、その先のベンチで小休止する。たくさんの花をつけたヤブツバキの前で相棒は元気な様子。

4.菊畑を眺めながら竜田川駅へ

 ゆっくりしているうちに14時半を過ぎ下山すべく立ち上がる。里歩きではあるが、標高462mに立つと山歩きをやっているような気分だ。少し進むと「信貴山・高安山」への道標と出会った。ケーブル駅を起点に歩いた高安山から信貴山のことが思い出される。分岐を直進して下山を急ぐ。

 こんな山道は歩くのが楽しくなる。根元が大きくえぐれているが木はまだ生きているのに出会う。この先どうなるのだろうか。

 竹林になったところに祠がある。街道の石仏である。業平はこの道を通ったのだろうと考えながら、ほとんど眺望のきかない道を下りて行く。

 視野が開けて民家が現れた。ふたたび平群の町並み風景が見えてきた。

 桃源郷で見たのと同じような畑がある。近くの温室に出入りしている年配の男性に何を栽培しているのか尋ねて、菊であることが分かった。そうだ、ここは菊の産地だったのだ。

 男性に招き入れられて温室を覗くと、大量の菊の苗が育てられている。「1本はこんなもんじゃ」とポットから抜いて見せてくれる。どの畑も畝を切ってマルチシートを敷き、シートに10cmくらいの穴が空いている。その穴に小さな苗を植え付けるのだ。

 隣接した浄光寺に立ち寄る。

 さらに下りて行くと県道平群信貴山線に架かる橋が見えてくる。福貴畑大石橋で県道を越えて進む。

 道中にはずっと菊畑が続いている。季節が変われば一帯が菊花で覆い尽くされるのだろう。ところどことに柿畑もある。

 右手に厩舎が現れ、優しい顔の馬がいっせいにこちらを向いている。乗馬クラブ「FUJIライディングパーク」である。

 国道168号に出た。道を渡り、今は廃校になった平群西小学校の前を行く。立派な校舎の玄関が閉ざされシャッターが下りているのは、何とも寂しいものだ。

 目的の竜田川駅までは1.4km。あちこちに咲くモクレンと菊畑を見ながら駅へ向かう。

 ここにも広い菊畑がある。苗がかなり大きく育っているようだ。近鉄生駒線にたどり着いて右折する。

 踏切を渡って、小さな商店街を進むと竜田川駅に到着した。業平ロマンの道はけっこうハードな道だった。